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【小説】フェイブル・コーポレーション 第九話

「あれ、新ちゃんはまだ来てないのか」
 仮眠室からでてきた龍介は、洋間に入るなり、目をこすりながらいった。
「まだだ」
 ソファに腰かけた拓海が、両手にひらいた文庫本から視線をあげずに答える。
 洋間にいつも流れているはずのジャズが、今日はなかった。龍介は壁時計を見た。午後三時をさしている。
「ずいぶん遅い出勤だなァ。客が来ちまうぜ」
 龍介は欠伸まじりにいった。
「携帯にかけてみた。電源が切られている」
 拓海は憮然としている。龍介とは目もあわさない。
「拓海ちゃーん、ご機嫌ななめ?」
「今日もヤクザどもが来る。新十郎がいないと、どうすることもできない」
 拓海は貧乏揺すりまでしはじめている。
「まっ、どうせ待つしかないじゃん。だろ?」
 それから二時間、待った。
 午後五時。新十郎も、客も、ヤクザもあらわれない。
「どうも様子が変だ。だれも来ないなんて……」
 落ちつかないらしい。拓海は文庫本を投げだして、洋間のなかをうろついている。
「やっぱり、おれ、待つのは嫌いだ」ソファに座っていた龍介は立ちあがった。「探しに行くか!」
 ふたりはフェイブル・コーポレーションを閉めて、外にでた。前代未聞のことだ。
「どこを探すんだ。新十郎の家を知ってるのか」
「知らん!」
「そうだ、卒業アルバム――」拓海が一瞬、立ちどまった。「あれに住所が書いてるだろう」
「あんなの、もうどっかいっちゃったに決まってるだろ!」
「……どこにいくんだよ」
 龍介たちはマンションをでた。南京町は今日も繁盛していた。長安門をでる。大丸前のスクランブル交差点にも、多くの人々が行きかっていた。
 大通りにでて、通りかかったタクシーをとめた。龍介はリアシートに乗りこむ。気後れした様子で、拓海も龍介の隣に乗りこんだ。
「芦屋まで」
 龍介は運転手に目的地を告げた。
「……新十郎の家は知らないといったじゃないか」
「まァまァ」
 龍介は拓海の言葉をあいまいに受け流す。
 車は発進する。東の方角へと走りだした。
 二十分ほど経った。拓海はじれったそうに龍介の顔をちらちらと盗み見ていたが、窓外に芦屋の町並みがひろがると、顔色をかえた。金持ちのカモがあふれる町。龍介たちの通っていた中学と高校もここにある。探りさぐりで道を行く運転手にむかって、芦屋川沿いに六甲山のほうへタクシーを走らせてくれ、と龍介は命じた。
 高級マンションが立ち並ぶ一角にでた。
「ここ、ここ! サンキュー、運ちゃん」
 龍介は百万の札束を運転手に渡そうとする。運転手は目を剥いた。
「ジョーダン、ジョーダン」
 龍介は札束から一枚、万札を抜き、料金を支払う。
「運ちゃん。すぐ戻るからさ、ここで待っててくれよ」
 ふたりはタクシーをおりた。とある十階建てのマンションに臨んだ。最上階から下の階へむかって、階段のように段差をつけてベランダが並んであるのが特徴的な外観だ。
 スロープをのぼると、エントランスと対面した。龍介はインターホンのテンキーを押した。
「新十郎の家じゃないなら、いったいだれの――」
「もしもーし?」
 龍介はインターホンのマイクにむかって呼びかけた。
 しばらくして声が返ってくる。
『なに』
 素っ気ない声音だ。
「ボクだよ、龍介。ミリちゃん、いま暇?」
「ミリだって……」
 となりで拓海が唖然としている。
『なにしに来たのよ』
「新十郎の居場所を教えてほしいんだ。このとーり!」
 ディスプレイつきのインターホンの前で、龍介は両手をあわせた。頭を深々と垂れて、あわせた両手を高々とあげる。
 反応がない。ぶつっ、と通話が途切れる音がした。
 拓海はため息をついた。
「よりにもよって新十郎の女をあてにしていたとはな」
「だって彼女はいまや、マイハニーだからさ、なんでも教えてくれるはずだぜ」
「新十郎がそれを聞いたら、殺されるぞ……しかし、あの女、本当におりてくるのか」
 ロックされていたエントランスの自動ドアが開いた。
 龍介たちの目の前に、龍介たちと身長はさほどかわらない女があらわれた。ミリだ。突然の訪問だったからだろう、薄手のパーカーにスウェットパンツという、ミリには似つかわしくない質素な服装をしている。カールのかかった長い茶髪は、カチューシャで撫でつけられている。そのせいで派手な顔立ちがいっそう際立って見える。
「おお、マイハニィ!」
 抱きつかんばかりの勢いの龍介を、ミリが手で押しかえした。
「いきなり訪ねてきておいて、マイハニーですって。笑わせないで」
「あれ、ミリちゃん、ご機嫌ななめ? おれのまわり、機嫌わるいやつが多いぜ」
