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悲しみの意味

皆さんこんにちは。大辻彰誉です。

今回の記事はいつもと少しニュアンスを変えて感情について書いていきたいと思います。

皆さんはディズニーピクサー作品の
「インサイドヘッド」という映画を見たことはありますでしょうか?

この物語は、主人公の脳内にある5つの感情がキャラクターという斬新なストーリー設定で描かれた作品です。

ヨロコビ、イカリ、ビビリ、ムカムカ、そしてカナシミ。

5つの感情がキャラクターとなり、物語は進んでいきます。

その中でもキーパソンになる感情がカナシミです。
カナシミって人の気持ちを悲しくしたり、落ち込ませたりしてしまう人間にとっては厄介であり、ネガティブな感情として捉えられることが多いですよね。

映画の中でも、カナシミは周りの感情からは邪魔者扱いされ、自分の存在意義が分からなくなっています。

このインサイドヘッドというお話しは、カナシミとは人間にとって必要なのか?
いったい何の為にあるのか?
という疑問に答える内容になっています。

実は、私自身が今1番向き合っている感情がこの悲しみです。

離婚、そして1番大切な存在の娘との別れ。
なかなかこの悲しみの感情を切り離して生きていくことができないでいます。

これは私の経験則でもあり、一般的にも言われていることらしいのですが、私と同じような経験をした場合、多くは最初は無気力になり、その後に相手に対して強い怒りを持つことが多いです。

そしてこの怒りの感情のパワーは果てしなく強く、腹が煮えくり返るほどの強い怒りや、表現が悪いですが本当に殺してやるとも思ってしまうほどの感情が湧いてきてしまうのです。

私は、妻が家を出て行ってから、復縁する為に専門のパートナーシップカウンセラーの方と共に自分自身を変える取り組みをしました。

復縁する!という絶対に叶えたいという目的があったおかげで、私は無気力の期間を短くできたと思っています。

しかし次に出てきた強い怒りのフェーズにはかなり苦しみ、今も定期的にこの怒りはフラッシュバックするタイミングがあります。

パートナーシップを受けていて、この怒りには隠れている感情がある事を学びました。

この怒りの裏に隠れている感情こそがカナシミです。
強いカナシミ、寂しさが怒りという仮面をかぶって表に出てしまっているんですよね。

このカナシミという感情はインサイドヘッドと同じように本当に厄介です。
頭が悲しみでいっぱいになり、何も手がつかなくなります。
せっかくいい感じで物事が進んでいてもピタッと手が止まってしまいます。

これだけ悲しいのは自分だけだ。
とてつもない孤独感が襲ってきます。

カナシミとは必要なんでしょうか?必要なのであれば何の為に必要なんでしょうか?

ここからインサイドヘッドのネタバレにも繋がりますので、これからネタバレなしで見たいという方は是非映画を見てからカムバックして来てください。

映画インサイドヘッドでは、カナシミの役割は、愛情や友情だったり、人の絆を深めることと結論づけています。

人はカナシミに反応して、絆を深めていきます。

思いやり、共感、同情。
カナシミとは人間の理性の源であり、決して欠かすことのできない感情なんですよね。

悲しい、寂しいという感情は、僕の場合、これだけ愛してた家族と離れ離れになる。家族の為に頑張って働いてきたのは何の為だったのか?そんな感情が多いです。

しかしそれは、それだけ人を愛せていたということ、それだけ自分ではなく誰かの為に尽くせたということでもある。

カナシミから読み取れる自分自身の素敵な部分。

カナシミとは愛しみとも書いて、カナシミと読みます。

カナシミなしでは、愛は生まれず豊かな人生は送れないということですね。

もしかしたら、沢山悲しい経験をしている人ほど、愛に溢れる人になれるのかもしれません。

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