見出し画像

【小説】フェイブル・コーポレーション 第七話

 六月中旬。一週間ほど様子を見てみたが、和也がフェイブル・コーポレーションをまた訪れることはなかった。
 代打ちの新十郎は、日々開催される賭場をコントロールしていた。新十郎によって優しく手なずけられている客たちからは「回銭」の声も飛ばなくなった。新十郎も新十郎で、ペースをつくり、自身の浮きを確保していた。すべての歯車が噛みあいはじめていた。
 龍介は洋間の扉を荒々しく開けた。
 拓海がテーブルについて、ポーカーの研究でもしているのか、トランプをひろげている。新十郎は寝転がってテレビを見ている。
 平日の昼。まだ客は訪れていない。
「なァに、だらけてんだよ!」
 龍介は手に持った雑誌で、テーブルの上を叩いた。カードが散らばる。
「おい、なにするんだ」
 次に、寝ている新十郎の尻を、龍介は丸めた雑誌で叩く。
「痛っ! なにすんねん、コラ」
「ふふふ……ふたりとも、目が覚めたようだな」
 龍介が不敵な笑みをもらしていることに気づいたふたりは、どこか緊張した。新十郎が黙ってテレビを消した。拓海がテーブルから落ちたカードを拾いながら、
「また、なにか企んでるな」
 と眉をひそめた。
「企んでいるといえば、企んでるかなァ――とりあえず、そこに座れよ」
 と龍介は命じた。
 ふたりは仁王立ちの龍介の前で、あぐらをかいた。
「……で、いまから、なにをする気なんだ」
「よくぞ聞いてくれました、拓海クン」龍介は手に持っていた雑誌を掲げて見せた。「これだ!」
 ふたりの視線が、雑誌に集中する。
「週刊エメラルド……? なんやそれ」
「たしか、株のことを書いている雑誌だったな。それがどうしたんだ」
「そこまでわかっていながら! おれのいいたいことが! わからねえか!」
 ふたりの頭の上には疑問符がうかんでいる。
「ここはどこですかァ?」
 龍介は人差し指を下にむけて、ここここ、と指し示す。
「どこって……フェイブル・コーポレーションだろ」
「正式名称はなんですかァ?」
「正式名称は、株式会社、フェイブルコーポレ――」途中でなにかに気づいたように、拓海は龍介の顔を見あげた。「株式……」
「そうだ! いよいよわが社を、モノホンの株式会社にしようと思ってよ。そんで株券を発行するんだ」
 拓海があきれて頭を垂れた。しかし、
「おもろそうやんけ」
 と新十郎がいった。
 拓海がハッと頭をあげて、新十郎を見た。
「本当にいってるのか」
「まあ、もう少し、コイツの話を聞いてみようや」
 ふたりはあらためて顔を前にむけた。
 龍介は、オホン、と空咳をし、話をはじめた。
「まずは、会社の目的を定めるんだ」
「目的って……賭場をやってるなんていえないだろ」
「そんなもん、適当でいいんだよ。そうだな、ネット通販の仕事をやってるってことでいいや」
「本当に大丈夫なんだろうな」
 拓海は疑り深い目を龍介にむける。
「まァ聞けって。新会社法っていうシステムは知ってるか? 会社を興すのに資本金が必要なくなったんだ。わりと最近の話なんだけどさ」
「それは小耳に挟んだことがある……」
「株主になってくれる出資者を客のなかから募るんだよ。おもしろがってやってくれる旦那は絶対にいるはずだ! 次に会社用と個人用の印鑑をつくる。定款も適当につくる」
 拓海と新十郎は黙って、龍介の言葉に耳を傾けている。あぐらをかいていたのが、いつのまにかふたりとも体育座りになっていた。
「登記の申請。官公署に届出。はい、これでいっちょあがりってわけ!」
 龍介は胸を張った。新十郎が眉をひそめた。
「なんでおまえ、そんなくわしいねん。その雑誌にぜんぶ書いてあるんか」
「ん? 雑誌とネットで調べた」
 龍介はそういうと、拓海と新十郎のあいだを、ゆっくり歩いていった。
「諸君、聞きたまえ。おれには、夢がある……」
 背後のふたりにむかって、芝居がかった口調でいった。
「夢……?」
