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父と、いとこのはじめくん

今から30数年前、子供の不登校が社会問題になり始めた時代(当時はまだそうした子供たちの受け皿になる高校がなかった)に、ある精神科のお医者さんが力を尽くしてつくった高校がある。そのお医者さんは、私の父のいとこだった。

小児まひで足が不自由に生まれた父は、学年では一つ下のいとこの「はじめくん」と一緒に登校するために、一年遅れで小学校に入学した。はじめくんはとても優秀で「いつか医者になって、とんちゃん(父の呼び名)の足を治してやるからな」と言っていたそうだ。はじめくんはその言葉通りお医者さんになり、不登校の子供たちと向き合って学校をつくった、ということは私が中学生だったころ、父から聞いて知っていた。当時私にも不登校の時期があったので、父もいろいろ悩み苦しんだのだろうと思う。

中学で不登校になった長男が高校進学を控え、いくつか見学に行って選んだのが、全寮制のこの学校だった。父とはじめくんは大人になって疎遠になってしまったそうだけれど、2人の縁のおかげで出会えた学校だ。

子どものみならず、親自身が「生き方」と向き合い、悩み、学んで成長するために、互いに語り合ったり学校生活を陰から支える活動をしたりするのが「親会」だ。住んでいる場所から片道400㌔のこの学校に、長男が高校1年生の時は親会や行事参加のため、当時小学生だった弟2人を連れてほぼ月1くらいのペースで行き来していた。2・3年の時はコロナ禍の学校生活となってしまったけれど、長男はここで過ごした3年間で信頼できる大人と出会い、友情を育み、人として大きく成長して卒業した。

あれから2年。今年中学3年生の次男も、不登校を経て長男と同じ学校への進学を希望し、2泊3日の体験入学(受験)のために今日送り届けてきた。公共交通機関で朝出発しても間に合わないし、三男は学校を休みたくないので一人家に置いて前泊するわけにもいかず、往復800㌔の道のりを真夜中に出て日帰りで戻るしか選択肢はなかった。通い慣れた道なので、さほど遠くないようにさえ感じるようになった。次男も勝手知ったる学校なので、緊張もせずに3日間を過ごせそうだ。

子育てをしながら、子供たちがいつか巣立っていくことを意識して一緒にいられる時間を大切にしてきたつもりだけれど、立ち止まって振り返ってみると、いろいろ悔やまれることが多い。次男の巣立ちまであと少し…。無事に飛び立てるように見守ることしかできない自分の無力さを思う。



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