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農業のアルバイトをして思うこと(その2)

本日は5月15日
 昭和7年5月15日は犬養毅首相が暗殺された五・十五事件のあった日だ。
 この事件の後に発生する二・二六事件と合わせて当時の軍の暴走や陸軍の皇道派と統制派の争いの一環のように伝えられる。

福岡市東区香椎駅東3丁目に立つ「曙のつどい」の碑 五・一五事件の最初の謀議が行われたとされる

 五・一五事件には多くの減刑の嘆願がなされたことは比較的知られた事実であるが、その減刑運動の中心であったのが「日本農民組合九州同盟会」とい農民を中心とした組織であることは知らなかった。当時の地方の農民は貧しく娘を女郎に売らないと行きていけなかったことや陸軍の中隊長が貧しい家の兵隊に自分の給料に一部を与えていた。それに比べ都会では、職業野球(現在のプロ野球)などが行われその華やかさとは対象的だったと読んだことがある。

 農業は、人間が生きていくために最も重要な産業である。究極をいえば金融や娯楽などの産業がなくても人は行きていけるが農業ができなくなり食べ物が作れなければ人は生きていくことができない。
 五・一五事件が農業のないがしろにすることに対する姿勢から起こった事件ならば認識を改める必要があると思う。

 実はそういったことを考えたのが農業のアルバイトをはじめたことの理由の一つである。

 今の組織は障害者に対する福祉の機能も持つが、私も障害を持つ人達といっしょに働いている。和気あいあいとやってる感じがする。優れたものが他人を蹴散らすのではなく優れたものが弱いものを助けて行くことに適している農業というの障害者ではない方にも快適ではないだろうか?食の生産以外にも農業という産業のメリットは多い。

 もう少し産業としての農業に目を向ければ人がいきいきとできる日本にすることもできるのはないかと思う。

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