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【小説】フェイブル・コーポレーション 第十話

 午後八時。麻雀事業連盟の筋者三人組は、やはり揃ってフェイブル・コーポレーションにあらわれた。サングラスをかけた長身の男、オールバックの男、髭を生やした小男の三人だ。三人は洋間に荒々しく入る。
「昨日はよくもウチの賭場、荒らしてくれたなあ――ん?」
 三人は状況がおかしいことに気づいた。
 二十人ほどの旦那衆、キャバクラ嬢が洋間にいる。龍介、拓海、新十郎の三人が、襖の開けた和室においてある碁盤の前にそれぞれ座った。
 オールバックが龍介たちにむかって、
「どうなっとるんや」
 と怒鳴った。
「見てのとおりだ!」龍介が口を開く。「これは、おれたちとあんたらの勝負だろ」
「ほう――」オールバックが和室に入って碁盤に手をついた。「それで、碁か」
「碁は碁でも、こいつは懸賞やで」新十郎が割って入る。「そっちにおる旦那方には、外ウマに乗ってもらうんや」
「どういうことや。おれらはただ打つだけの馬か」
「おれたちとは三対三の団体戦。つまり二勝した側の勝利。どっちサイドが勝つか、旦那方は各々好きな額で外ウマに乗る」
 新十郎が碁盤の上にペーパーバッグをおいた。紙を引き裂く。なかからレンガのような札束があらわれた。
「おれらの賭け金は、五千万や。受けるか」
 これは龍介たちの全財産だ。
 サングラスが豪快に笑い飛ばした。
「懸賞か。それも博打のひとつや。文句はいわん。せやけどな――」
 サングラスの顔から、笑みが消えた。
「おまえら、おれらを舐めとったらあかんで」
 サングラスは、龍介たちの思惑を察したようだ。龍介たちは勝負の長引くホンビキやチンチロリンを廃して、賭け金五千万の懸賞勝負に持ちこみ、筋者三人組を叩き潰そうとしている。博徒なるもの、博打に関してはいずれの種目にも造詣が深い。龍介たちにとっても、勝算は決してない、危険な賭けだ。
 サングラスが龍介の盤の前に腰をおろした。
「二勝した側が五千万。逃げるわけにはいかんなあ。その喧嘩、受けたろやないか」
 サングラスが後ろをむいて顎をしゃくる。オールバックと小男も碁盤の前に腰をおろした。
 洋間から覗いている旦那衆、キャバクラ嬢たちに、
「ではみなさん、どちら側に乗りますか」
 と拓海が声をかけた。
 旦那衆は皆、顔を見あわせてから、
「おれは場主側に三十万だ」
「あたしは場主側に五十万!」
 と声を張りあげる。
 二十人の客たちの前には「場主側」「相手側」と書かれた、ふたつの空のダンボールが用意されていた。皆は金を放りこみはじめた。
 ミリもいた。客たちのなかから進みでる。三ノ宮で活躍するキャバクラ嬢も顔負けするほどのルックスだ。まるでファッションショーに出演するモデルのように見える。
「がんばってよね、みんな!」
 龍介たちを叱咤すると、三百万もの札束をダンボールのなかに投げ入れて、くるりとターンした。
 全員が場主側に金を賭け、総額は一千万近くになった。
 示しあわせていた計画どおりだ。客の全員が場主側に乗り、筋者側が敗れれば、総額で六千万近い負けを喫することになる。客たちのためにも、龍介たちは負けられない。
「なんぼになった」
 とサングラスが訊ねた。
「六千万くらいかな」龍介は答えた。「もしかして、怖気づいちゃった?」
 サングラスが、おい、と小男をうながした。小男はいちど席を立ち、スマホを耳にあてがった。話し相手にむかって、金を持ってくるように、と命令している。
 十分も経たないうちに、ヘルメットをかぶり、マスクをした男が賭場にやってきた。サングラスは立ちあがり、男から紙袋を受けとった。なかから、ガムテープでぐるぐる巻きにされた、大きな包みを取りだす。
 サングラスは碁盤の前に座りなおす。手に持った包みを破った。
「六千万や」
 中身は札束だった。
「OK」
 龍介はうなずいた。