「フェイブル・コーポレーションを、もっとでっかくする」龍介は振りかえった。「三十歳までに、マカオにカジノを持つ!」
 ふたりの眼差しが、怪訝なものから、尊敬の眼差しにかわっていく。
「す、すごい」
「……なんか、いける気がしてきたわ」
 ふたりは感動している。龍介は拳を握った。
「だろ! 掴もうぜ、夢を! ドリームズ・カム・トゥルー!」
 盛り上がっていたそのとき、家のチャイムが鳴った。
「おい、客ちゃうんか」
「まったくいいときに……。また新聞の勧誘かなにかじゃねえだろうなァ」龍介は頭を掻いた。「とりあえず、会社設立に関しては、おれが勝手にやっとくから! 以上!」
 龍介は洋間を抜けだした。カウンター内にあるインターホンにでる。
「はいはい、どちらさまでしょう」
「開けて」
「へっ?」
 女の声だった。龍介はもういちど問いかける。
「あのう、どちらさん?」
「新十郎……いるはずよ。開けなさいよ」
「少々お待ちを」龍介はインターホンから離れた。駆け足で洋間にもどる。「新十郎がいるはずだって、だから開けろとかいってるぞ。若い女の声だったぜ」
 新十郎は舌打ちをした。
「入れたってくれ」
「大丈夫なんだろうなァ」
 といいつつも、どんな女がやってきたのだろうと龍介は内心楽しみにしていた。龍介は玄関にむかって扉を開けた。
 龍介は目を見張った。
 色白で足の長い、モデルのような女が立っていた。顔立ちもはっきりとしている。ボーダーのワンピースにテーラードジャケットを羽織っている。
 女は龍介を押しのけて部屋に入りこんだ。カウンター内を見まわす。手近にあった仮眠室の扉を開ける。
「新十郎! どこにいるのよ」
「ちょ、ちょっとちょっと……」
 龍介は抑止しようとしたが、女には聞こえないようだ。
 いよいよ女は新十郎のいる洋間の扉に手をかけた。荒々しく開くと洋間に入りこんだ。
 龍介もあとを追って、洋間に入る。
 新十郎は床に寝そべって、女から顔を背けていた。
「ええかげんにせえよ、ミリ。おれをつけまわして楽しいか」
「またギャンブルをやってるんでしょう。あんたこそ、いいかげんにしなさいよ!」
 龍介と拓海は離れてふたりを見守った。
「新十郎の女か……面倒そうだな」
 と拓海は眼鏡を指で押しあげる。
「でも、なかなかいい女じゃねえの」
 龍介は鼻の下を伸ばしていた。
 新十郎が起きあがった。テーブルにつくと、頬杖をついた。
「おれは博打打ちや。博打はやめへんで」
 ミリという女は、いまにも暴れだしそうな雰囲気を醸しだしていた。
「まァまァまァ」龍介はふたりのあいだに入っていった。「新ちゃん、なにかいい方法はないもんかね」
「いい方法ゆうても――」
 男三人が考えあぐねているとき、ミリはテーブルに散らばったカードを視界に認めた。
「ふうん、ここはトランプもやってるの」ミリは新十郎と同じくテーブルにつく。「あたしもトランプくらいならわかるわ」
「金は持ってるんかい」
「えっ」
「金も賭けずにカードとかでけへんぞ」
 ミリは財布を取りだし、なかから万札三十枚をテーブルにだした。
「これだけよ」ミリは背筋を伸ばし、新十郎を見下ろした。「あたしが勝ったら、ギャンブルはやめなさい」
 三十万円もの現金を、これだけ、といって軽んじるとは、さぞやいいところのお嬢さんなのだろうと、龍介は思った。
 新十郎はテーブルにおかれた三十枚の万札を眺めた。ため息をつくと、テーブル上に散らばったカードをまとめてケースにおさめた。カードケースを持って立ちあがり、洋間をでようとした。
「どこいくのよ。逃げる気!」
「ぎゃあぎゃあ、うっさいやつや。待っとけ」
 新十郎は洋間をでていったが、すぐにもどってきた。ミリの対面に座り、さっきとはちがった新品のカードを卓上においた。
「真剣勝負やろ。サラのカード使ったほうがええんちゃうか」
 ミリが筋の通った鼻をひくつかせた。
「見かけのわりに神経質ね」