「いちど寝たからって、図に乗るんじゃないわよ」ミリがいい放った。「私の彼氏は新十郎だけなんだから」
「そうそう、その新十郎なんだけどさ、いまどこにいるか教えてくれない?」
 ミリの攻撃をかわして、龍介は話題を転換した。
「知らない」
「へぇ、珍しいな。『アタシいつも新十郎クンのことが心配! 今日はどの賭場に足を運ぶのかしらぁ?』ってな具合で、あとをつけてるんじゃなかったのか」
 猫のようにつりあがった目をさらに尖らせて、ミリが龍介を睨みつける。
「あんたには関係ないでしょ! 帰って!」
 ミリが背をむけようとした。
「関係あるんだよ。新ちゃんがヤバいことになってるかもしれねえ」
 ミリの動きがとまった。もういちど、龍介にむきなおる。
「ヤバいことって……?」
 龍介は深刻な顔をした。
「おれたちは賭場をやってるだろ。儲けはいつも金庫にしまってあるんだけど、今朝見たら、金がぜんぶ失くなってたんだ。かなりの額だぜ。五千万はあった。銀行にはあずけてねえからな。悲しいけど、新ちゃんが持ち逃げしたとしか考えられねえんだよな。あいつのことだ、あの金を使って、どっかで、でかい博打を打ってるはずなんだ。ミリなら知ってるはずだ。教えてくれ」
 一気に〝嘘〟を並べ終えた。新十郎は金を持ちだしてはいない。すべては作り話だ。
 しかし――
 龍介は口からでまかせに語ったこのデタラメ話の半分が、当たっているような気がした。つまり、新十郎は身ひとつで、大きな賭場に殴りこみに行ったのではないか。横にいる拓海の顔を見る。拓海も神妙な顔つきをしている。
「……灘」
 ミリが独白のようにつぶやいた。
「え、なに」
 龍介は訊きかえした。
「灘にある、麻雀……? よくわかんないけど、麻雀屋さんに行ったわ」
「なるほどなァ。店の名前は覚えてないってわけだ。でも、麻雀って看板に書いてたんだったら、雀荘だろうな」
「だから、よくわかんないんだってば」
「場所はわかるの?」
 ミリはうなずいた。それを聞くと、龍介の顔が輝いた。
「よおし! レッツゴーだ!」

 待たせていたタクシーに乗りこんだ。ミリ、龍介、拓海という順でリアシートにおさまった。
 龍介は運転手に指示する。
「JRの灘まで――」
「待って!」ミリが龍介を制した。かわりに運転手にむかっていう。「西宮北口まで行ってもらえますか」
「へっ? なんで西北に」
「もしかしたら、家に帰ってるかもしれないわ。西北なら近いし、一応確認すべきでしょう」
 龍介と拓海は顔を見あわせた。
「新十郎は西北に住んでたのか」
 拓海が口のなかでつぶやくようにいった。
「そうだそうだ! 卒業アルバムに西宮市……って書いてあった気がする!」
 拓海が白い目で見てくるのを気にも留めず、龍介は腕を組み、ひとりでウーンとうなった。
「でもなァ……あの新ちゃんがホームシックにかかるようなタマかね?」
「それを確かめに行くんだろう」
 十分もかからないうちに阪急の西宮北口駅についた。駅自体は立派だが、その周辺は静かだった。大型の商業施設に囲まれてはいるが、外には人がほとんど歩いていない。
 タクシーを北の方角へと走らせる。住宅地に入り、遠くに小学校の校舎が見えた。
「とめて」
 ミリがいった。運転手にまた待っていてもらうように頼み、三人は降車した。下校中らしい小学生の姿がちらほら見えるだけの、閑静な住宅街だ。
 近くに聳え立つ白壁の豪邸に、ミリが近寄っていく。
「え……?」
 龍介と拓海は慌てて、ミリのあとについていく。門の前まで来た。新十郎の姓の「加賀」という文字が彫られた表札が提げられている。
 ミリが振りかえる。
「ここよ」
 龍介と拓海は仰け反った。
「本当か」
 拓海は瞬いた。
「めちゃくちゃ、でけぇ家じゃねえか!」
 龍介も驚きの声をあげた。
「あんまり騒がないで」ミリが小声で龍介たちを叱った。「知らなかったの? 新十郎のお父さんは、花札……だったっけ、それで有名な会社の社長なのよ。名前は忘れちゃったけど」
「まさか、あの天下の全天堂か!」
 全天堂とは花札をつくらせたら日本一の技術を誇る会社だ。休む間もなく、エンターテインメント商品を世に送りつづけ、いまではゲームソフト会社としての知名度が高い。
「だから騒がないでって!」
「騒ぎたくもなるぜ! そうかァ、親がそんなだったら、子も博打に精通するよな。でも、おれらもそうだけど、新ちゃん、花札をやろうなんていったことないよな」
「花札は嫌いだって、聞いたことがあるわ」
「なんで――」
「いいかげんチャイムを押すわよ」
 インターホンからは女性の掠れた声がした。新十郎がいるかどうか、ミリは訊ねた。いません、という返事がかえってきた。
「灘へ行きましょう」
 ミリが踵を返して、龍介たちを急かした。
 タクシーに乗りこんだ。灘を目指すように運転手に告げる。車は発進した。
