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【小説】フェイブル・コーポレーション 第五話

 もう何ヶ月も家には帰っていなかった。高校の卒業アルバムを取りに、龍介は自宅へ帰ることにした。
 電車で宝塚へとむかった。宝塚では有名なとある神社の近くに、何棟ものマンションが連なるようにして建っている一角がある。
 龍介の自宅のマンションは、バブル期に建てられたらしい。派手な外観を見れば、まわりのほとんどの人間は、いいところに住んでるなあ、と勘違いする。
 マンションの門をくぐった。エレベーターに乗り、最上階の六階でおりる。
 ポーチつきの角部屋である六〇一号室に向かった。黒塗りのドアの鍵穴に鍵を差し入れ、ドアを開いた。
「帰ったぜー」
 スニーカーを脱ぎ捨てて、龍介はリビングに入った。
 父親がのんきにテレビを見ていた。龍介の気配に振りかえる。
「おう、龍介か。ひさしぶりやな」
「親父、会社は? 今日、日曜だっけ」
「おれの休日は不定期やねん」
 龍介の父親は、保険屋だ。龍介が生まれたころは、勤め先の会社で業績ナンバーワンのエリートだったらしい。会社からのご褒美として、海外旅行の家族宿泊券をプレゼントされたりもしていた。幼いころの龍介はよく海外に連れていってもらったものだ。
 そろそろ五十路の坂に差しかかろうとしているはずの父親は、いまでは完全に落ちぶれている。バブルがはじけたあとも、毎晩のように高級クラブで遊んで、博打も打っていた父は、多額の借金をこさえた。会社での業績も落ち、挙句の果てには解雇された。仲間と新たな保険会社を立ちあげたらしいが、やはりうまくいっていないようだ。しかし、風貌にはその凋落はあらわれない。髪の毛は黒々としているし、五歳は若く見える。
「龍介はここ最近、どこ行っとったんや」
「旅打ちしてて――」龍介は言葉を切った。「そうそう、おれ、会社を興したんだ」
「会社? なんの会社や」
「ギャンブルの会社」
 父親は高笑いをした。
「ええなァ! 若いから、なんでもやったらええ。サラリーマンとかになっても、つまらんからな」
「親父なら、そういうと思ったぜ」
 龍介は親指を立てた。
 台所から、母親が居間に顔をだした。
「龍介、帰ってたん?」
 いまから仕事にでかけるのだろうか、母親の顔はしっかりとメイクが施されている。
 父親の稼ぎだけでは到底生活はできないので、母親は水商売をやっている。四十代後半だというのに、勤めているラウンジではいちばんの稼ぎ頭らしい。
 母親は、目が大きく、外国人のような顔立ちをしている。問題の皺は、得意の化粧でカバーされている。
「こいつ、ギャンブル会社を興したらしいで」
 父親が母親にむかって嬉しそうにいった。
「ギャンブル会社……? 龍介、そんなん私にいわんかったやないの」
「いうの忘れてたんだよ」
 龍介は面倒くさくなって、投げやりにいった。
「ひとりで会社を?」
「いや」
「ちょっとォ」母親が居間にまででてきた。「なんでそんな鬱陶しそうやの。大事な話でしょ。ちゃんと話して――」
「うるせえな!」
 龍介は怒号を飛ばした。
「おい!」父親が口を挟んだ。「喧嘩はやめとけ。あんまお母さん困らせんなよ」
「困らせてるのはだれだよ」
 龍介の口が滑った。
 そのときだ。父親が立ちあがった。
 瞬く間に父親の右の拳が飛んできた。龍介の鼻先を掠めた。龍介の血が沸き立つ。
「さすがやな、龍介。中高大とラグビー部やったおれの鉄拳をかわすとは――」