 サングラスは手を振って、使い走りを帰らせた。
 洋間の客たちから見て、左から、龍介対サングラス、新十郎対オールバック、拓海対小男という図になった。
 白石を数個、龍介は握った。サングラスは黒石をひとつ、碁盤の上にだした。
 龍介が手を開く。なかから白石が八つでてきた。
 先番の黒は龍介となる。自動的に、中央に座る新十郎は白、拓海は黒となる。
「コミ六目半。秒読みなしの持ち時間一時間。そんじゃ、はじめますか!」
 白を持つサングラス、新十郎、小男の三人が、ほぼ同時に対局時計を叩く。先番である黒の残り時間を、時計が削りはじめる。
 異色の団体戦――。六千万の金がかかった、懸賞勝負が幕をあげた。
 龍介の隣の盤から、じゃらじゃらと石の音が聞こえる。新十郎の相手であるオールバックが黒石を手で弄んでいるのだ。第一打を打とうとしていない。オールバックは不敵な笑みをうかべた。
「碁なら勝てると思ったんかもしれんがな。おれはアマで六段っていわれるほどでな。まあ、せいぜい、がんばれや」
「ふうん。おれもアマ六段を持っとるで。ええ勝負が打てそうや」
 動ずる風もなく新十郎が言葉を返す。
 オールバックはとたんに険しい表情になり、第一打を投じた。
 その様子を横目で見ていた龍介は盤上を数手進めると、
「ちょいと失礼」
 とサングラスに断ってから、席を立った。まずは新十郎の戦いぶりを見ておくことにした。
 新十郎、オールバックともに隅を打ち終えると、オールバックは新十郎の白石高目外しにカカリを打った。新十郎はカカリを丁寧に受けた。カカリに対して、ケイマにかけると、以降は流れでオールバックの黒石を二線に抑えつけた。
 儀式の進行は、速い。黒石と白石が交互につぎつぎと打ち下ろされる。
 囲碁とは、地合い比べのゲームだ。黒か白、最終的にどちらが多くの地を囲っているかで勝敗は決まる。
 盤上に一個の石をぽつんと置いただけでは、なんにもならない。だが一個、また一個と石が打たれていくと、それらが見えないところでつながりあい、意味を持ちはじめる。点が線に、線が面に――といったぐあいに、陣地を拡大していくのだ。
 黒と白が、同じ場所に陣地を取りに行ったときこそ、丁々発止の激戦が起こる。
 新十郎が大がかりなシチョウハメ手をオールバックに対して仕掛けていることを、観戦している龍介は読みきった。何十手とかかるハメ手は、ある程度の棋力を持った者にしか通用しない。この技が決まれば、勝負はもらったも同然だ。
 けっきょく、オールバックはハメ手に乗ってこなかった。彼がやはりアマ六段の棋力を持つ実力者で、ハメ手を理解した上で手を外してきたのか。あるいは単なるホラ吹きなのか。
 新十郎は厚みを持ったまま、先手で辺の大場へとまわる。
 手を抜かれた黒は隅をケイマにシマって守るも、新十郎はひとつ、黒のケイマジマリに対してノゾキを打った。敵は果敢に反発してきた。
 これにより、オールバックの大よその棋力はうかがえた。
 またもや、新十郎はそっぽをむいて辺を拡大していく。
 オールバックが自身の隅の手入れにこだわったことで、大勢は一気に新十郎へと傾く。
 新十郎は隅から辺へと、まんべんなく堅く地をつくっていき、中央にまでリズミカルに触手を伸ばす。
 序盤、黒に喧嘩を売ったノゾキ手から、新十郎は白石を救いだそうとする。逃げる白石を、黒は逃すまいとして執拗な攻めを見せる。
 ようやく黒が白石を切りとった。
 オールバックは安堵の表情をうかべた。
 が、一瞬で事態の異変に気づいた。
 これも新十郎の仕掛けた罠だったのだ。
 隅と辺ではまだ互角といえる地合いを持っている両者だったが、圧倒的な外勢を築きあげているのは、新十郎の白だった。中央に白の揺るぎない大地が生まれている。
 オールバックは慌てて、中央を消しにかかる。
 時すでに遅し――。
 中央に打ちこんだ黒に対し、白は寄りかかっていくだけで充分だった。手なりで盤上の戦いは進み、白はコミを抜いても目勘定で十目以上は勝っている。
