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【小説】フェイブル・コーポレーション 第八話

 法務局から帰ってきた龍介は玄関のドアを開けた。フェイブル・コーポレーションを株式にするという計画を本格的に実行しはじめたのだ。
 しかし、龍介の鼻の下はだらしなく伸びていた。
「ハッ、いかんいかん……」
 龍介は頬を手でパンパンと叩き、顔を引きしめた。
 カウンターの前を右に曲がった。ドア越しに、洋間からなにやら怒鳴り声が聞こえてくる。
 龍介は洋間に入った。すでに客が入っている。
 様子がおかしい。新十郎が拓海にむかって、わめいている。
「おまえら、なーに騒いでんだよ!」
 龍介がそういうと、ふたりは揃って龍介に顔をむけた。
「類似商号がないかチェックしてきたぜい」
 次の瞬間、新十郎の鉄拳が飛んできた。頬に衝撃を受けた龍介は後ろに吹っ飛んだ。洋間の扉に、頭を打ちつけた。和室に揃った旦那衆は勝負を中断して、こちらを心配そうに眺めている。
「い、いってぇー……なにすんだよ、新ちゃん」
「軽々しく呼ぶな、ボケ! おまえ、ミリと寝たやろ」
 バレた。
 龍介は殴られた頬とぶつけた頭を、両手でそれぞれさすった。
「むこうから誘ってきたんだぜ? おれァ、なにもわるくない!」
 嘘はいっていない。
「龍介の女癖のわるさは、高校のときから聞いとるわ!」
「た、拓海!」龍介は助けを求めた。「なんかいってくれよ! おれは無実だ」
 拓海がゆっくりと首を横に振った。
「僕の女も……こいつに寝取られたことがある」
「アレ、そうだっけ」
 龍介は左手で顎を、右手で頭を掻いた。
「てめえ!」
 とぼけて猿のようなポーズをしている龍介に、新十郎は掴みかかる。
「新ちゃん、ちょっとタイム! だいたい、おまえら、別れたんじゃないのかよ」
「別れてへん」
「ハァー? あんなコテンパンにしておいて、まだ未練があるのかよ」
 龍介は開きなおることにした。
 新十郎はさらなる怒りに顔を歪め、拳を振りあげた。
「ひっ」
 龍介が情けない声をだしたとき、家のチャイムが鳴った。
「おおっと! お客さんだ! おれがでる!」
 龍介はするりと新十郎の手を抜け、洋間をでた。インターホンへとむかう。
「救世主、救世主」来客に感謝し、龍介はインターホンにでた。「はい、お待たせしました! どちらさま――」
『こんにちは。麻雀事業連盟の者です』
 男の低い声だった。
「麻雀事業……?」
「どうしたんだ、龍介」
 拓海が後ろについてきていた。龍介はインターホンから離れた。
「麻雀事業連盟の者だ、とかいってるんだ。なんの用だろ」
「――一応、金と道具はしまったほうがいいな」
 洋間から顔をだしていた新十郎に、拓海は目顔で合図した。
 新十郎が眉をひそめながらも、和室にいる旦那衆にむかって指示した。慌てて物を片づける音がする。
「大丈夫っしょ。どうせ麻雀卓かなにかの売りこみさ」龍介はインターホンにもどった。「はいはい、いま開けますからね」
 龍介と拓海は玄関にむかい、扉を開けた。
 派手な柄シャツを着た、人相のわるい三人の男が立っていた。サングラスをかけた長身の男、髪をオールバックにした男、小柄で口髭を生やした男。
「兄ちゃん、ちょっと邪魔するで」
 下っ端風の小男がいうと、三人は部屋にあがりこんできた。
 土足で洋間にあがると、三人組はホンビキのおこなわれていた和室を大仰に覗きこんだ。
 テーブルについた新十郎が両手を組み、口を開く。
「お兄さん方、ウチでは麻雀業はしてへんで」
 オールバックが振りかえり、新十郎を睨みつける。
「どのみち博打やってるんやったら、同じやないか」
「ふうん、博打か」新十郎は動じない。「金賭けてなくても博打になるんか」
 旦那衆に金をしまわせたことが功を奏したかのように思われた。
 オールバックがゆっくりと新十郎に近づく。
「あんま笑わすと痛い目あうで――」オールバックはタバコに火をつけると、新十郎にむかって煙を吐いた。「ここで賭場が開かれとること、とっくに情報がもれとるんじゃ」