 能書きを並べ立てようとした父親の顔面に、龍介の右の拳がめりこんだ。
 父親が吹っ飛び、背後に立っていた母親といっしょになって倒れた。
「おれは忙しいんだよ!」
 母親が、倒れている父親を脇にどかして、
「……で、だれと会社をするんよ」
 目をまわしている父親には見向きもせず、龍介に迫った。
「拓海だよ。しつこいな」
 いいながら龍介は居間にある本棚の前にしゃがみこんだ。
「拓海……ああ、長井くんね。中学からいっしょの子でしょ? あの、一世代前の男前ってかんじの……」
 母親を無視し、龍介は本棚を引っ掻きまわして、卒業アルバムを探した。
「じゃあ、拓海くんが、会社を興すお金をだしてくれたん?」
 尚も母親が訊いてくる。
「ん? んー、そうそう」
 伸びていた父親が仰向けに倒れたまま、突然、口を開いた。
「お母さん、やっぱ龍介を私学に入れてよかったなァ。金持ちの知り合いが多くなるんや」
「……あんた、そんな理由で龍介を私学に入れたんか」
「そうやで。そのおかげで、龍介も立派な関東弁をしゃべるようになったやろ。おれらとちがって」
 龍介は卒業アルバムを見つけた。開く。後ろのほうに、卒業生全員の氏名、住所、電話番号が載ったページがある。
「じゃあ、おれ行くから」
 龍介はアルバムを小脇に抱えた。居間を抜け、スニーカーをはいた。
「たまには帰ってきぃよ」
 母親が心配して声をかけてくる。
 龍介は自宅をあとにした。

 三日後。平日の昼間だった。洋間のソファに龍介は寝転がっていた。そばのテーブルには拓海がついていた。
 ステレオコンポには、龍介が買ってきたチャールス・ミンガスのアルバム『ユニーク』がセットされている。ちょうど、フェイブル・コーポレーションの名前の由来となった「フェイブルズ・オブ・フォーバス」という曲が流れていた。
 曲がはじまって十秒ほどが経った。
「このバージョンは、はじめて聞いた……」拓海が唸るようにいった。「ラテン調からスイングするところがたまらないな」
 ソファに身体を横たえたまま、龍介は拓海に顔をむけた。
「さっすが、いい耳してるじゃん」
「スイングとラテンフィール、8ビートが、行ったり来たりしている」
「ん? んー……まァ、そういうこった」
 拓海は龍介を横目で見た。
「おまえ、なにもわかってないだろ」
「……わ、わかってるよ! スイングってのは思わず首を揺らしちまうような軽快なリズム、ラテンフィールってのは思わず腰を振っちまうような情熱的なリズム、8ビートってのは……ほら、あれだろ。わさわざおれに説明させるな!」
 拓海はあきれたように首を振り、
「ミンガスのベースだけじゃない。ドラムが曲の雰囲気を完全に左右している」
 と、また音楽に集中しはじめた。テーブルの上に置いた手で、ピアノでも弾くかのようにリズムをとっている。
「へん、偉そうに! だいたいドラム以外にだれが曲の雰囲気までかえられるってんだ」
「わからんやつだな」
 ふたりは罵りあいながらも、楽しんでいた。暇な時間さえあれば、こうしてジャズを聞いて、感想をいいあっている。
 突如、家のチャイムが鳴った。
 龍介は緩んでいた顔を引き締めた。寝返りをうち、拓海から顔をそむける。
「拓海、でてくれ。おれァ忙しい」
「どこが忙しいんだ。そもそも、おまえが呼んだんじゃないか」
 拓海は文句をいいつつも、スピーカーから流れているCDをとめた。そしてインターホンにでた。短いやりとりがあった。
 拓海は玄関へむかった。龍介はもういちど寝返りをうち、拓海の後姿を目で追った。
 龍介は拳を噛んだ。