「おれが前に電話かけたときも、あの女の人の声だったなァ」
 龍介はだれにともなくいった。
「住所は覚えてないくせに、そんなことは覚えてるんだな」
 と拓海がひやかす。
「うるせいやい! おれは博打打ちだからな、人のしぐさや声のトーンなんかは、勝手に脳みそが記憶するんだよな」
 新十郎をはじめてフェイブル・コーポレーションに呼びつけたときのことだ。そのときは、電話に応対した女性から、新十郎の携帯電話の番号を聞きだしたのだ。
「あれって新ちゃんのお袋さんか?」
「あの声はお手伝いさんよ」
「お……お手伝いさん……」
 お手伝いさんを雇えるような裕福な家庭とは縁遠い、龍介と拓海のふたりは唸るしかなかった。
「あ、そうだ」隣のミリに、龍介は上半身をむけた。「新ちゃんが、花札を嫌ってるって話だ。聞かせてくれよ」
「私だって、あまりくわしくは知らないけどね。だって新十郎、ほとんど私と話してくれないもの」
「まァ、そうだろうなァ。女嫌いって雰囲気でてるし」
 龍介がいうと、ミリは龍介の顔を睨みつけた。しかし、ため息をつき、話をはじめた。
「二年くらい前かしら、新十郎の家にふたりでいたとき、お客さんが来たのよ。新十郎が玄関で出迎えて、私はちょっと遠くから見てたんだけど、明らかに堅気じゃないって感じの人で……」
「借金の取り立て屋かい?」
 拓海が頭を前にだして、ミリに訊ねた。
「違うわ。ふたりの話を聞いてたんだけど、おっきな勝負の場が立つから、打ってくれないか、っていう相談だった」
「代打ちの依頼か」
 拓海はつぶやくと、またシートに背をあずけた。
「ガンコなあいつのことだから、断ったんだろうなァ」龍介は腕組みをした。「組織のために働くのは嫌いだーとかいって」
「そうね……『ヤクザは嫌いや』っていって、撥ねつけてたわ」
 龍介と拓海は顔を見あわせて、くすっと笑った。新十郎らしい話だ。
「でも、そのころ、新十郎はギャンブルでの稼ぎがうまくいってなかったみたいだったの。だから、しかたなく勝負を引き受けそうな雰囲気でもあったわ。――で、『勝負の種目はなんや』って新十郎が聞いたら、『オイチョカブだ』っていったのよ。そしたら『わるいけど専門外や』っていってそのヤクザを追い払ったの」
 龍介は腕組みを解き、頭の後ろで両手を組んだ。バックミラーに映った運転手の顔が引きつっていた。ただならぬ話を聞いてしまっている、と感じているのだろう。
「専門外か。そんなわけねえような気もするけど」
「からかい半分で新十郎に聞いてみたわ。花札は苦手なのね、って。そしたら彼、私のこと睨みつけたの。『苦手じゃなくて嫌いなんや』っていって、もう口をきいてくれなかった」
 龍介は拓海に顔を寄せて、
「あいつもけっこうデリケートだね」
 と囁いた。拓海は笑みをうかべて、うなずいた。
 新十郎にはコンプレックスがあるのだろう。ギャンブラーを目指すことになったのは父の影響にちがいない。やがて、父への反発を覚えた。父が自らの仕事にするまでに大好きな花札を嫌い、またギャンブラーのくせに、家庭が裕福だという自分の境遇を呪った。ボンボンという人種は博打の世界では舐められやすい。
「それにしては、新ちゃんがまだ家にいるってのは納得いかねえなァ。自活しそうなもんなのに」
「ほとんど、私の家にいるわ。いないときは、どこかのギャンブル場で寝てるんじゃない」
「へっ。キミの家も、ずいぶん開放的だねぇ」
 龍介はニヒルな笑みをうかべた。
 ミリは、龍介のいっていることが理解できないように、小首をかしげた。

 阪急の王子公園駅に近づくと、車は南下し、JR灘駅の方角へ走っていく。かろうじて郵便局があるくらいで、スーパーも飲食店もない通りだ。人も歩いていない。野良猫が退屈そうに欠伸をしていた。灘駅が見えてきた。
「とめてください」
 ミリが車をとめた。
 龍介は一万円札をだして、料金を支払った。三人は地におりる。
 龍介は大仰にまわりを見まわした。
「どこに賭場があんだよォー?」
 駅舎の前は広場だった。木が数本植えられていて、木陰のベンチでは老人が読書をしているのが見える。駅前とは思えないほど、のどかな光景だった。
「こっちよ」
 ミリがふたりを先導する。公園の出来損ないのような空き地を通って、JRの線路に近づいた。
 線路沿いに、四階建ての古ぼけたビルが建っていた。壁面がところどころ剥がれている。カーテンが引かれた二階の窓を見やる。ペンキの文字で〝麻雀事業連盟〟と書かれてある。
「麻雀事業連盟って……あれだよな、あのオッサンらが名乗った……」
「ああ、そうだな」
 見たところ、麻雀事業連盟以外にテナントは入っていない。にもかかわらず、三階にも四階にも、人が入っている気配がする。
「新十郎がここに入ったってのは、マジかよ?」
 と龍介はミリに訊ねる。