 オールバックがぶっきらぼうにアゲハマを盤上に落とした。新十郎の中押し勝ちだ。
「これで一勝や」
 新十郎が龍介の顔を振りかえった。新十郎は口の端を曲げた。龍介も笑みを返した。
 洋間から遠目で観戦している客たちが、歓声をあげる。
 しかし、勝負はまだわからない。
 龍介は自分の対戦相手であるサングラスに目をやった。あぐらをかいた足に肘をついて、思案にふけっている。
 龍介と新十郎は、拓海の盤に寄っていった。
 比較的、穏やかに場は進んでいる。荒れる気配もない。慎重派の拓海らしいゲーム運びだ。明瞭な勝負場がない盤面ほど、読みが困難な地合い比べとなる。決着には時間がかかる。
 龍介は自分の盤にもどった。
 サングラスが手を打っていた。辺に開いたサングラスに対して、龍介は左上隅小目にある白石を、さらに逆方向から小ゲイマに挟んだ。
 左上隅から、碁は動きはじめる。カカリにツケてきた白を押さえつけ、上辺の第三線を這わせる。
 実利はくれてやるが、厚みを生かして大きく勝負してやろうという、龍介の魂胆だ。
 黒の龍介は下からツメを打った。
 サングラスの手がとまる。時間をかける。先の展開を読んでいるのだろう。白は二間に開いた。
 上辺に黒の厚みがあることから龍介はボウシを打ち、白を苦しめていこうとする。
「ぬるい攻めしとんちゃうぞ」
 サングラスは下から打ったツメの一子にカケて、左辺の白石をいとも簡単に中央へ脱出させた。うまくサバかれた形。左上隅の三々に入っていった黒石もポン抜かれて、龍介の不利なワカレか――。
 さすが、三人のヤクザのなかでも、格上の雰囲気が漂う男だ。
 龍介は頭を掻いた。
「くぅ、痺れたぜ」
 サングラスの奥のギョロ目が動いた。
「おまえ昨日、あんたらとおれらでは気合いがちゃう、っていうとったな」
 サングラスの視線が龍介を捉える。
「おれらは博徒や。博打を生業にしとるんじゃ」
 龍介は武者震いした。
「……オッサン、かなりの凄腕だな。だけど、おれだって同じさ」
 別の箇所に着手が移っていった。
 手は進み、下辺に黒の大模様ができつつあった。サングラスがその様子を黙って見ているわけがない。下辺に白の着手が入った。踏みこみすぎない、荒らしの一手にはちがいないが、冷静さが感じられる。
 隅で利かされながらも、龍介は下辺の黒模様を目一杯にひろげた。続々と筋を打たれたが、龍介も指をくわえて見ているわけではなかった。反発していく。
 やがて中央で白にアテを打たれた。自信ありげな、ふてぶてしい一手だ。
 龍介はセブンスターを取りだして、一本くわえた。龍介の脳はフル回転している。短い時間のなかで読みを巡らせる。
 龍介は眦を決した。碁笥のなかに手を突っこむ。じゃらりと音が立つ。黒石をつまみだした。
「凌げるもんなら、凌いでみやがれ!」
 龍介は白を分断するための出(デ)の一手を打ち放った。サングラスがニッと笑った。ヤニで黒ずんだ歯茎が覗いた。サングラスは中央の黒一子をポン抜く。龍介は突き抜けて、下辺の白を殺した。
 白の眼形は乏しい。黒の優勢だ。サングラスは碁笥のなかで石を触りながら、次の一手を考える。
 サングラスは路線を変更して右辺の大場にまわった。龍介が中央から動きだすと、すかさず下辺の黒と中央の黒の連絡を断ってきた。
 不思議とサングラスは、中央に直接的な手はかけてこない。比較的おざなりになっていた右上隅でリードをはかろうとしている――。
 
 龍介の戦っている盤上の異変が明らかになってきた。
 気がつけば、上辺の厚みに、中央で控える黒の一団がつながらず、八方を白石に囲まれているのだ。さらには断点にノゾキを打たれて進退窮まった。
 サングラスの罠に、龍介はハマった。
 龍介は右辺に打ちこんだ。最後の勝負を仕掛ける。サングラスは威嚇するように、音を立てて石を打ちおろしていく。
 勝負は終盤。ヨセに入った。盤面勝負で、龍介にはコミをだす余裕がない。
 紡げ――!
