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私はなぜ、山に登るのか?

山登りに目覚めて2年目の今年は、冬から数えて4回山へ行った。
山の中に住んでいて山へ行くというのも変な話だけれども、一人で山登りをするようになって(といっても近場の低山くらいだけど)、自分と向きあう時間ができたような気がしている。

1月の雪山登山は、青空に映える樹氷を見るため。
7月のアスレチック登山は、目の前のもやもやした現実から逃げるため。
9月の笹漕ぎ登山は、人生の荒波を乗り越える精神力を鍛えるため。
10月のロープウェイを使っての半日登山は友人とのおしゃべりを楽しむため。

そのときの状況ごとに登る理由はそれぞれだけれど、先日一人で山を歩きながら小学生時代にはこれが日常だったことを思い出した。
私が通っていた田舎の小学校には、適度な大きさの裏山があった。毎朝学年ごとに山登りかマラソンか曜日ごとに交互に行う時間があったので、週2回は山登りからスタートする日々を送っていたのだった。低学年はどんぐりコース、高学年はカモシカコースを登るようになっていた。今思えば、当時の保護者や先生方が子供たちのために整備してくれていたんだろうと思う。
私はどちらかというと山登りが好きだった。今でも時々連絡を取っている小学生時代の親友は、マラソン好きだったんだろうな。大人になってから本格的にマラソンを続け、○○ウィミンズマラソンなどに出場している。
遠足でただひたすら山の中を歩いて、あるお寺の有名な仏像を見に行ったこともある。山をあるくことは小学生時代の私にとって、特別なことではなかった。

道なき道をゆく。ずぶ濡れになったけど、結構楽しい。

では、なぜ今の私が山に登るのか?毎日仕事や家事に追われて身体も疲れ果てているのに、休みの日にわざわざ山に登って疲れることに意味があるのか?
山を歩きながらその答えを考えてみた。

この20年近く、子育て中心の毎日を突っ走ってきて、子育ての終わりが見えてきたからかなー?子供たちが巣立って行ったあと、もぬけの殻になってしまわないように、自分が子育てに注いできたエネルギーを向ける先がたまたま山だったのかな、と思う。

色づき始めた木々。

それにしても今年は山岳遭難のニュースが異常に多かった。遭難者数は過去最多だったそうだ。山へのあこがれだけで安易に難度の高い山への挑戦はしないことに決めている。一歩ずつ歩みを進めて、いつか憧れの山の頂を目指したいと思う。

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