「ここって、ヤバいところなの?」
「はっはっは! そんな、たいしたこと――」
「かもしれない」拓海が龍介を遮って、いった。「ミリさんは帰ったほうがいい。あとは僕たちに任せろ」
「いやよ」ミリが大きな目をつりあげる。「こうなったのも、私が中途半端だからだわ。いっしょに連れて帰る」
 ミリの意志は固いようだ。きつく口を引き結び、拓海の顔に視線を据える。
「……好きにしてくれ。もめている時間はない」
 龍介は右腕を勢いよくまわした。
「よっしゃ、みんなで乗りこもうぜ! 待ってろよ、新ちゃん」

 龍介の腕時計の針は、午後七時半をさしていた。ビルにはエレベーターはない。階段をつかって二階にあがる。薄暗いフロア。鉄扉の前に来る。〝麻雀事業連盟〟と書かれた看板が提げられている。
「雀荘って雰囲気じゃないわな」
 龍介がドアを押した。開かない。
「鍵がかかってるなんて、やっぱり雀荘じゃねーや」
 ドアの横に取りつけられているインターホンを押した。
『……どちらさんでっか』
 男の声が返ってきた。
「加賀新十郎ってやつ、来てる?」
 男が息を呑む気配がインターホン越しに伝わってきた。
「おれらの仲間なんだけど」
 無言。
 鉄扉が開いた。
「よぉ来てくれました。ご案内しますわ」
 胡麻塩頭の男が龍介たちを出迎えた。顔には卑しい笑みが張りついている。
 八畳ほどのスペースがひろがっており、事務机がいくつかある。表向きは平凡な事務所のていをなしている。デスクのあいだをぬって歩く。奥の部屋へと誘われる。足を踏み入れた。
 あとから畳を張ったと思われる、狭い部屋だった。ホンビキに使うのであろう盆茣蓙を部屋の隅に追いやって、中央で十人ほどの男が円座を組んでいる。
 チンチロリン――
 音がした。
 彼らが興じているのは、サイコロ賭博のチンチロリンらしい。
「あれー? チンチロリンは庶民の遊びなんじゃなかったっけ」龍介は円座に近づきながらいった。「というか、麻雀事業連盟なのに麻雀はしないのかよ」
 男たちが振りかえる。ひとり、振りかえらない男がいた。あのだらしない長髪と猫背は、新十郎にちがいない。
「新十郎!」
 ミリが叫んで、新十郎に駆け寄る。
「……邪魔すんなや」
 新十郎が背をむけたまま、いった。
 沈んだ声だった。どうやら、相当負けている。勝っているときには、あんな声はでない。
「麻雀とか博打ちゃうで。効率がわるすぎるわ」
 平気でそういいのけたのは、昨日、一昨日とフェイブル・コーポレーションに乗りこんできた、例のサングラスだった。脇にはオールバックと小男も座っている。
「この新十郎ってやつの申し出を受け入れて、チンチロをやったっとるねん」
 ギリ札という、ヤクザならではのイカサマがあるホンビキでは、新十郎は勝負しづらかったのだろう。チンチロリンにもグラサイがあるが、ホンビキのギリ札よりは看破しやすい。
「だれか、そのヘボ兄ちゃんとかわったれよ」
 小男が黄色い歯を見せながらいった。それを聞いて、新十郎が顔をあげた。膝を立てようとした。
「落ちつけ」
 拓海が後ろから新十郎の肩をおさえた。
 龍介も新十郎の背後に寄って、
「どんくらい負けてんの、新ちゃん」
 と小声で訊いた。
「……四百くらいや。たいしたことあらへん」
「アツくなってるな、新ちゃん」
 新十郎は龍介に顔をむけたが、龍介の言を否定しようとはしなかった。顔を伏せる。
「すまん。カッコつけたわ。おれひとりでこいつらを伸したろうと思ったんや」
「……くぅ、あんた、男やでぇ。泣かせるじゃねえの」
 龍介は泣きべそをかく真似をした。
「ひと息入れろよ。あとはおれらに任せな。新ちゃんの敵を討ってやらァ」
 新十郎が退いた席に、龍介が座りこもうとした。
 すると、拓海が龍介を手のひらで制した。
「龍介、僕にやらせろよ」
「あっ、拓海ィ! おいしいとこ持ってくつもりか」
 拓海は円座に入りこんだ。龍介を振りかえり、恨めしそうに睨む。
「賭場を開いてから、僕は自分で博打を打っていない」
 龍介はわざとらしく舌打ちをした。ポケットに突っこんでいた札束を拓海の前に落とす。百万足らずの金だ。
「おれはこないだ新十郎と勝負したしなァ……。ま、いいぜ。そのかわり、負けんなよ!」
 まわりから、早よせえや、と怒号が飛んだ。どうやら、ちょうど新十郎の席に親番がまわってきていたらしい。
「失礼」拓海は軽く頭をさげた。「張ってください」
 勝負がはじまった。
 ヤクザたちが金を提示する。一万円札を賭けたのが四人。それ以外の五人はケンだ。
 おそらく上限はないこの賭場で、たった一万円の賭け。ヤクザたちは、落ち目の新十郎から交代した拓海の親を警戒している。風がかわるかもしれないと読んだのだろう。勝負の呼吸を体得した博徒が揃っていることは間違いなかった。
 拓海がサイを振った。
