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【小説】フェイブル・コーポレーション 第六話

 午後六時から七時にかけて、フェイブル・コーポレーションに客が集まりはじめた。面子は六人。なかには例の厄介者、和也もまじっている。
「今日はホンビキがいいな」
 ひとりの旦那がもらすと、皆は賛成した。六人は早速円座を組みはじめる。
 拓海が、ホンビキに使用する道具である目木、カミシタ、繰り札、張り札を納戸から持ちだしてきた。
 龍介は洋間のソファを蹴った。
「いつまで寝てんだ! 仕事の時間だぜ」
 新十郎がソファから身体を起こし、目をこすった。
「例のごろつきは、来とるんか」
「なにも知らずにノコノコとな。とっちめてやってくれ」
 ふうん、とつぶやいて、新十郎も客の集う和室へむかおうとした。龍介は先に和室にはいった。後ろにいる新十郎を指差して、
「こいつ、新十郎ってやつでしてね、おれたちの同級生だったんですよ。どうしてもここで博打を打ちたいって聞かないんで、連れてきました」
 と紹介した。さらに一言、龍介はつけ加えた。
「まったく、博打の経験は浅いやつなんで、皆さんお手柔らかにお願いしまーす」
 龍介はそういうと、ちらりと後ろを振りかえった。
 新十郎は鼻で笑った。龍介と拓海をかきわけて、新十郎は前にでた。
「よろしく頼んますわ」
 皆、笑顔で新十郎を迎え入れる。和也は無言。合力として、龍介と拓海はそれぞれ部屋の隅に立った。
 新十郎は円座には入らず、外側に座りこんだ。
「新十郎くん……だっけ? やらないのかい」
 金ぴか時計をつけた旦那が話しかけた。
「どんなルールやったかな、ホンビキは。ちょっと見学させてもらいます」
 龍介は鼻から息を吐きながら、感心した。
 新十郎がホンビキを知らないはずはない。まずは時間をかけて和也の力量をはかるつもりなのだ。
 龍介は両手を打ち鳴らした。
「さァ皆さん! 今夜もはじまりましたよ~! 張っちゃって、張っちゃって!」
 勝負開始から一時間ほどが経過した。
 和也はあいかわらず、堅い戦法で軍資金を減らさない。ホンビキは胴の精神状態や懐具合によって、目の当たる確率が本来六分の一のところが、四分の一にも三分の一にもなるゲームだ。ここぞという場面で、和也は大きく張る。だが、元金を割るような危ない勝負は決してしない。すこしずつ、着々と和也の弾は増えている。客たちも健闘しているが、数時間も経てば「回銭」の声が飛ぶかもしれない。
 胴を引いた和也が、初ヅナに一、次が小戻りの二、続いてサンゲンの三とだしてきた。一、二、三と順に目を入れてきたのだ。目木の順序は、
 三、二、一、四、五、六
 となっている。
 一見すれば読まれやすい数字の流れに思われるが、すこしホンビキを覚えてきた客たちにとっては、逆に意外な数字の並びだった。一、二、と来たなら、次に三はださないだろう。和也は裏をかいて五や六へ飛ぶはず――そういった客たちの読みは裏切られる。和也は彼らの読みの裏の裏をかき、三を入れたのだ。和也の弾が膨らんできた。
 和也が胴を続行する意思を示し、繰り札を繰りはじめたときだった。
 ドサッ――
 円座の中央に、なにかが放りこまれた。
 オビのついた金、百万だった。皆は一斉にオビが飛んできたほうを見た。
 投げ入れたのは、立ちあがって腕を組んだ新十郎だった。
「次の勝負、この金を賭けます」
 場の空気が固まった。
「どうするんや、和也。受けてくれるか」
 新十郎は胴の意思を確認しようとした。賭け金の上限などは決めていない。わざわざ訊ねる必要もないのだが、常軌を逸した額であるということはたしかだ。
 和也の繰り札を繰る手はとまっている。凍てついた空気を引き裂くように、和也は上目遣いで、
「受けない、といったら」
 と訊ね返した。
「引っこめてもええで」
 新十郎が顎を突きだすようにしていった。
 和也は顔を伏せた。
「――受けない」
 それを聞いた新十郎は円座のなかに入りこみ、百万の金を手元に引いた。
