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「自分のなかにまず何があるか」|清泉女子大「プレゼンテーション技法」講義から

ないちんにお声がけいただき、清泉女子大「プレゼンテーション技法」の講義へゲスト参加。約60名の大学3年生たちと共に「自分の本物さを体現して世界へ立つ」表現を探究していく。

自分が自分であることを表現するとはどういうことか

就活の面接や卒論発表など、社会人に向けて自分を表現する機会が増えていく学生たち。

これまで「適合」の教育システムの中で行なってきた、求められている「正解」や「正しさ」に合わせて表現するのではなく、自分の内側にある願いと自己一致した本物さから世界に立つ。そして、表現する。

自分を大きく見せることも小さく見せることもしなくていい。誰かと比べる必要はないし、うまくやる必要はない。自分は誰なのか。自分が自分であることを表現するとはどういうことか。

60名という人数、1コマという限られた時間の中で、誰一人置いていくことなくここまでいけるかどうかはファシリテーターである私にとってもチャレンジだけど、学生たちにチャレンジを求めるなら、まずは私自身がそれを体現するところから

「もっと周りに助けを求めればよかった」

教室に入ってきたら、いつもと全く違うレイアウトに戸惑う学生たち。何をさせられるのかと警戒しながらも、私が伝える言葉一つひとつをじっくりと聞いている。

教室の様子

自分の内側にある感情と「命の声」に耳を傾ける。デモに出てくれたAさんは、高校時代からずっと感じていた悲しさと後悔について話してくれた。

高校に入った時、もっと勉強をして自分が納得する進学ができるようにがんばろうと誓った。なのに、流れで入った部活で雑用が忙しく、勉強も何もできなかった。
自分が大事にしたかったことを大事にできなかった。気づけなかった悲しさ。後悔。もっと周りに助けを求めればよかった。。

Aさんの語りから

同じ学年であっても少数の友達以外はほとんど話をしない学生たちが、Aさんに寄り添い、真の願いを次々に出していく。Aさんが自分でも気づいていなかった深いニーズに触れていくたび、表情が晴れやかになっていく。

流れ、空間、正直さ。

入学前は勉強しようと決めてたけど、入学して初めて触れた部活の楽しそうな雰囲気に心惹かれたこと。自分の気持ちに正直に、流れに乗って飛び込んだ自分への承認。同時に、部活の雑用に追われて苦しかったことを、もっと正直に言えばよかった。

自分の正直さに自覚的になり、それを正直に表現していく大切さ

今もずっと残っている悲しさと後悔の奥にあった、真の願い。それをみんなの前で体現し、表現していく。

60名の前に立ったAさんに、どう感じるか聞くと「全員のことが全部見える!」みんなの前、この世界に向かって、自分が願う「正直さ」の世界をプレゼンしていく。

事前準備も何もいらない。相手がどう受け取るかを考えなくていい。その場に立ち、湧き上がってくる自分の想いに正直に、自分が自分とつながった上で、世界とつながっていく。

Aさんは、自分が願う「正直さ」の世界を堂々と晴れやかに伝えてくれた。これから自分は「正直さ」を生きていくという力強い宣言と共に

どちらかというと内向的でひっそりと静かに教室にいたAさんのパワフルなプレゼンは、その場にいたみんなの心を揺さぶった。

Aさんに触発されたみんなは、一人ひとり生き生きとした表情で自分が願う世界をプレゼンしていった。

そんなAさんは、授業のアンケートでこう語っていた。

最も勉強になった考え方は、自分の「感情」に深く向き合い受け止めたうえで「思考」が成り立つことです。「みんなに何を伝えるか」を考える前に、「自分のなかにまず何があるか」感情を見つめることが大事であると学びました。

就職活動のなかで自己分析に関するワークを複数人でやる際、ネガティブ面が出てきてそれを他人にも発表する、というのが最近とても苦痛になっていました。そう感じるのは、他人から見える自分がマイナスに見えると嫌われそうで怖いと感じるからだと思います。

今後は自分のなかで生じる「感情」によいわるいを付けず、正直に受け止められるようにします。ネガティブな面を変に隠さず、相手に適切に伝え、負担感が少なくなるよう考え、イキイキと過ごせる人が増える場面をつくっていける自分を目指します。

自己分析つらいと思っていたのですが本日の授業に参加して続けてきてよかったと思いました。

Aさんのアンケートから

来年退官を迎えるO先生のあり方

今回さらに印象的だったのが、この授業を担当されているお一人、O先生のあり方。

来年退官を迎えるO先生は、当初「プレゼンに共感は必要ない。それよりも正しい根拠だ」とおっしゃっていたらしい。学会など、アカデミックなプレゼンを重ねてきたであろうO先生の想いもよくわかる。

そんなO先生が授業後、私のところへやってきて情熱たっぷりに感想を話してくれた。

今までにない授業を見て驚嘆した。私たち大学教員も、もっと学生に寄り添わなきゃいけないんだな。きっと学生たちは、私たちの授業を退屈だなって思ってるんだと思う。

そして、次々と質問攻め。

どちらかというと目立たないあの学生を、なぜデモに選んだのか?どこで見極めたのか。どうやったらそれがわかるのか。どうしたら学生たちの本質を引き出せるのか。あなたはどうやってここまで学んできたのか。
私は年齢的にも性別的にも、女子大生からは遠い。。あなたのように女子大生たちに近づけない。アドバンテージがあるよなあ。(嘆)

ああ、、この学びへの情熱!

O先生の研究者として学び続けよう、教育者として高めたい、というO先生の純粋なエネルギーに触れて、胸が熱くなる。

先生方も、その嘆きと願いを、本物さから学生たちに伝えたらいい。

自分だって、表面的で退屈な授業をしたいわけではない。本当はもっと、みんなの本質に触れたいし、みんなの役に立ちたいのだと。

大人が本物さを表現したら、必ず学生たちの本物さに響いていくから。

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