「おれが負けたら、おまえのために堅気になって、地道に働いたるわ。せやけど、おまえが負けた場合はどうすんねん」
「どうするって……」
「おまえが負けたら、有り金おいて消えろ。もっとええ男を見つけるんやな」
「新ちゃん!」龍介は叫んだ。「おれらの熱い夢はどうするんだよ!」
「龍介は黙って見とかんかい」
 龍介は肩を落とし、拓海のもとにもどった。
「拓海のいうとおり、面倒なことになってきたなあ……」
 新十郎はケースの封を切る。カードを取りだす。骨っぽい指先には似合わない華麗な手つきで、テーブル上にカードを並べた。
「種目はブラックジャックでええな。ルールもわかるやろ。ディーラーは一回交代。下限一万円、上限十万円。おれの手持ちもおまえの三十万円に揃えたる。どっちかの金が尽きたら終了」
「それでいいわ」
 配られたカードの合計数を二十一により近づけた者が勝つゲームがブラックジャックだ。
 新十郎とミリは三十万の弾を手もとに持ち、睨みあう。
 初戦のディーラーは新十郎。ミリがまず一万円をベットしたことによって緞帳があがった。
 新十郎はカードを表向きに二枚、ミリに投げる。自らにも二枚おく。
ディーラーのカードは二枚のうち、一枚は表向きに明示され、一枚は裏向きに伏せてある。新十郎のアップカード(表向き)は6だ。
 ミリのカードは、8が二枚。
「スプリットするか?」
 と新十郎が訊ねた。
「スプリットってなによ」
「配られた二枚のカードが同じ数字の場合、賭け金を倍にすれば、一枚ずつに分けて、それぞれヒットなりスタンドなりのプレイができるんや」
「ふぅん。そうなの」
 龍介は拳を噛んだ。なぜそこまで教えてやる必要があるのか。まさかミリを勝たせようとしているのではないだろうか。
「じゃあ、スプリットする」
 新十郎は分けられた二枚の8に、それぞれまたカードを配った。7と10だった。ミリの手は、
 8・7
 8・10
 となった。それぞれ一万円の賭けとなる。
「もうこれでいい。スタンド」
 ミリの言葉を聞くと、新十郎はホールカード(裏向き)を開けた。
 6・K
 絵札はすべて10としてかぞえるので、新十郎のカードの合計数は十六。だが、ディーラーはカードの合計数が十七以上になるまでカードを引かなければならない。新十郎はデッキから一枚カードを手もとにだした。
 6だった。新十郎の手は、
 6・K・6
 となり、合計数二十二でバースト。新十郎はミリに一万円をツケた。
「次はおまえがディーラーや」
 プレイヤー側にまわった新十郎は、一万円を賭け金に提示した。
ミリはデッキを手に取ると、新十郎と自分にそれぞれカードを二枚ずつ配った。
 ミリのアップカードは2。
 新十郎のカードは3と5で、合計数は八。
「ヒットや――」
 新十郎が次に引いたのはJだった。
 3・5・J
 合計数十八。文句ない。
「これで勝負や」
 新十郎はミリに、顎でゲームの進行をうながした。
 ミリがホールカードを開ける。9だった。ミリはさらにカードを自身に配った。ミリが唇を舐めた。Qを引いたのだ。
 2・9・Q
「二十一で、あたしの勝ち」
 新十郎は無表情のままだ。
 
 勝負開始から二十分ほどが経った。新十郎が頭をさげるばかりで、ミリはすっかり上機嫌になっていた。彼女はすでに二十万円ほどを新十郎から抜いている。
「ギャンブラーが聞いてあきれるわ。さっきから負けっ放しじゃないの」
 蓮っ葉な声を立てて、ミリが新十郎を面罵する。
 なにをいわれても新十郎は黙している。カードをじっと見ている。ミリの黄色い声がなんども飛ぶが、それも虚空を切っていく。静寂が部屋のなかを支配していた。
「あいつが、このまま女のいいなりになるようなタマかねえ」
 龍介は拓海に囁いた。拓海は首を横に振る。
「新十郎はカウンティングをしているんだろう」
 カウンティングとは、ブラックジャックにおける必勝法のひとつだ。でたカードを覚えていき、同時にデッキに残っているカードを読む。そして、ここいちばんで勝負にかけるという技術だ。今回使われているデッキは一組なので、新十郎にとっては、たやすいものであろう。
