見出し画像

働くということは、自分の時間を切り売りすることか?

4年前、正社員の仕事に就くまではパートで働いていた時間が長かった。長男の高校進学と離婚が重なり、働いて稼がなければ子供たちを養っていけない状況に追い込まれての転職だった。経済的に余裕がなくても、できることなら少しでも子供たちのそばにいてやりたかったけれど、一日8時間働くということは、生活時間の大半を職場で過ごすということだった。

パートで働いていた時よりも当然収入は増え、経済的にも多少は余裕が生まれるようになったけれど、時間をお金で買うことが多くなった。
それは例えば、A地点からB地点に移動するのに、時間をかけて下道で行くのではなく、高速料金を支払って時短を選ぶこと。買い物に出かける暇がないため、配送料を支払ってでもネットで買い物をすること。手間暇かけて料理をするだけの気力が残らないため、調理済みのもので食事を済ませること。穴の開いた靴下の繕いをする時間がないため、捨てて買い替えること...などなど。

時間的な余裕があれば、お金を支払ってまで選択しなくてもいいのに、少しでも空いた時間に身体を休めたいと思うと、その時間を買うための出費は仕方ないか、と割り切っている。

それでも時々、自分の時間を切り売りした対価として手に入れるお金で、自分の時間を買い戻していることの矛盾を感じる。その落としどころはどこにあるのか悶々としていた中で、この春転職した。

それまでの職場は、自分の倫理観に沿わないことも組織の一員として受け入れざるを得ないことも時々あった。それを負担に感じてやめたわけではないけれど、辞めてから振り返ると、いろいろ理不尽なことも給料をもらうために耐えていたんだなぁ、と感じる。

新しい職場は仲間に恵まれたおかげで、忙しくて大変でも毎日が楽しい。仕事が楽しいからか、時間を切り売りしているという感覚はなくなった。職場の仲間から学ぶことは多い。それぞれ個性的な生き方をしてきた人たちと、ほぼ同じ時期にスタートして手探りで仕事をしてきた年だった。忙しい時期は時間が足りないと思うこともしばしばあるが、仕事をしながら人生を楽しむ余裕を生み出すことを来年の目標にしたい。

#2022年のわたしと仕事

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?