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感情・思考・言動の一致がパワーを生む|熊本県管理職向け組織変革ファシリテーション研修から

熊本県教育センター主催にて、熊本県内の校長先生をはじめ管理職の先生向けに組織変革ファシリテーションの研修を行いました。毎年恒例となったこちらの研修。今年は高校の先生が最も多く、支援校の先生や小中学校の先生たちも一緒に、一人ひとりが愛とパワーを発揮できる組織を創る上で管理職としてどうあるかを探究していく場。


本当は言いたいことがある。でもどうすれば。

ここ数年、学校内で対話をしたり、子どもたちを頭ごなしに叱るのではなくて受容することを大切にしようという動きが進んでいる。その結果、相手を受容しなくてはならない、という気持ちから、言いたいことが言えない。自分を出せない。パワーの出し方がわからない。とおっしゃる先生方の声をよく聞くようになった。今回の参加者の先生方からも、そのような声が聞こえてきた。

校内にゴミが落ちているのに、拾わずにスルーしていく若手の先生への怒り。「本当はもっと自分が言いたいことはたくさんある。だけど、それを言うとすぐにパワハラだと言われるからガマンしているんだ」

そうおっしゃる校長先生にさらに聞いてみると、「あとは、ものわかりの良い校長だと思われたいという気持ちもある。やっぱり、私だって先生方に嫌われたくない。」と。

だけど、受容できない言動をとる先生方への怒りは毛穴から出まくっていて、いくら本音を隠したところで、本当はあまりよく思ってないだろうなということはビシバシ伝わっている。

受容とは、どんな行動も許すことではない。

確かに、安心安全な場を創るために、まずは「受容」の場を育むことが大切だ。しかし受容とは、どんな「行動」も許すことではない。受容するのは「存在」であり、全ての「行動」に同意する必要はない。全てに同意しなくてはならないとするから苦しくなるし、イライラが湧いてくる。

ただし「受容」だけで終わってしまうと、成長や進化は止まり、場は停滞する。安心安全という受容の土台があるからこそ、一人ひとりが生き生きと自己表現し、チャレンジしていくことができる。

管理職の先生が、「させる力」という強要ではなく、お互いを対等に尊重しあった上で、自分の願いやビジョンの実現を諦めずに伝え、エンパワーメントしていく「する力」をワークでやってみる。

「させる力」ではなく「する力」を体験する

受容できない相手にイライラしてしまう

B校長が、受容できない相手、本音を言えない相手は、「自分の責任は棚に上げて、いつも生徒のせいにする若手教師」

「授業がうまくいかないことを生徒のせいばかりにする発言にイライラする。なんで生徒のせいばかりにするのか?なぜ自分のせいだと思わないのか?教師なら生徒のせいにせず、もっと自分にできることはないかと考えるべきだ!自分の責任に無自覚すぎる!」


言動の不一致にパワー無し

本当はそう思っているのに、その若手の先生を前にすると口をつぐんでしまう。

内側にある「感情」「思考(生徒のせいにするべきではない)」と外側に出ている「言動」に不一致があると、真意は決して伝わらない。伝わらないどころか、その自己不一致している違和感を相手は本能で感じ、こちらの意図とは全く違う解釈をし始める。

自己不一致なあり方は、パワーなし。校長先生が本当に伝えたい願いは伝わらない。

感情・思考・言動の一致からパワーが生まれる

感情・思考・言動を一致させ、さらにその奥にある「願い」を伝えていく。
他の参加者に若手の先生役をやってもらい、実際に自己一致した対話をやっていく。こちらが自己一致すると、相手からも自己一致が引き出されてくる。

若手の先生は、本音を言わない校長先生に対し、本当はどう思っていたのか。

「校長にそんなふうに思われているとイラッとする。私の授業を実際に見てもいないのに、なんで決めつけるのか。だったら、授業を見にきて、クラスの生徒たちの様子を見てみてほしい。何も見ないで決めつけず、私のダメなところだけじゃなく、がんばっていること、よくやっていることも見てほしい。」

そんな声が、若手の先生役から湧き出てきた。その瞬間、B校長の表情が一気にパーッと晴れやかになった。

「そうか!!確かに私は、その先生の授業を実際には全然見ていなかった。校長なら、先生のせいにしないで、もっと自分にできることを考えるべきだった。私にももっとできることがあるのに、やっていなかった。自分を棚に上げて、先生のせいにして、自分に責任があることに無自覚だったのは自分の方だ!いやー、同じことやってたんですね!!」

一瞬で、自分も同じことをやっていたのだと学習したB校長が本当にすごい。いつも管理職の先生たちの素晴らしいなと感じるところは、この掴み取る力。

人は、一瞬で学ぶことができる。

人はなかなか変わらない、という言葉がある。
しかし、「瞬間的」な気づきによって視座の転換が起こり、別人のように変容していく瞬間が人にはある。

そんな場面に何度も何度も立ち会ってきた。人は、一瞬で学ぶことができる。その事実は、たとえ今は真っ暗闇でも、信じ続けることができる「希望の光」になる。

最後に、校長先生たちがどんな「変化の源」として世界に立つかの宣言を分かち合い、記念撮影。ここにいる一人ひとりの先生たちが「変化の源」となったら、学校は確実に変わっていく。


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