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備忘録


最近、頭の中を言葉が動いて騒がしかった。
言葉のダムが放流しかけるような瞬間がたくさんあった。
仕事のこと、人生のこと、なんだかすごく「考えて」しまった。

実はここ数か月、あまり仕事が忙しくない。
今までが異常に忙しかったから、通常の業務量に戻っただけなのだけど、
それだけではなくて、精神が侵食されるような感覚が全然ない。
かなり第一線の福祉の現場にいた時、
利用者さんの人生に触れる、本当に直に触れるような、そんな毎日だった。
自分の尊厳も、利用者さんの尊厳も、冒されかけているような
そんな現実を生きていくのは簡単ではなかった。
だから感情は常に忙しく動いていた。疲れ果ててもいた。

それが今、事務の仕事がメインになって、
自分の人生について考える時間が増えた。
改めて自分がどんな仕事をしたいのか考える時間が増えた。
あたしってなんだ?とか、
あたしって何がしたいんだろう?とか、
そういうことがずっと頭の中を駆け巡っていた。


いつの間にか、心がくしゃくしゃになっていた。
文字が読めなくなるまで丸めてしまった紙くずのように。
くしゃくしゃの心をもてあそびながら過ごしていた。
そんな今日、一人歩く帰り道、
澄んだ夜空を見上げて息を吸った。
こんな都会の空でも、冬の空はオリオン座がよく見える。
月もぽつんと小さく浮かんでいた。
なんだか本当に綺麗だった。
歩き続けていくうちに、
混沌と飛び交っていた言葉たちが少し整理されていくのが分かった。
「心を開く」とはよく言ったもので、ただしこれは自分に対してで。
紙くずを開いたら見えてくる言葉みたいに、
あたしの中に埋もれていた感情が、記憶が見えてきた。

お給料の格差を感じた友人に対しての妬みも、
女性を売る友人に対しての僻みも、
煮え切らない優しい恋人への苛だちも、
あたしの中に潜む「優れた人間でありたい」という苦しみも、
誰かをさげすむことで安堵する自分がいることも、
全部認めたくないけどあたしの感情だった。
でも、でもね、
もともとあたしは、人のいいところを見つけるのが得意で、好きだ。
あたしは覚えている。
友人が懸命に働いて疲れ果てていることだってあることも、
あたしの頑張りを認めてくれていることも、
優しくて不器用だからこその恋人の誠実さも、
このかっこわるいあたしをさらけ出せる友人がいることも、
はっきり覚えている。分かっている。
時に心が窮屈になって、考えすぎて、くしゃくしゃに丸めてしまうけれど
あたしは忘れない。思い出せない日があっても、忘れない。


ああ、生きていくというのはこういうことなのかな。
生まれた時はぴんと張れるような真っ白の紙一枚だったはずだけど、
たくさんの思いを知って、人と出会って、経験して、
今心にはどれくらいの言葉があふれているんだろう。
言葉にならない思いもどれだけ隠れているんだろう。
28歳になって、もう余白は残っていないような感覚がありつつ、
いや人生まだまだ長いんだということもわかってきている。

たまにくしゃくしゃになる心も、そのしわがきっと味わい深くなって
愛していけることをあたしは確信している。
生きてきてよかったって、言葉をこうして書いているから思える。



ちやほやされてできたものは19で消えた
身体切り刻んでできたものは今も宝石

備忘録(ヒグチアイ)

先日、マルチェが誘ってくれて
ヒグチアイのライブに初めて行って、この曲を聴くことが出来た。
圧倒的な「備忘録」。
曲の節々にただの人間の人生の苦しみと愛おしさがあふれている。

あたしは今日この気持ちを、
心が開いたこの日を、残しておきたいと思った。
これが今日のあたしの備忘録。
忘れるな、あたし。
生きていけよ、あたし。
生きていけるんだから。




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