 拓海がもどってきた。彼とともに洋間にあらわれたのは、ひとりの青年。ミリタリージャケットを着こなしている。だらしない長髪。無精ひげ。猫背。野性的な雰囲気を感じさせる男――加賀新十郎だ。
 龍介はいまだにソファにごろ寝したままだ。
「龍介、起きたらどうなんだ」
 もどかしそうに拓海がいった。
「ん、ああ……」龍介はゆっくりと身体を起こした。「ひさしぶりだなァ、新十郎」
 新十郎は無言。
「なにか、酒でも飲むか」
 拓海の問いかけに、新十郎はようやく重い口を開けた。
「いや、酒はええ。なんもいらん」
 拓海は口を尖らせて、テーブルについた。新十郎も拓海の斜向かいの席につく。つづいて龍介は新十郎の対面。三人が互いの顔を見わたせる位置に座った。
「なんの用があって呼んだんや」
 独特の掠れた声で、新十郎がいった。
「新十郎、高校以来の再会じゃないか。愛想がないな」
 と拓海が失笑した。
「おれは当然のことを聞いとるんやで」
 龍介は黙っている。拓海がちらりと龍介をうかがってから、あらためて新十郎に顔をむけ、
「いまは、なにをしてるんだ」
 と訊ねた。
「博打や」
「やっぱり昔からかわらないな」拓海は一呼吸おいた。「いま、僕と龍介は、この部屋で賭場を開帳してるんだが――」
 それを聞いた新十郎の目の色がかわった。
「……で?」
 話に喰いついてきた新十郎に、拓海の顔が和んだ。
「厄介者が入りこんだ」拓海は本題を切りだした。「和也という子どもだ。いままで賭場は順調に来てたんだ。回銭もめったにでなかった。それが和也のおかげで客たちの隊列が乱れはじめた。そいつがお得意さんの金を吸いとりはじめたんだ。いまじゃ回銭は毎日でてる」
 新十郎は目を細めて、椅子の背もたれに肘を乗せた。
「回銭は、でればでるほど賭場は活気づくやろ」
「それはそうだが、僕たちは賭場を長持ちさせたいんだ」
 龍介が黙りこんでいるから、いつもは言葉少なな拓海も多弁にならざるをえない。
「ふうん――」新十郎は顎に生えている無精ひげをいじった。「おれにそいつを退治しろっていうんやな」
「それもあるが、いちばん重要なのは、客たちの隊列を乱さないことだ。おまえが和也を潰す過程で、他の客が先に潰れたら本末転倒だ」
「わかる。せやけど、それやったら、弱っとる客におれがわざと負けてやるっちゅう局面もでてくる。むしろ和也だけ潰して他の旦那連中を浮かすことに一心しとったら、おれの収支がマイナスになる日もでてくるやろな」
「だから、おまえを裏メンバーとして雇う。軍資金は僕たちが用意する」
 新十郎は依然として無表情だった。
「ギャラはなんぼや」
「一ヶ月のテラ銭から、賭場に関する経費を抜いた金額の、三分の一」
 新十郎が軽く口角をあげた。
「なんやなんや。この、フェイブル・コーポレーションって名前やったっけな。ここにおれも所属させようっちゅう話か」
「話が早い」
 と拓海がうなずいた。
「最近、神戸だけやのうて大阪まで、雀荘の客が減ってきたなって感じとったんや。おまえらのせいやったんやな」
 新十郎は息を吸いこんだ。
「ええやろ。一肌脱ぐわ。むしろ、うまい話や。なんせ街場の甘い客がほとんどフェイブル・コーポレーションに盗られてもうたって話やから」
 拓海が満足そうな笑みをうかべた。
 新十郎はテーブルに肘をついた。
「ここの種目はなんや。雀卓は見えへんけど」
「ホンビキとダイスが主だ。賭け碁も打たせる。テラは胴の儲け二割。碁は勝ち金の二割」
「OK。ただ、契約の前にひとつ、おれから条件をだしたい――」
 逆に拓海が身を乗りだした。
「なんだ」