 三四五、目なし。
 一四六、目なし。
 最後のひと振りとなった。龍介から見える拓海の横顔には、表情というものがまったくあらわれていない。
 拓海がサイを投げる。サイのぶつかりあう音が、丼のなかで響く。
 目が揃った。
 一三三。
 周囲から失笑がもれた。
 親の出目、一は子方に総ヅケ。拓海は一万円を張っていた子方にそれぞれ同額の一万円を支払う。
「総ヅケは親落ちや。残念やったな、兄ちゃん」
 オールバックがいった。
 拓海はなにも答えない。無表情で、右隣の男に丼とサイをまわした。
「もう、ダメじゃない。負けちゃったんでしょ」
 ミリが龍介に不満をいってくる。
「まだわからねぇけどさ――」龍介は小声でミリに返事をする。「たぶん人がかわっただけでは、この席にこびりついた悪運は拭えなさそうだな」
 龍介とミリがひそひそ話をしている横で、新十郎は黙ってタバコをくわえて火を点けている。
「じゃあ、どうすればいいのよ。新十郎の負けを取りもどすんでしょう。やっぱり私が――」
 あろうことかミリが円座に入りこんで参戦しようとした。龍介は苦笑してミリを押しとどめた。
「まァ、サイを丼に落とすだけの単純なゲームだけどさ、相手はプロだぜ? でも、拓海だってプロだ。ここはこいつに任せようぜ」
 ゲームは進んでいた。拓海が一万円を賭け金に提示していた。
 拓海から親を受け継いだ右隣の男が、サイを振り終わったところだ。
 二五五で、目は二。
 これならば拓海にも充分勝ち目がある。
 左回りに丼とサイが移動していく。ほとんどの者が、親に勝っていく。
 拓海にサイを振る番がまわってきた。
「勝てそうなの?」
 ミリが不安そうに龍介に訊ねる。
「チョロいチョロい。親の目は二だから、三以上の出目をだせばいいんだ」龍介は状況を説明した。「ここでひとアガリして、一気に運を味方に――」
「どうやろな」
 タバコを吸っていた新十郎が口を挟んだ。
 ミリが新十郎に顔をむける。
「どうして」
「ドン底の下に、底がある」
「へぇー。そんなことをいうってことは、新ちゃん、相当ハマってたんだなァ」
 龍介は新十郎を茶化すようにいった。
 この会話が、拓海に聞こえていたかどうかはわからない。拓海はサイを握ると、丼にむかって力強く投げつけた。
 明らかに力の加減を誤っている。
 三つあるサイのうち、ひとつが丼から飛びだしてしまった。
 ヤクザたちが大きな笑い声をあげた。
「なんや兄ちゃん、トーシロやったんか。丼からサイがでたら〝ションベン〟ゆうてな、即負けになるんやで」
 と右隣のヤクザが拓海を諭す。
 拓海の前におかれた一万円が、右隣の男の手もとへと消えた。
 しかし、龍介も、新十郎も、拓海も冷静だった。よく見ると、ヤクザたちのなかでも格上のサングラスだけは真剣な表情をしている。
 当然、ミリは納得がいっていない。
「どういうことよ。負けちゃったの。緊張してるんじゃない」
 龍介はシッと唇に人差し指をあてて、ミリを黙らせた。
「勝負に勝つために、試合に負けてやったんだよ」
 ミリは首を傾げた。意味が理解できないらしい。
「まァ、見てなって」
 次の勝負、拓海は十万円を賭けた。周囲のヤクザたちが拓海の顔を睨みつける。拓海は能面のように表情をかえない。
 親が、三三五という強い目をだしてきた。子方の勝ち目は薄い。
 やがて拓海にサイ振りの権利がまわる。
 拓海はサイを、丼のなかに落とした。前回とちがって、肩にまったく力が入っていない。
 チンチロリン――
 丼のなかで、サイがじゃれあうように踊った。
 サイがとまる。目は、揃った。
 四五六。
 ヤクザたちが唸り声をあげる。四五六は相手の賭け金を倍取りできる。
 自然の力から生みだされる〝ツキ〟というものは、不自然な人工的行為に弱い。このまま不利な流れで勝負していくのは分がわるいと、拓海は感じたのだろう。つまり、拓海の〝ションベン〟は故意によるものにちがいない。強引に流れを歪ませようとしたのだ。
「拓海らしくねえなァ。強引すぎるんじゃねえの?」
 龍介は内心で感嘆していたが、心とは裏腹に拓海のくりだしたサーカス芸をなじった。
 親から二十万の金を受けとった拓海は、龍介に顔をむけた。そして口角をあげた。
「緊急事態なんだ。一気にいこう」

 三十分ほどが経った。勝負の主導権は拓海の手中にあった。
 チンチロリン――
 拓海の振ったサイが丼のなかで転がる。ひとつがとまり、五。もうひとつがとまり、五。最後のひとつがとまる。五。
 五五五。
「ゾロ目です」
 親の拓海が、勝負の流れを決定づける目をだした。ヤクザたちが舌打ちをする。札に唾を吐きかけて渡してこようとする小物もいる。
「ゾロ目は三倍取りでよかったですか」
 拓海がそういったとき、ヤクザたちの動きが一瞬とまった。