 龍介の脳内のコンピュータは、絶え間なく盤面を計算している。
 負けられない。まわりの期待を一身に背負った龍介の打つ一手一手から、裂帛の気合いが迸る。
 黒と白の碁石が、盤上に大きなまだら模様をつくっていた。
 終局は近い――。
「僕の勝ちだ。目算するまでもない」
 龍介の耳に、拓海の抑揚のない声が聞こえた。
「いや、おれにはわからん。ちゃんと整地しようや」
 拓海の相手の小男がいった。
 龍介は拓海の盤へ視線を投げる。拓海は小男の申し出をしかたなく呑んだようだ。ふたりは駄目を詰めていき、目算しやすいように盤上の石を綺麗に並べていく――
 刹那、拓海の左手が小男の右手を捕らえた。
「うっ……!」
「悪戯はだめだ」
 小男の右手から、碁笥の交換時に仕込んでいたと思われる黒石が、数個落ちた。掴んだ彼の右手を、拓海は裏に翻した。関節を決めた。そのあいだに空いた拓海の右手は、目にもとまらぬ速さで盤上を整地していく。石の音が8ビートどころか、16ビートを刻んでいるかのようだった。
 拓海が小男の右手を解放したときには、盤面は美しく整地がなされていた。
「だれがどう見ても、僕の三目半勝ちだ」
「クソッ!」
 盤上の石を、小男は派手に崩した。
 新十郎が息をついた。
「これで二勝――おれらの勝ちやな」
 旦那衆が歓声をあげかけた。
 そのときだった。
 龍介の打つ盤から、けたたましいタイマーの警告音が鳴り響いた。
 新十郎と拓海が、龍介の盤に駆け寄った。
 龍介は顔を前にもどした。
 盤上は、形勢不明だった。しかし、コウ材の多寡で、わずかに黒の龍介が勝っていた。龍介がコウを解消すると、形勢は大逆転した。白の大石を丸潰しすることに成功したのだ。
 タイマーの音は、龍介と対座したサングラスが一時間の持ち時間を使いきったことを示すものだった。
「残念だったなァ」龍介はいった。「時間切れで、あんたの負け」
サングラスが、おもむろに顔をあげる。
「なんか、いうたか」
 龍介は吸っていたタバコを口にくわえ、足を崩し、強くいい放つ。
「おれたちの勝ちだ!」
 サングラスの懐から短刀が取りだされた。
 瞬く間にサングラスは盤上に左足をつく。並べられた碁石が散乱する。龍介の着ていたオープンシャツの襟元を、サングラスは左手で掴む。右手に持たれた、おぞましい銀色の輝きが、龍介の頬にあてがわれた。龍介の口からタバコが落ちる。
 タイマーの音が鳴り響くなか、一同は静まりかえった。
 龍介の頬から一筋の血が流れる。
「ガキが、跳ねすぎとちゃうか」
「刺せるもんなら刺してみな! くそヤクザ――」
 龍介は目を閉じない。据わっていた。
「博打で死ねるんなら本望さ。だらだら生きて、病院のベッドなんかで死ぬより、よっぽどいいぜ」
 いつのまにか拓海が、機敏にスマホを手にとっていた。警察に通報するのも辞さない構えだ。
 それを視界に認めたサングラスは、顔を前にもどした。龍介をことごとく睨みつける。
 龍介は視線を跳ね返すように、ニッと笑った。
「また勝負しようぜ、オッサン」
 凶器を持ったサングラスの右手がさがった。
 龍介を捕らえていた左手も離れた。
 龍介の腹部にサングラスの足が飛んできた。龍介は後ろに吹っ飛ぶ。背後の壁にぶつかり、石を詰めた袋のように、どさっと倒れた。
 サングラスは碁盤を蹴り倒し、旦那衆の前におかれた外ウマの入ったダンボールも蹴り飛ばすと、オールバックと小男をつれて、なにもいわずに部屋をでていった。
 激しい音を立てて、扉が閉められる。
 彼らの見せ金、六千万も消えていた。
 龍介は半身を起こす。拓海は畳の上に落ちていたタバコを拾い、灰皿に押しつけた。
「大丈夫か、龍介」
「へーき、へーき」龍介は腹をさすりながらいった。「蹴りが入る瞬間、自分から後ろに飛んだんだ。スイングして衝撃は吸収されたぜ」
 皆は一斉に大きく息をつく。危うく刃傷沙汰になるところがおさまった。
「あいつら、お金も払わずにでていったわよ」
 とミリが声をあげた。
「ええんや。今回の勝負は、博打というより、賭場を守るための戦いやった」新十郎は周囲の客を見わたした。「せやけど、今回のみなさんの外ウマの勝ち分は、こっちで負担する。安心してや」
 それを聞いた旦那衆は皆、いいよいいよ、と遠慮した。
 拓海が龍介に寄っていった。
「やつらは今回の勝負で、僕たちに借りができた。棋力では僕たちに及ばない。当分、ここへは寄りつかないだろう」
「そいつはどうかなァ」龍介は小声で拓海に返す。「上納金の件でまた揉めそうだ。まァそのときは、上納金賭けて勝負してやればいいか!」
 頬から血を流しながら、龍介は明るく笑った。

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