「おまえらとちごうて、打ち手で働くおれの取り分がテラの三分の一やったら割にあわへん。せやけど、分け前を増やせ、とはいわん。軍資金はだしてもらうけど、一回の盆ごとにおれが浮いた場合は浮き分をポケットマネーで頂戴する」
「かまわない。だが、仕事は真面目にしてもらう。旦那衆の隊列を乱すな。勝ちすぎる客をつくるな。この二点を踏まえた上でおまえが勝ってくれれば、元金はもどってくるんだからおいしい話――」
 拓海は息を継いだ。
「ただ、胴をやるのは極力拒否してくれ。周囲から不自然に映りそうなら、一、二回やってもいいが、胴は基本的には流せ。代打ちのおまえからテラを取るなんて、バカらしい。それに――」
 拓海はさらにつづけた。
「胴を引かなくたって、新十郎には浮く実力がある」
 新十郎はすでに話に興味がなくなったように、背もたれに身をあずけた。
「長いスパンで見て、旦那衆を潰さん。勝ちすぎる客はつくらん。胴をなるたけ引かん。この三点やな」
 新十郎は席を立とうとした。
「はい、契約完了――」
「その前に!」
 龍介はいった。
「なんや」
 新十郎は冷めた顔つきで龍介に問いかける。龍介は新十郎に顔を近づけた。
「おまえは高校時代、ある意味、博打打ちのドンだったぜ。だけどよォ、そりゃ五年も前の話だよな。いまのおまえの実力を知りたいぜ。いまとなってはボンクラってんじゃァ、どうしようもねえ」
「待て、龍介」拓海が慌てたように口を挟む。「新十郎とは僕が裏メンのころに打って、健在だったといったじゃないか」
 立ちかけた椅子に座りなおし、新十郎は真正面から龍介を見すえた。
「ほんなら、おれはどうすればええんかな」
「おれと差しで勝負してもらうぜい、新十郎。入団テストだ」

 拓海は舌打ちをした。
「なにもしゃべらないから、なにか企んでいるとは思っていたが……そういうことだったか」
 龍介は舌をだした。
 新十郎は拳をつくって骨を鳴らした。
「差し勝負か――ええで。種目はなんや」
「そうだなァ。サイ六つのポーカーダイスなんてどーよ」
「かまへん。その勝負、金でも賭けるんかい」
「いまさら金を賭けるなんて、ヤボじゃね?」龍介も拳をつくって、自分の胸を叩いた。「賭けるとしたら、お互いのプライド、じゃねえの」
「……どっちがヤボか、おれにはわからんけどな。まァええわ、受けるで」
 高校時代、だれよりも負けず嫌いであることを自負していた龍介は、新十郎に幾度となく勝負を申しこんだ。しかし、新十郎は一顧だにせず、龍介との勝負を受け流した。龍介、拓海、新十郎の三人はいずれも一流の博打の腕を誇っていたが、けっきょくのところ、だれがもっとも強いのか――龍介は決着をつけたかった。いまとなっちゃ新十郎はボンクラなのかも……と龍介はいったが、そんなことは毫も思っていない。新十郎と差しの勝負が打てる、千載一遇のチャンスを逃さないためにつけた名目にすぎない。
 拓海はあきれた表情をうかべながらも、立ちあがり、テーブルに布を敷いた。そして六つのサイと、ダイスカップを持ってきた。
 テーブルには龍介と新十郎が対座したまま。拓海は脇に椅子をかまえて観戦する。
 六つのサイを使用するダイスポーカーは極めて変則的であり、一般人には親しみがないはずだ。五つのダイスポーカーと違う点を挙げると、ダイスが六つになった分だけ役が増えること。あとは一をオールマイティで使うことはできないということだ。
「まずは先攻後攻を決めるダイス振りだ。おれからいくぜい」
 龍介は一個のダイスをカップで掬う。
「くぅー、ひさしぶりの勝負だ! ドキドキするぜ!」