 煙が霧散する。新十郎の顔がふたたびあらわれた。不敵な笑みをもらしている。額には血管が浮かんでいる。
「……で? あんたら、今日はなにしに来たの?」
 龍介は鼻をほじりながらいった。
 部屋の空気が凍りついた。
 三人組のなかで格が上のようである長身のサングラス男が、肩を揺すって笑いだした。龍介に近寄る。
「ええ度胸しとるやないけ。ああ?」サングラスがタバコをくわえる。「賭場開くんやったら、ウチにまず筋通してもらわなあかんなあ」
 すかさず小男がライターを取りだして、サングラスのタバコに火をつけた。サングラスはうまそうにタバコをふかすと、
「月百万、賭場やるんやったらウチに上納金としておさめえや」
 といい放った。
「ひゃ、百万?」
「そうや。とりあえずは今月の分、払ってもらおか。払わんかったら、ちょっとややこしいことになるで」
 龍介はぽりぽりと頬を指で掻いた。
「あのさ、ちょっと、そりゃ高すぎるんじゃ――」
「龍介!」
 龍介の言葉を、拓海がさえぎった。
 拓海は納戸に走った。洋間にもどってきたときには、手に百万の現金があった。
 サングラスは拓海から金をふんだくる。額をたしかめもせず、懐にしまいこむ。吸っていたタバコをフローリングの上に落として踏みつけた。
 三人組はがやがやと洋間をでていった。去り際に、オールバックもくわえていたタバコを唾といっしょに吐き捨てた。
 玄関の扉が閉まる音が響く。
 残った皆はだれひとりとして口を開こうとしなかった。旦那衆が続々と腰をあげはじめる。
「……なんだか、物騒なことになったね。私らはそろそろお暇させてもらうよ……」
 龍介は慌てて旦那衆を玄関先まで見送りにいった。
「ま、また、お越しくださいね!」
 旦那衆は愛想笑いをうかべ、帰途についた。
 龍介は扉を閉めると、洋間に駆けもどった。新十郎と拓海は無言でテーブルについている。
「麻雀事業連盟って名乗っとったが、ハッタリや」新十郎が口火を切った。「まぎれもなく、どっかの組の連中やろうな」
「客の誰かが根回ししたのか――いや、いまの客で、そんなことするやつはいない」拓海が勢いよく新十郎の顔を見た。「新十郎、まさか、おまえの女が――」
 新十郎は机に拳を振りおろし、叩いた。
「ミリにそんな筋がついてたゆうんか。おれが気づかんわけがないやろ」
「ミリは関係ねーよ」
 言下に龍介はいった。
 新十郎の目がさらなる怒りに燃える。
「おまえ、馴れ馴れしく〝ミリ〟って――」
「和也だって。あいつ以外に考えられねえなァ」
 新十郎と拓海は目を見あわせた。拓海が顔を伏せる。新十郎が激しく舌打ちをした。
「博打やっとるんやったら、筋モンの知り合いくらい、おるかもしれん。あのガキ……」
 新十郎はもういちど、テーブルの上を叩いた。
「いずれは起こりうることだった……」拓海は顔を伏せたまま腕を組んだ。「上納金百万は大きいが、払っていれば文句はいわれない。いままでどおりやろう」
「……ったく、なんだよ、暗い雰囲気だなァ。嫌ンなっちゃうぜ」
 龍介も眉根を曇らせた。
 
 麻雀事業連盟に上納金をおさめた翌日。時刻は午後の八時で客は六人ほどが集まっていた。昨夜の一事に遭遇した旦那衆は、だれひとりとして姿を見せていない。今宵の博打種目はチンチロリン。新十郎が尚も場を懐柔しており、テラ銭の計算も同時におこなっていた。昨夜の一事から新十郎は、龍介たちとろくに口もきいていない。
 テーブルをはさんで対座した龍介と拓海は、小さな会議を開いていた。
「昨日、あんな場面を見せられちゃ、旦那も寄ってこなくなる。客は減るし、上納金も取られる」
 あいかわらず拓海の顔つきは暗い。
「まァ、なんとかなるんじゃね?」
 家のチャイムが鳴った。拓海が席を立ち、インターホンにむかう。龍介も後ろについていく。
「はい、どちら――」
『麻雀事業連盟の者です』
 拓海は後退りした。深呼吸して、
「昨日、上納金はおさめたはずですが」