「失礼。この胴には自信があったんやけどな」
 龍介は感服した。
 新十郎は百万もの大金を一回勝負に持ちかけるモーションを見せることで、まずは和也の心を折った。彼が堅い打ち手という情報は、龍介は事前に新十郎に聞かせていた。百万もの大勝負を受けるはずはない。和也としては、初見の新十郎に見下された恰好だ。
 改めて和也は繰り札を繰りはじめる。なかなか次にだすツナを決めようとしない。和也は、繰りながら新十郎の顔をちらちらと見ていた。さきほどまで新十郎は円座の外側で気配を消していたが、いまは旦那衆の輪に溶けこんで、あぐらをかいている。
 新十郎は無表情で、和也を見ようともしない。
 和也がようやくカミシタに札を入れた。
「入りました!」
「張って張って!」
 龍介と拓海は声を張りあげた。
 同時に新十郎は目を見開いた。ノータイムで張り札のなかから一枚を抜きだす。縦に伏せて、五万円を張った。一点張りのスイチだ。
 客たちが新十郎の奇怪な言動をおもしろがって、
「通り!」
 と叫んだ。つまり、新十郎と同じ一点張りに、皆が五万円を賭けたのだ。
 新十郎に対する和也の心境としては、こいつはズブの初心者か、あるいは相当な手練なのかもしれない、といった矛盾したふたつの見解がごった返していることだろう。
「揃いました!」
 龍介は勝負の合図をだした。
 おそるおそる、和也が目木に手を伸ばす。客たちは固唾を呑んで目木の移動に目をやっている。新十郎は特に興味もなさそうに、あらぬ方向をむいている。
 和也は一枚の目木を抜きだし、右側につけた。カミシタを開く。
 ツナは、シケンの四。
 新十郎は開かれた和也の札に目をやると、自分の伏せた繰り札に手をおいた。
 札は、開かれた。四だ。
「おおっ!」
 皆が声をあげる。和也は六人に、五万の四・五倍である二十二万五千円を払う。計百三十五万の出費だ。
「なぜだ」和也が唸る。「これだけは、四だけは……」
「たしかに――」
 新十郎が口を開いた。
「おれが初心者やったら、順繰りの四を入れてくるかもしれん。せやけど、一、二、三ときて四を入れるのはいくらなんでも安易か。じゃあ、すでにでとる一、二、三か。あるいはまだでてない五、六へ飛ぶか。どれも読まれている気がする。そうやっておまえは迷って迷った挙句、シケンの四に辿りついてしまったんや。ま、こんなスイチなんて当てずっぽうや。気にすんな」
 和也の思惑を流暢に代弁した。
 新十郎にも百パーセントの自信などなかったはずだ。それでも勝ちきってしまった新十郎には、真剣師としての勝負強さが見える。
 和也の顔は、屈辱の汗で濡れていた。頑として胴をつづける意思を見せた。意地だろう。繰り札を繰りはじめる。胴が札を繰っている最中に、新十郎は張り札を一枚抜きだして手元においた。
 胴が繰り札をカミシタに入れてから、子方は張り札と賭け金を提示するのがルールだが、だれも新十郎を咎めることはできない。まだ新十郎は賭け金を提示しておらず、無造作に手もとに札を一枚おいてあるだけだからだ。しかし新十郎は「次もスイチで当てるぞ」と、胴である和也を無言で挑発している。
 おそらく和也の目には、新十郎しか映っていない。和也はカミシタに札を入れた。
 新十郎は手もとにおいていた一枚の札をやはり前にだした。スイチでの勝負。賭け金は、下限の千円。
「新十郎クン、今回はなにを入れたんだい」
 新十郎の両隣に座る旦那ふたりが聞く。新十郎は黙って張り札をめくって見せた。
「……ううん、それはどうかなァ」
 旦那衆は一様に首を傾げる。新十郎の賭け金も下限の千円ということで、新十郎は今回の張りに自信がないようにも見える。
 やがて子方全員の張りがすんだ。
「さァ勝負!」
 目木が動かされる。カミシタが開かれた。今回の和也のツナは、小戻りの三であった。
 新十郎は黙して張り札を裏のまま手元に引いた。新十郎のスイチは外れたのだ。一瞬、和也の顔が「勝った」とでもいうように綻んだ。
 それもつかの間、和也の顔色が一変した。
