自分の山は自分で作り上げるし、そこを登っていく。それが人生じゃないかな

人生はウサギと亀のレースじゃないです。
人生は山登り。
みんな同じ山を登るんじゃない。
みんな自分だけの山を登る。
周りで山を登る他のみんなが、サクサク進める山を痛快に歩いている人だろうと、登るのが険しく高い山をそれでも頑張って歩いている人だろうと、なまけて麓で眠っている人でも、自分にはまったく関係ないと思いませんか?
自分は自分の山を登らないといけないのだから。

登りやすい山を登る人を眺めて「何で私の山はこんなに険しいんだろう。なんで私はあんなに簡単に登ることができないのだろう」とか、「あんなに努力して険しい山を登っているのに、私はそんな根性もないからまだこんな低いところで休憩してしまうんだろうか」とかさ。

山によっては環境も天候も違うし、自分の体調や特性も違う。
そんな違うものを比べながら「自分が優れてる!」「自分が間違っている!」とか言っても意味ないでしょう?
「春が良いか!」「夏が良いか!」「秋が良いか!」「冬が良いか!」っていう競う授業が小学生のころありました。
あれは、競うわりに、結局勝者はいませんでした。
先生も何も言わなかったのです。
ただ頑張って自分の正しさを訴えただけで終わった授業でした。
でも、それが答えなのではないかな、って最近思うようになりました。

万人に通じる「正しい」はないでしょう。
誰が優れているか、何が優れているか、そんなの時代とともにどんどん変わります。
流行と一緒で、それにいちいち振り回される人生でいいのかな。
立ち止まってしまい、動けないなら休憩がてら考えてみてはいいのでは?

誰も人生に責任を持ってくれない。持てるのは自分だけ。
「誰かがああいった」「誰があれをやれと言った」
でも、責任を持つのは実行する自分だ。
他人の意見を全部否定しろという話じゃないけどね。全部信じろというのも危なっかしいけれど。
つまりまぁ、難しいけど「自分で考えて自分で決めるしかない」なんですよね。

失敗して責められても「私の失敗に、あなたがなにか関係しているの?部外者が偉そうに口を挟んで、暇なんですね」とか心のナカで思ってストレス解消していますw根暗?wそうかもですね~。でも、思うだけならタダだし、誰にも迷惑かけないし。心や頭の仲間では崩す権利は、誰にもないんですよ。
もし本当にそれをすることが出来る人が居たら、それは私にとっては完全な悪ですね。全力で逃げ出したほうが良い相手かもw

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