 龍介は勢いよくカップを開けた。
 一。
 先攻後攻を決めるために、まずは双方ひとつずつサイを振り、大きい数字をだした者が先攻を取る。
 新十郎の顔が、冷淡な勝負師の顔つきになった。新十郎も、サイをカップで掬い、さっと開く。
 一。
「もう一丁やな」
 龍介はもういちど、サイを振った。でた目は一。新十郎も同じく振りなおすが、こちらもまた目が一だ。
 今回のポーカーダイス勝負では後攻を取るほうが有利だ。一流同士の戦いにおいては、相手の出方を見られる後攻が圧倒的有利なのだ。
 双方とも一の目しかださない。
 五回目の振りなおしで新十郎が一をだしたとき、龍介は声をあげて笑った。
「こんなとこで勝負してどうすんだよ! コインを投げて決めようぜ」
 けっきょく、先攻後攻はコイントスでの取り決めとなった。先攻は、龍介となった。
 龍介は六つのサイを掬いあげ、ガラッと振った後、カップを伏せた。サイの出目操作も、ものが六つとなれば圧倒的に難易度が増す。じっくりと手に持ったカップの感触をたしかめるように、カップを開けた。
 三三三五五五
「ツインだ」
 こんどは新十郎が表情ひとつかえず、ダイスカップを手にする。サイを振った。カップを開ける。
 二二二四四四
「四のツインか。おれの負けや」
「へへっ、おれサマにむかって、いい度胸してるぜ」
「負けたやつが、次回は先攻になるんやったな」
 新十郎はなんの動揺もなく、ダイスカップをまた手に取った。
 動揺したのは龍介のほうだったかもしれない。新十郎のツインは、龍介に対する無言の宣戦布告だ。龍介のだしたツインよりワンランクだけ下のツインを、新十郎は意図的にだして挑発しているのだ。
 新十郎はまた六つのサイを掬いあげ、さっと振った。
 四四四五五五
「ツイン」
「あんな僅差で負けた後にしちゃァ、またいい目をだすなァ。次、おれね」
 龍介がダイスカップを手に取り、ダイスを振って目をだす。
 四四四五五六
「あらら、四のフルハウスだ。負けだな。次はおれの先攻」
勝負のテンポが速まってきた。
 サイを操作できる者同士の戦いの場合、序盤の勝ち負けなど、どうでもいい。いかに相手の心を揺さぶるか――勝負の焦点はこの一点に絞られる。サイの操作は精神力を削る行為だ。龍介の今回の目は、新十郎の目からワザとひとつ、外したもの。初戦の新十郎の挑発に対するお返しだ。
 先攻になった龍介は素早くサイを掬いあげ、カップを開けた。
 二二三五六六
「六と二のツーペアか」
 おや、とでもいうように、勝負を観戦している拓海が首を傾げた。出目にインパクトがない。
 受けて新十郎もサイを振り、ダイスカップを開けた。
 二二二三五六
「スリーズやな。おれの勝ちや――」
 拓海が、黙ってうなずく。彼の疑念は氷解した。一戦目と二戦目で、互いの挨拶は済んだのだ。どちらも今回は無造作にサイを振っただけ。裏技なしの平勝負で様子見だ。
 現状で龍介が一勝、新十郎が二勝。
 
 ポーカーダイス勝負は三十分が経とうとしていた。部屋にはサイの音のみが響いている。勝負は渾沌としている。龍介の目には、テーブルの上に闇のベールが覆いかぶさっているように見えた。
 一回一回の勝負の勝ちを紙に記している。龍介が十二勝、新十郎が十二勝。並んでいる。
 先攻の新十郎がサイを振った。
 一二三四五六
「ストレートや」
 勝負は天王山を迎えていた。
「よおし、おれの番だな」
 龍介はサイを掬いあげた。カップをゆっくりと開く。
 四四四四四四
「オール! おれの勝ちだな」