 新十郎以外の客全員に、三の札は開いていた。和也の実入りは新十郎からの千円のみ、他の客にツケると、収支はマイナスだった。
 新十郎の目が光った。新十郎は自分の今回の張り札を手もとにしまいこもうとする。
「どれどれ」龍介は新十郎が今回なにを張っていたのか、後ろから確認した。「へへへ、やっぱりね」
 その声を聞いた新十郎が、振りかえった。唇を歪める。
 張り札は、五だった。
 新十郎の張り札は次も順繰りの五だと、和也も読んだことは読んだのだ。だが、新十郎は賭け金をよもやの下限千円にして、急に弱気を見せ、旦那衆を道づれにはせずに押しあげた。
 和也は肩を落として、胴を流した。
 以降の勝負も、まるで手の上で弄ぶように新十郎は籠絡していった。減ってきたな、と感じられる胴には飴をしゃぶらせる。勝っている胴には軽く追いこみをかけて、ほどほどのところで胴を流してもらう。テラ銭もしっかりと龍介たちに流れるようにする。
 和也を沈めて、客のバランスを取る。新十郎は、龍介と拓海の代打ちとして、使命を着実に遂行していた。

「そ、そろそろ……種目をかえてみませんか」
 出しぬけに和也が口を開いた。
「どれにするんや」
 と新十郎が言葉を返す。
「チンチロリンはどうでしょうか」
 和也は今夜だけで二百万は溶けている。新十郎の目つきが鋭くなった。
「ええよ。みなさんはどないですか」
 客たちは同意した。
 龍介と拓海は、ホンビキ道具を片づけ、納戸から丼と三つのサイを持ってきた。
「まずは親決めやな」
 新十郎、和也、旦那衆の七人は親決めのサイを振りはじめた。龍介と拓海は一旦、洋間にもどった。テーブルについて、襖の開けた賭場を眺める。
「どうだ、新十郎は」
 拓海が龍介に訊ねる。
「完璧じゃん。いまんとこ」
 チンチロリン勝負が開始されたようだった。
 初戦の親は、新十郎の右隣の金ぴかだ。チンチロリンは、ホンビキとはまるで違った、運の勝負だ。新十郎は基本的にはケンをつづけ、勝負の動向を見守っていた。皆、勝ったり負けたりがつづく。やがて和也に最初の親番がまわってきた。和也はホンビキのころの落ち目から打って変わり、六の目、四五六、ゾロ目と総カキを連発した。彼は勢いこんで次も親を続行する構えだ。
 そのとき、新十郎が十万円を張り額に提示した。
「バカな……いまの流れで勝負だと?」
 拓海が身を硬直させ、疑問の声をあげた。
 龍介はタバコをくわえて、火をつけた。
「たしかにセオリーでは、波に乗ってる親には逆らえねえよなァ。だけど、外野で傍観してるおれらとはちがって、あいつには、なんか見えてるのかもしれねえぜ」
 だれにも和也の勢いは見えている。しかし、皆がこの新十郎という男に興味を抱いていた。
「新十郎くんが勝負かァ。ここはおれもいっちまおうかな」
「よし、おれもだ」
 客の五人は皆、新十郎に乗った。ツイている親に対して、子方全員が一丸となって十万円を張るという異様な光景となる。
 さすがに和也はたじろいだが、セオリーからいって、いまの流れで負けるわけがない。和也は念じるようにしてサイを握り、丼のなかに落とした。
 三五六――目はない。
 二投目も和也はサイを振るが、目はない。和也は力強くサイを丼に投げ入れる。
 チンチロリン――と音を立て、やがて三つのサイはとまった。
 一三三。
 一の目は、親が子方全員に総ヅケだ。
 客たちからは、歓声よりも先に嘆声がもれた。
 なぜ、勝てるのか。勝ってしまうのか――。
 皆が抱いただろう疑念を、だれよりも先に言葉にして口にだしたのは、やはり和也だった。
「どうして、いまの流れで……勝てると、思ったんだ。セオリーでは、こんな……」
 泣き声に近くなっている。
「ツイとる親には逆らうなってな。おれも重々理解しとるわ。せやけどな、永遠につづくツキなんか存在せえへん。どっかで必ず風向きはかわる。まあ、今回の場合は、かえた、っていったほうがええんかもしれんけど」
 和也が顔をあげる。潤んだ瞳をさらに輝かせた。
「どういう意味ですか」