 龍介と拓海は、新十郎を信頼していた。
 が、意外な展開が起こった。
 ディーラー権が新十郎にまわったとき、新十郎は脇に固められた捨てカードを一瞥すると、
「カードが減ってきたな。一度シャッフルしよう」
 といいだしたのだ。
「うそぉん!」
 龍介は椅子から転げ落ちそうになった。
 カードをシャッフルしてしまえば、いままでの捨てカードの記憶が水泡に帰する。
 拓海も両手で頭を抱えた。
「……あいつ、女に勝たせようと……」
 新十郎はカードを掻きあつめ、本場カジノのディーラーも顔負けの美しい手つきでシャッフルをする。
「次はなんぼ賭けんねん」
「上限よ」
 ミリは賭け金として十万円を卓上においた。
 新十郎は失笑した。
「強気やな」
「だらだらやっても意味ないじゃない。早く勝ちたいし」
「そうかもしれんな」
 ディーラーの新十郎がカードを投げていく。音さえ立たず、カードは配られていく。
 ミリのカードはQとK。新十郎のアップカードはJ。
「もちろんスタンドよ」
 合計数二十のミリは得意げになっていった。
 それを聞くと、新十郎はゆっくりと自分のホールカードを開けた。
 Aだった。
「AとJのナチュラルブラックジャックや」新十郎はミリの金に手を伸ばした。「ごくろうさん。十万はもろうとくで」
 ミリは下唇を噛んだ。
 彼女にディーラー権がまわる。新十郎のベットは十万円。賭け金がつりあがり、勝負が一気に白熱してきた。
 カードが配られる。
 ミリのアップカードにAが見えた。新十郎のカードは合計数十六のクズ手だ。
「インシュアランス」
 新十郎がいった。ミリの安堵の表情が凍りついた。
「えっ、なに? インシュ――」
「インシュアランス。ディーラーのアップカードがAの場合にかぎり、保険をかけられるんや。おれが賭け金の半額をベットしたら、ディーラーがブラックジャックの場合は、プレイヤーの損得はプラマイゼロになる」
「そんなルール聞いてないわ! 卑怯よ!」
「全世界共通のルールやねん。はよせえ」
 ミリは悔しそうに歯咬みしながら、おそるおそるホールカードに手を伸ばした。
 カードは開かれた。Kだ。
 ミリには、AとKでブラックジャックが入っていた。しかし、新十郎がインシュアランスを宣言していたので、ミリのブラックジャックは無効となる。
「危なかったで」新十郎はミリからデッキをふんだくった。「次はおれのディーラーやな」
 ミリは手をわなわなと震わせている。
「うーん。美人は怒ってもサマになるなァ……」
 と龍介はひとりごとをいって、拓海に睨まれていた。
 新十郎のディーラー。ミリは賭け金十万円を、音を立ててテーブルに叩きつけた。こうなっては賭け金がさがることはない。
 新十郎がカードを投げて配る。
 新十郎がアップカード9。ミリが二枚の8。
「す、スピリット!」
「……おまえは魔法使いか。スプリットや」
「……! スプリット!」
 ミリが顔を真っ赤にして宣言した。
 新十郎は黙って再度二枚のカードを配る。
 8・10
 8・10
 どちらも10であった。
「どっちも合計十八……これでいいわ」
 ミリがそういうや否や、新十郎は自分のホールカードをめくった。アップカードの9の上に、表にしたホールカードを叩いた。
 Qだ。合計数十九。
「十九でおれの勝ちや。十万円の倍で二十万円か――」
「うう……」
 ミリが顔を伏せた。
 形勢が逆転した。新十郎の十万円リードだ。新十郎は静かにデッキをミリの前におき、
「おまえのディーラーや」
 十万円を賭け金に提示する。ミリは鼻白んだ。ぎこちない手つきでカードを配りはじめる。勝っていたころの上機嫌な様は消えていた。
 ミリのアップカードは5。新十郎のカードはJが二枚。
「スプリット」
 新十郎は賭け金十万円を追加する。
 ミリはまず一枚のカードを新十郎のJの上に配る。