 龍介は紙に自身の十三勝目を記した。新十郎の顔をうかがってみる。彼の目は真っ赤に充血していた。おそらく、自分の目もそうなのだろうと、龍介は思った。
 龍介は拓海に顔をむけた。
「静かすぎて気持ちわりぃなァ。拓海、なんか音楽でも流してくれよ」
 拓海が立ちあがろうとした。
「余計なお世話や」
 新十郎が卓上から目をそらさずに、拓海を制した。
 龍介はため息をついた。
「まったく、ガンコだなァ、新十郎は。おまえの先攻だぜ」
 新十郎は六つのサイを掬いあげる。音もなくカップを伏せた。開いた。
 龍介は息を呑んだ。
 一一一一一一
「オールや」
 ポーカーダイスにおける常識として、一のオールは六のオールに勝る、最強役だ。対抗するためには龍介も一のオールをだして、引き分けにするしかない。
 龍介はカップを手に取った。六つのサイを掬いあげる。卓上にカップを伏せた。そのとき、龍介のカップを持つ右手が少し動いた。
 龍介は舌打ちをした。
 目が公開される。
 一一一一一五
「ぬぅ……ファイブ。おれの、負けだ……ッ!」
 成績表に、新十郎の十三勝目が記される。またも並んだ。次の勝負は龍介の先攻だ。龍介は自分で自分の顔を平手打ちし、ダイスカップを手に取った。サイを振り、目をオープンする。
 一一一二四五
「一の……スリーズ!」

 後攻の新十郎は依然として無表情のままサイを振り、鮮やかな手つきでカップを開けた。
 二二二三五六。
「二のスリーズ。おれの勝ちだ」
 以降の勝負の流れは速かった。サイの操作には極度の集中力を使う。BGMを拓海に要求したことをきっかけに、龍介の集中力は切れてしまった。龍介のだす目は狂いだした。対して極限の集中力を保ちつづけている新十郎には、万にひとつも投げミスはない。龍介のだした目のひとつ上の目をだしつづける。
 龍介がサイをカップのなかに入れようとしたときだった。
 部屋のチャイムが鳴った。
 拓海が立ちあがる。洋間をでて、インターホンにむかった。
「ん、客が来たのか――」
 龍介はつぶやいた。カップからサイがこぼれ、床に落ちて転がっていった。
 束の間経ち、拓海がもどってきた。
「やれやれ、新聞の勧誘だったよ。断っておいた」
 龍介は顔を伏せ、肩を揺すった。顔をあげ、大きく笑った。
「ヤメる! アヤがついた!」
 新十郎もやっと脱力したように、深く長いため息をついた。
「おれが二十勝、龍介が十三勝。どうや、おれを雇う気になったか」
「これで雇わねえっていうほど、おれは落ちぶれちゃいねえよ」
 新十郎は席を立ち、ソファに仰向けになって寝転んだ。
「客が集まるのは夜やろ。それまで寝るわ。客が来たら、起こしてくれや――」
 いうや否や、新十郎は寝入ってしまった。
 龍介は新十郎の寝顔を睨んだ。
「やっぱ強ぇや」
 龍介はつぶやくと、部屋を飛びだした。
「どこ行くんだ」
 拓海が声をかける。かまわず龍介は地下階の廊下を走りぬけた。階段を駆けあがる。ビルをでて、南京町の中心部にある南京町広場まで走っていった。
「バカヤロオォ!」
 龍介は大声で叫んだ。東屋の下で休憩している観光客や、豚まんや唐揚げをほおばって歩いていた通行人が、一斉に龍介を見た。
「次は! ぜってぇ! 負けねえからなァ!」
「……なにやってんだ」
 龍介の背後で、心配してついてきた拓海がため息をついた。
「今夜が楽しみだ」龍介は拓海を振りかえり、笑った。「あんなスゲェやつの博打が見られるんだからな!」

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