 龍介は敏感にその間を察知して、拓海の肩に手をおいた。
「拓海、どうやらハウスルールがあるっぽいぜ」
 ハウスルールとは、一般的ではない、その賭場独自のルールのことだ。
龍介は背後に立っている胡麻塩頭にむかって、
「ゾロ目のルールを教えてくれよ」
 といった。
 胡麻塩頭は下唇をつきだして、不服そうな顔をした。首のあたりを指で掻きながら、
「ゾロ目は、出た目で倍にするんや。ピンゾロやったら、十倍……」
 と答えた。
 龍介は口笛を吹いた。
「てことは、拓海のだした五のゾロ目は、五倍取りってことだな!?」
 大収穫だ。今回だけで二百万ほどの金がヤクザたちから入ってきた。拓海は掻きあつめた金を、手際よくズクに分けていく。
 拓海の手もとにある金は五百万近くになった。最初の軍資金、百万足らずを差っぴいて、四百万ほどの浮き。すでに新十郎の負けは取りかえしている。
 気を抜いてはいけない。安心して気持ちが守りに入ってしまうのが情というものだ。博打用語で「里心がつく」という。それだけは避けるように、精神をコントロールしていかなければならない。状態をニュートラルにもどしてからが、本当の勝負なのだ。博打とは、勝たなければ意味がない。腹八分目など、存在しない。
 拓海もそれはわかっている。首をまわしてリラックスし、次戦に臨もうとしている。
「拓海」
 と龍介は呼びかけた。
 集中の糸を切らしたくない拓海が、鬱陶しそうに龍介を振りかえった。
「……なんだよ」
 人差し指を立てて、龍介は自分を指差した。
「おれにかわってくれよ」
 拓海が眼鏡を指で押しあげた。
「わかってるのか。いまが正念場なんだ」
「拓海ばっか、ズルいぜ!」
 不貞腐れた龍介は仰向けに転がった。
「おまえ……子供か」
 ミリはため息をつきながらも、そんな龍介を微笑ましく見ている。新十郎はあらぬほうをむいてタバコの煙を吐きだしている。
「だいたい、流れを掴んでるのに、じっくりいきすぎなんだよ! はじめのションベンの勢いはどこにいっちまったのやら……」
「おまえみたいに無謀な賭けはしないんだ。僕は博打を舐めることだけはしたくないからな」
 龍介は身体を起こした。
「……拓海」
「まだ文句があるのか」
「口喧嘩なんてしてる暇あんのか?」龍介はしたり顔になった。「おれはもう、おまえの集中の糸は切れちまったと思うなァ」
 拓海は押し黙った。
 龍介は拓海の身体を引っ張って、後ろに退かした。
「選手交代のいいタイミングさ。おれに任せなさいって。バカ勝ちしてやっからよ」
 龍介はシャツを腕まくりした。
「……親は続行だ。好きにしろ」
 と拓海はついにあきらめた。
 ヤクザたちが闘争本能を剥きだしにして、龍介に鋭い視線を投げてくる。
「バカ勝ちやと? ええ度胸しとるやないけ」
 龍介は手を叩いて鳴らした。そして両方の手のひらを、皆にひらいて見せる。
「さァさァ、みなさん! よってらっしゃい、張ってらっしゃい! 真打ち、葉月龍介の登場ですよォ!」
 煽りに煽る。ヤクザたちも、ここで勝負にいかないでは男が廃る。
 全員が、怒ったように札束を前に叩きつける。百万を賭ける者もいれば、二百万を賭ける者もいる。見たところ、賭け金の総額は、一千万近い。
「龍介! 負けたらどうするんだ」
 背後で拓海が焦っている。
 龍介は首だけ振りむいて、拓海にウィンクした。
「おれをだれだと思ってんの。究極のギャンブラー、龍介サマだぜ」
 拓海の顔は引きつっている。
「早よ振らんかい。クソガキ」
 威嚇してきたのはサングラスの男だ。
 龍介は前にむきなおった。
「あんたには借りがあるからな。返してもらうぜ」
 龍介は目の前におかれた三つのサイを手に取った。手のなかでじゃらつかせる。サイに念でも送るように、弄ぶ。
 ヤクザたちの視線が集まる。背後からは、拓海、ミリ、新十郎の視線も感じる。
 全員の視線をひとり占めだ。
 龍介は思う。博打の醍醐味は、いつだって、自分がその場の主役にいれることだと。
「いくぜ――ッ!」
 フッと、龍介はサイに息を吹きかけた。丼に手を入れる。サイを落とす。
 チンチロリン――
 耳鳴りを起こさせるような、金属質の音が響きわたる。
 回転の速度がじょじょに落ちていく。ゆらゆらと揺れながら、サイが停止の合図をだした。
 ひとつ目がとまる。一。
 ふたつ目がとまる。一。
 皆が息を呑んだ。最後のひとつは――
「きゃあっ!」
 ミリが声をあげた。
 サイが完全にとまる。目は揃った。
 一一一。
「ねぇねぇ! これって、すごいやつじゃないの」
 ミリが夢中で、新十郎の身体を手で叩いている。
「わるいけど、あんたらとおれらじゃ、勝負に対する気合いがちがうんだ」龍介はヤクザたちにいった。「ピンゾロは十倍だから……げげっ、すげぇ額だ。あんたら、破門かもね」