 そのカードはまたもJだった。Jが三枚。
「スプリット」三枚のJを縦から横に並べなおす。賭け金もさらに十万円を追加した。「はよ三枚くれ」
 ミリはカードを三枚、機械的に配るしかない。一枚目が3、二枚目が3、三枚目も3。
 J・3
 J・3
 J・3
 新十郎は苦笑いした。
「珍しいことがあるもんや。ぜんぶ、ダブルダウンといこか」
「ダブル……ダウン?」
 ミリがうつろな眼差しで新十郎に訊ねた。
「ダブルダウンってのは、次にカードを一枚だけしか引けへんかわりに、賭け金を倍にできるんや」
 ミリがなにかをいおうとして、口を開けた。声はでなかった。
「三組のおれのカード、ぜんぶ二十万ベットってことやな」
 状況を呑みこんだミリは、しばし呆然とした。
 ミリは顎を引いた。口を真一文字に引き結んだ。荒々しく、カードを順番に配っていった。
 一枚目、7。二枚目、7。三枚目も、7――
 J・3・7
 J・3・7
 J・3・7
 新十郎の三組の勝負手はすべて、J、3、7で、合計数は二十。
「スタンドや」新十郎は身を乗りだした。「ミリ、カードを開けろや」
 ミリはホールカードを人差し指と中指にはさみ、持ちあげる。
 大きく振りかぶった。博徒さながらの仕草で、アップカードの5の上に、ホールカードを表向きにして叩きつける。
 10だった。ミリの手は、
 5・10
 となる。
 新十郎は鋭い目つきになった。
「6を引けば、おまえの勝ちや。引いてみろ。勝負や」
 祈るようにして、ミリはデッキからカードを一枚引く。大きなモーションで卓上に叩きつけた。
 カードに視線が集中する。
 開かれたカードは――7だった。
 ただでさえ白いミリの顔が、さらに蒼白になった。
「二十二……バースト……?」
 新十郎は席から立ちあがった。
「六十万の勝ちか。足らへん分は勘弁したる。帰れ」
 ミリは立ちあがり、脇目も振らずに部屋をでていった。
 龍介は見逃さなかった。彼女の目は、涙で潤んでいた。
「魔法使いはどっちだよ」
 拓海が嘆息して、新十郎に近寄った。
「新品のカードだからガンづけじゃない。シャッフルをしたからカウンティングでもない。だが、あのシャッフルこそがイカサマのはじまりだった。デッキの下からカードを抜いて上にカードを仕込んだな?」
 新十郎は両方のシャツの袖を揺すった。すると、十枚ほどのカードがバラバラとテーブルの上に落ちてきた。
 龍介は口から長い息を吐いた。
「もうおまえのとこには、もどらんだろうなァ。いい女だったのによォ」
「おれは気立てのいい女が好みなんや」
 龍介と拓海は顔を見あわせた。
「そういわれると同感だな」
 三人は笑いあった。
 しかし龍介はふたりに背をむけ、
「だけど、やっぱり可哀想だ。おれ、彼女を送ってくるよ」
 と、いいのこし、玄関をでた。
 ミリはエレベーターの前にいた。上昇ボタンを押すのも忘れて、すすり泣いている。
「やァ、お嬢さん。さっきは相手が悪かったね」
 龍介は愛想をいって、ミリに近づいた。
 ミリは答えない。
 龍介はさりげなく、ミリの肩に手をまわした。
「いや。離してよ」
「おっと、ごめんごめん」
 龍介が手を離すと、ミリが顔をあげた。龍介の目をじっと見つめてくる。
「慰めて」
「へっ?」
「慰めてちょうだい」
 拒否されたと思ったら、甘えてくる。女という生き物は勝手なものだ。
 龍介はキョロキョロとまわりに人がいないことを確認した。そっとミリを抱きしめてやる。腕のなかで、ミリはもういちど泣きはじめた。やわらかな質感と体温が伝わってくる。
 抱きしめつつ、前方に右手を伸ばした。上昇ボタンを押す。エレベーターがやってくる。
 龍介はミリの耳に口を近づけた。息を吹きかける。ミリの身体が震えた。
「ここじゃなんだからさ、どっかで休憩する?」

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?