 と言葉を返す。
『客として打ちに来たんですわ』
 拓海はインターホンから離れた。背後の龍介を振りかえる。
「客で打ちにきたといってる」
 外国人のような仕草で龍介は肩をすくめた。玄関の扉を叩く大きな音がした。
「おい、入れんかい!」
 昨日の小男の声だった。
 新十郎が身体を覗かせる。
「入れたれ。表で騒がれると、逆にまずいわ」
 拓海は溜め息をつき、玄関にむかった。ドアを開ける。
 昨日と同じ三人組がずかずかと部屋に入りこんできた。
「ビビらんでもええで。博打を打ちに来ただけや。入らせてもらうわ」
 三人組は円座に強引に割って入り、どかっと座った。オールバックの男が場におかれた丼とサイを見ると、
「はあ? チンチロリンとか、庶民の遊びすんなや。博打はホンビキやろ。なあ、旦那方――」
 オールバックが六人の客を睨めつける。旦那衆は揃ってなんどもうなずいた。
 龍介は頭を掻いて、和室に足を踏み入れた。
「なァ、オッサンたち。ウチでは紹介がないと打てないんだけど」
 その場にいる全員が緊張する気配がした。
 拓海が和室に飛んでくる。龍介を洋間に引っ張りもどそうとする。
「龍介、いまは耐えろ――」
「なんか、ゆうたか? 洟垂れ小僧」
 サングラスがドスのきいた声を浴びせてくる。
 拓海は龍介を洋間に押しやった。そして和室におかれた丼とサイを片し、ホンビキ道具を一式用意した。
「……ルールだけは守ってください。下限千円、上限五万円。テラ銭は胴の儲け二割をいただきます」
 三人組が下品な笑い声を立てた。
 拓海はさりげなく新十郎の肩を叩いた。龍介と拓海は合力にまわる。こうなっては、新十郎の手腕にすべてを委ねるしかない。旦那衆を潰さず、三人組の筋者を潰す。
 だが今回の敵は、かつて対峙したギャンブラーもどきの和也とは、わけがちがった。さすがに組に所属している筋者なだけあって、ホンビキは彼らの専門分野だ。旦那衆の胴などは簡単に潰されていく。スイチなどで当てるのではなく、二点張りや三点張りで確実に札を開いてくる。さすがの新十郎も、旦那衆を浮かせてやりながら、同時に玄人の筋者三人を一挙に沈めることは難儀だった。さらにそうやって苦心していく上で、自分の博打のフォームが崩れてしまう可能性を、新十郎はなにより恐れただろう。フォームを崩し、新十郎の口から「回銭」の声がでるようなことがあっては本末転倒だ。龍介は合力を務めながら、新十郎の葛藤を痛いほど汲みとっていた。
 場は筋者三人が支配していた。残った新十郎と旦那衆六人はどっこいどっこいの成績でマイナスを喫している。
 ついに耐えかねたように、旦那衆のうちのひとりが腰をあげた。
「すみませんが、私はそろそろ……」
 ひとりが立つと、皆もつられるようにして立ちあがった。筋者から逃げるようにして和室をでる。
「なーんや、もう終わりか」旦那衆に聞こえるようにして、小男が高らかに声をあげた。「おれらは明日も来るでえ!」
 龍介は玄関まで六人の旦那衆を見送りに行った。
「また……お越しくださいね!」
「……うん、そうだね。また機会があれば……」
 旦那のひとりが言葉尻を濁す。
 六人はそそくさと帰っていった。龍介はすぐに踵を返し、部屋にもどった。
 和室には筋者三人と新十郎の四人だけが座を囲む形になっていた。拓海は部屋の隅で立ち尽くしている。
「兄ちゃん、まだやるやろ」
 オールバックが新十郎にむかっていった。
「いや、もうお開きや。たった四人やったら盛りあがらへん」
「ふん」
 三人組は立ちあがる。肩を揺らして玄関へと歩いていった。
「おい、ほんまに明日も来るからな。覚悟しとけよ!」
 扉を閉める間際に、小男が大声で吐き捨てた。
 バタン、と扉は閉められた。
 残された龍介、拓海、新十郎の三人は、黙りこんだ。息の詰まるような殺伐とした空気が流れる。まるで時間がとまってしまったようだった。

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