 賭け金一千万の十倍は、一億。目も眩むような額だ。いまから龍介たちは大金を手にする。
 ヤクザたちは黙っている。だれひとり、動かない。
「うげ、すげぇ額だ……うげ……」
「龍介?」
 後ろから、拓海が龍介の肩に手をおいた。
「うげ……」
「どうしたんだ」
 拓海が龍介の背中を叩いた。
「なっ! 拓海……背中はヤバい……うげっ!」
 龍介は前に手をついて、小間物屋を開いた。ぴちゃぴちゃと音を立てて、ちょうど丼のなかに、吐瀉物がたまる。
 まわりは唖然とした。
 サイはヘドのなかで、見えなくなった。三つのサイが浮かびあがってくる。
 サングラスが無表情のまま、龍介たちの背後にいる胡麻塩頭にむかって顎をしゃくった。
「サイを確認せえ」
 胡麻塩頭が龍介の後ろから手を伸ばした。丼を持ちあげる。龍介は振りかえった。胡麻塩頭が顔を顰めて、丼のなかに指を入れ、サイを取りだす。
 でてきたサイは、浮かびあがった三つだけではなかった。底にも三つのサイが沈んでいた。
 サイが、合計六つ。
「なんで、六個もサイが――」
「逃げろ!」
 龍介は叫ぶと同時に、立ちあがり、胡麻塩頭の腰のあたりに体当たりをかました。低い声を漏らし、胡麻塩頭が倒れる。
 拓海が部屋のドアを開けた。新十郎がミリをつれて、素早く部屋をでた。拓海も抜けだす。龍介は胡麻塩頭の顔をスニーカーで踏んづける。部屋を脱出した。
 嘔吐に引きつづき、予期せぬ龍介たちの行動に、ヤクザたちの反応は遅れたようだ。
「待たんかい! タダですむと思うとるんか!」
 ヤクザの怒鳴り声が背中に突き刺さる。
 龍介たちは麻雀事業連盟を飛びだした。
 飛びだした瞬間、龍介は背後から肩を掴まれた。振りむく。
 口から血を流した胡麻塩頭が、鬼のような形相をして立っていた。なかなかの根性だ。
「この、クソガキィ!」
 胡麻塩頭が丸太のように太い腕を振りかぶった。龍介の顔面にむかって拳を叩きつけようとする。
 龍介は冷たく笑った。
「ばーか。ガラ空きだよ」
 龍介は爪先で胡麻塩頭の金的を蹴りあげた。
 ぐっ、と胡麻塩頭は呻き、俯いた。振りかぶっていた腕もさがり、股間を必死に押さえつけた。
 両手を目の高さに構えて、龍介はファイティングポーズを取った。
 反射的に胡麻塩頭の顔があがる。
 肩を入れた右ストレートを、龍介は胡麻塩頭の顔面に打ちこんだ。
 一撃ノックアウト。またも情けない悲鳴をあげて、胡麻塩頭は白目を剥いた。仰向けに倒れる。
「わるいねえ、ハウスルールを教えてもらったのに」
 龍介は握っていた拳を解いた。口内に残っていた吐瀉物の残滓を足もとに吐いた。
 後続のヤクザたちが、賭場部屋をでてくる気配がした。のんびりしている暇はない。
「あのサングラス野郎にいっといてくれ。明日、決着をつけようってな」
 意識があるのかないのか定かではない胡麻塩頭にそういい残し、龍介は階段を駆けおりた。
 ビルをでる。先に行っていた拓海、新十郎、ミリに追いついた。駅まで、四人はひた走る。
 龍介は走るミリの横に並び、
「女の子なのに、男並みに走れるんだなァ。陸上部だったとか?」
 とミリに話しかける。
「まあね……ってバカ! そんなこといってる場合じゃないでしょ!」
 龍介は振りかえる。
 ヤクザたちがビルからでてきたところだった。
 顔を前にもどす。
 駅の構内に入った。エスカレーターを駆けあがり、HAT神戸側の出口から、もういちど駅を飛びだす。会社帰りのサラリーマンを狙っているのだろう、タクシーが一台とまっていた。龍介は手をあげる。タクシーの運転手が龍介たちに気づき、いったい何事か、とでもいうような顔で、すぐさまドアを開いた。助手席に新十郎が乗る。残りの三人は、リアシートにおさまった。
「神戸の南京町まで……あ、いや、今日は普通に帰ったらヤバいから、花隈あたりまでヨロシク!」
 車は急発進した。窓外に、時化た町並みが通りすぎていく。
 龍介は後方を確認した。追手はいない。
「ふぅー。助かったァ」
「どういうことなのよ。勝ったのに、いきなり吐いて……」
「グラサイや」
 助手席に座る新十郎が、前をむいたまま、いった。
「サイを投げる前に、息を吹きかけたやろ。あそこでサイがすりかわったんや」
「大正解! さすが新ちゃん」
「もともと使ってたサイは、龍介の口ンなかに入った。振ったサイは、一の目しかでぇへんグラサイ。せやけど、いつの間にグラサイを調達しとったんや」
「じつはさ……へへへ」
 龍介は悪戯っぽく舌をだした。
 新十郎は龍介を振りむく。
「おまえ、まさか……」
「バレた? あれは和也がおいていったグラサイだぜ」
 新十郎が前をむいた。よほどあきれたのか、黙りこんだ。
 拓海が口を開いた。
「喉につまらせて吐かなければ、億近い実入りだったのにな……まあ、いずれにせよ外に出るのは容易ではなかっただろうが」