「おまえ、おれら全員が上限で張ったとき、肩に力が入ったやろ。理屈なんかやあらへん。変わり目はそこやったんや」
 和也は絶句した。
 勝負は新十郎の手中にあった。旦那たちの親番ではケンに徹するか、甘い蜜を吸わせる。和也が親番となれば、新十郎は動く。
「――ぼくを狙い打ってるんですか」
 恨めしそうに和也がいった。
「んなアホな」新十郎は笑った。「勝てそうな勝負にはでていくだけや。それも、おまえのセオリーに書いてあるやろ」
 和也はすっかり新十郎に対して気圧されていた。和也の闘志が薄れていくことが機縁となり、彼の運気は下降線を辿った。
 親の和也の一投目は、一三六の目なし。
 二投目、二三五の目なし。
 いよいよ窮地だ。今回の勝負も子方全員が十万円を張っている。
 和也はズボンで手を拭い、三つのサイを右手に取り、丼に投げようとした。
 そのときだった。
「――ッ!」
 声にならない叫びを、和也はあげた。
「やりよったな」
 電光石火のごとく、新十郎が円座の中央に左足をつき、むかいに座る和也の右手を掴んだ。
 和也はそのまま新十郎にねじ伏せられた。客たちが騒然とする。龍介と拓海は、新十郎のもとに駆け寄った。
「おいおい、どうしたってんだ」
「見てみい」新十郎が和也の右手をこじ開けると、なかから六つのサイがでてきた。「こいつ、ズボンで手ぇ拭うフリして、ポケットからグラサイをだしよったんや」
 一見は同じように見える六つのサイを、龍介はひとつひとつ手に取り、調べていった。
「この三つだな」
 龍介は丼にサイを三つ投げた。自動的に目は揃った。
 一一一。
 グラサイとは、重りが内蔵されており、なんど振っても同じ目しかでないイカサマサイコロのことだ。
「皆さん、ご迷惑をおかけします。勝負は一旦中断です。洋室でしばしお待ちください」
 依然としてざわついている客たちをつれて、拓海は和室をでた。
 和也は半身を起こして黙っている。
「このガキ、紳士の賭場でちゃちな真似しやがって。どう落とし前つけてくれるんや」
 静かだが、おっかない口調で新十郎が言葉を吐いた。
「まァまァまァ」龍介は新十郎をなだめる。そして和也にむかっていう。「べつにチョンボ代を払えとはいわねえよ。だけど――」
「龍介。いっぺん怖い目にあわせたほうがこいつも――」
「これからも、ウチの賭場をよろしく!」
 龍介は和也にむかって親指を立てた。
「……な、なにゆうとんねん、龍介!」新十郎は龍介の胸倉に掴みかかった。「こんなやつ、出禁(出入り禁止)に決まっとるやろ!」
 和也は唖然としている。
「ぐ、ぐるじい……」
 もがく龍介。新十郎はため息をつくと、龍介から手を離した。
「いったい、どないしたいんや、このガキを」
 龍介はゲホゲホっと咳払いすると、着ているシャツの襟元を正しながら、あらためて和也にむきなおった。
「和也くん、今回だけは見逃してやるよ。だけど、また遊びに来てくれ。キミだって、おれたちの大事なお客さんだからさ」
 和也が顔をしかめた。
 次の瞬間、和也が腰をうかせ、逃げるようにして部屋をでていった。
 玄関のドアが閉まる音がした。
 龍介と新十郎は顔を見あわせる。
「……へっ、やつァ若いねえ」
「チンチロリンをするっていいだしたあたりから、怪しかったんや」
「悪戯をするやつだとは思わなかったぜ。仕事を増やして悪かったなァ、新ちゃん」
「し、新ちゃん……?」
 新十郎は口をあんぐりと開けて、言葉を失った。
「和也のやつはどうした」
 拓海が心配そうに、和室に顔を覗かせた。
「もう大丈夫だ。お客さんたちを呼んでくれ」
 龍介は拓海に、勝負再開をうながした。
 洋間に待機している客たちに、和室へもどるよう指示する、拓海の声が聞こえる。
 龍介は腰をあげた。いまだに呆然としている新十郎の肩をポンと叩いた。
「だけど、まだまだ、おまえには働いてもらうぜい」
「……わかっとるわ」
 不服そうな顔をしていた新十郎も腰をあげた。

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