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お父さんカット

生まれた時から髪は安いバリカンで父に切ってもらっていた。3,000円ほどの安いバリカンではあったが、いつも坊主の僕の頭には関係なかったし、父は素人なのに上手だった。

どうせ最後はツルツルだからと遊ばれる


中学1年の入学したての頃、ツーブロック校則に捕まりトイレで泣いていたことがあった。父は「ツーブロじゃない。お父さんカットだ!」とリビングで学校に腹をたてていた。

中学3年では初めての床屋さんデビューを経験したが、コロナ禍でマスクをせず来たことにより、入店拒否、一度家に帰りマスクをしていったものの拒否され、初めての床屋は辛い記憶となった。改めて父の「お父さんカット」に戻った。


高校は島根県の高校に進学することになり、お父さんカットは卒業になった。

息子が親の髪を

島根県では寮生活になり、島根の床屋さんに行ったり、寮の先輩が髪を切ってくれたりしてくれた。実家に戻ってきた時、天パでボサボサの髪の毛が嫌で、美容室にパーマをかけにいった。予約せずに行ったところ、パーマは予約しないとできないことが、「今日はどういうご希望ですか?」のセリフを言われた後に発覚。席に着いたのに「後日改めてきます。」と言えるはずもなく、ただのカットに3000円払った。世間一般的には普通の値段だろうが、なんせお父さんカット15年の僕には新しいバリカンが買える値段としか思わなかった。当然美容室のサービス面、衛生面、技術面は、髪の毛がつかないようにパンツ一丁で切る父と比べれば良いものだ。しかし、彼女がいない僕にはお父さんカットで十分すぎる。寮生活では特に不自由なく先輩がイケてる髪型にしてくれていたものの、先輩は卒業。僕含め、安く先輩に切ってもらっていた後輩は多く。散髪屋へ流れていった。それなら僕が切ってあげようと自分のこめかみを犠牲に練習して、刈り上げが上手にできるようになった。徐々に髪を切って欲しいとお願いされることが増え、1カット1000円でも満足してもらえるレベルにまでなった。しかしながら、自分の髪の散髪はサイドのみのカットであった。実家では遂に父が自分で自分の髪を切るセルフカットができるようになったと聞き、「僕もこれだ!」と思い、手を後ろにやって自分で切った。難しい…見えるわけもなく

友達にスマホで撮ってもらいながら、細かく直していった。普通のカット数倍の時間がかかってしまったが、なんとか切れた。その後も何度も挑戦する中で、バリカンの音、髪の毛の手触りから、髪の凹凸を見つけ上手に切れるようになった。実家でもセルフカット術を披露したが、「上手にできたじゃん」と父から褒められた時は本当に嬉しかった。

一般人は平均的に1年間5回ほど行くため3000円×5回×60年=90万もこれから節約できることになる。小さな自立だが、最高の自立だ。

お父さんカット卒業と書いてあるが、よく考えれば卒業ではなかった

いつか僕に息子ができたとき息子にお父さんカットをしてあげるからだ。

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