「そんときは、全員殴り飛ばして脱出してたさ」龍介はジャブを打つ真似をした。「おれは何百億でも勝って、やつらをぶっ潰すつもりだったぜ」
「だったら、やっぱりおまえにかわらず、僕がじっくり喰いついてやっていれば――」
「もう! また喧嘩? やめなさいって」
 ミリがふたりを静めた。
 その後、新十郎が賭場の金を持ち逃げしたという話が嘘だった、ということを龍介はミリに話した。ミリは怒るようなこともなかった。
 フェイブル・コーポレーションがある元町の隣駅、花隈でタクシーをおりた。今夜はビジネスホテルで睡眠をとることにした。ミリと新十郎が二人でダブルの部屋をとったのを、龍介は羨ましそうに見ていた。
「おい! 明日は大勝負なんだ! あんまり夜更かしすんなよ!」

 翌朝。四人は示しあわせて、ホテルを抜けだした。南京町の雑居ビルには、ダイヤルロック式の裏口がある。さらに従業員用エレベーターを使えば、たとえヤクザたちが見張っていたとしても、鉢合わせになることはない。
 四人は無事、フェイブル・コーポレーションに帰っていった。外は人通りも激しくなっていた。ヤクザもしばらくは寄りつかないだろう。
「ああ、腹減ったァ! なんか頼むかァ」
 龍介がスマホをとりだして、北長挟通りにある中華料理屋に出前の注文をした。
「龍介、ちゃんと皆の分を注文しただろうな」
「あっ、そうか、また電話しねぇと――」
 と龍介が皆の顔を見わたした。
 新十郎が暗い顔をして黙っていた。新十郎とミリは、洋間のテーブルの前に座っていた。
 龍介は左右のポケットから金を抜きだした。テーブルの上にほうる。五百万ほどの札束だ。
「ほら。新ちゃんの金だ」
 新十郎は視線をあげて、龍介を見た。
「おまえらの勝った金や。受けとれへん」
「おれたちは新ちゃんのために戦ったんだぜ」
 新十郎が俯いた。龍介は鼻から息をだした。
「受けとってくれ。おまえはおれらが雇ってる代打ちで、大事な仲間だ。代打ちの仕事をこなすには、日ごろから調整もしとかなくちゃダメだろ。この金は、その経費にでも使ってくれりゃァいいんだ」
 そのとき、刺すような拓海の視線が飛んできた。おまえはなにもしてないだろ……と咎めるように。
 新十郎は龍介から目をそらした。テーブルの上の札束を掴む。
「ほんなら――」
 新十郎が札束を持ちあげる。そして、龍介にむかって差しだした。
「この金は、おれが、おまえらにやる。運営資金に使ってくれや」
 新十郎が照れくさそうに言葉をつづける。
「おれはフェイブル・コーポレーション専属のギャンブラーやからな」
 龍介は満面の笑みをうかべた。
「へへっ。じゃあ、ありがたく使わせてもらうぜ」
 龍介はまた金を左右のポケットにねじこんだ。
「さて――本題だ」拓海は腕を組みながらいった。「間違いなく、麻雀事業連盟は今日もやってくる。龍介が挑発までしたからな。問題は、どう迎え撃つかだ」
 かねてから龍介たちの賭場に麻雀事業連盟の連中が脅しをかけにやってきているということを、新十郎はミリに説明した。
「あいつらは上納金を絞りあげると同時に、客もビビらせて、この賭場を潰そうとしとるんや」
「……大変な状況なのね」
 ミリがしみじみという。
 当初は新十郎に博打をやめさせるためにやってきたミリだったが、いまでは龍介たちの仲間となっている。
 パチン! と龍介は指を鳴らした。
「そうだ! おれたちだけじゃねえ、お客さんだって仲間だ! みんなであいつら、ぶっ潰そうぜ」
 そういうと、龍介は和室の隅に移動した。皆が怪訝な表情をして龍介の動きを見ている。龍介は碁盤を一台持ってくると、和室の中央においた。最近は碁の人気がさがっていた。碁盤の上には埃が溜まっている。
「龍介」
 拓海が呼びかけたが、龍介は応じない。つづいて二台目、三台目と碁盤を和室に運びこんできた。黒石と白石の入っている碁笥を、それぞれ碁盤の上におき、碁盤の前には座布団を敷いた。
「新ちゃんは、碁、打てたっけ」
「当たり前や。碁も博打のひとつやからな」
 暗いムードを払拭するかのように、龍介はにやりと笑った。
「連絡をとって、お客さんをできるだけ、集めるんだ」
「それでどうしようというんだ」
 と拓海が訴える。
 新十郎はくつくつと笑いだした。
「龍介、おまえのしたいことが、わかったで。おもろいこと考えるな」
 龍介が新十郎にむかって微笑みかえす。
 拓海もようやく龍介の意図に気がついたようだ。
「客も仲間か……なるほど」
 ミリだけが不思議そうな顔をしたままだった。
「拓海が碁盤を持ってきてくれたおかげで、ヤクザにも対抗できるんだ」龍介がいった。「大勝負になるぞォ!」

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