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ペンテコステの日に

 2024年5月19日日曜日。午前中に用事があり出かけたので、午後から小石川植物園に行く。冷温室や温室では、センカクツツジやエゾカワラナデシコなど、日本各地の固有種のお花が咲いていて、東京にいながらにして、北へ南へと旅した気分になった。

センカクツツジ
エゾカワラナデシコ

 冷温室で大事に栽培されている鉢植えのお花を見ているうちに、小学校時代の同級生Мちゃんのお母さんのことを思い出す。

 Мちゃんは、同じ団地に住んでいて、小学校3、4年のときに同じクラスだった。お母さんは、色白で目はぱっちり、体型はほっそりしていて、在宅で編集の仕事をしていた。鍵っ子の私は、学校帰りによく部屋に上げてもらって、手塚治の『ブラックジャック』を読んだり、お母さんが編集に携わったという絵本を読ませてもらったりした。

 Мちゃんと特に仲が良かったのは、小学校4年生のときだった。その頃、私の母は病気で入院していて、学校の遠足があるけれど、お弁当を作ってくれる人がいなかった。そんな私のために、Мちゃんのお母さんは私の分までお弁当を作ってくれた。何が入っていたかは忘れてしまったけれど、Мちゃんのお母さんの優しさだけは、今でも覚えている。

 Мちゃんのお母さんは、手間をかけるのを厭わない人だったのだろう。Мちゃんのお誕生日会に呼ばれたら、お母さん手作りのケーキが出てきた。生クリームにいちごのショートケーキだったと思う。私にとって、ケーキはお店で買うものだったので、手作りであることにまず驚いた。切り分けてもらったケーキを一口、口にすると、自然な甘さで、そのおいしさにも驚いた。

 小学校6年生のときに、団地から引っ越して、それからはМちゃんとのやり取りも途絶えてしまった。

 15年ほど経って就職が決まったときに、何を思ったか、生まれ育ったその団地を訪れた。今でもМちゃんの家族が住んでいるのかどうかもわからないし、Мちゃんの家族が在宅かどうかもわからない。部屋のネームプレートを見ると、Мちゃんの家族の名字である。呼び鈴を押して、名前を名乗ると、お母さんが出て来てくれた。冬の寒い時期で、お母さんは、暖房を節約するためにフリースなんかを着込んでいた。
 その日は、たまたまМちゃんのお父さんもいて、話に花が咲いた。就職が決まったことや、また引っ越したことを伝えた。Мちゃんのお父さんお母さんにとって、私は勉強が得意というイメージがあるようで、引っ越し先を、大学もある文教地区と勘違いしていた。
 
 Мちゃんはというと、近くの高校を卒業後、短大に行って、今は一人暮らしをしながら、カメラマンを目指して勉強中だという。お母さんは、Мちゃんが載っている写真雑誌を見せてくれた。Мちゃんは、新進カメラマンとして、カメラを手に写真におさまっていた。Мちゃんは、小学校の頃から男子にモテモテだったので、ずいぶん派手になっているのかなと思ったけれど、そんなこともなくて、小さい頃の面影もあって、予想外だった。

 お父さんお母さんと一緒に写真を撮って、Мちゃんのメールアドレスも教えてもらってお別れした。

 それからМちゃんにメールはしたけれど、そちらのやり取りは続かず、Мちゃんのお母さんと、かれこれ20年にわたって、年賀状のやり取りだけが続いている。年賀状から、Мちゃんが結婚して子供が生まれたこと、子育てしながら仕事も続けていることなんかがわかる。
 毎年、年賀状の写真は、団地のベランダで育てている鉢植えのお花だ。小学校時代に私がおじゃましていたときから、鉢植えのお花を育てていらしたのかもしれないと思うが、関心がなかったために、全く記憶にない。

 Мちゃんのお母さんは、お弁当を作ってくれる人のいない私のために、余分にお弁当を作ってくれた。それは、お母さんが今、愛情をもって花を育てていることに通じていると思う。「花には水を、人には愛を」を、昔も今も自然体で実践なさっているМちゃんのお母さんは、10歳の私にとって文字通り救世主だった。

 こんなことを考えていたら、noteユーザーの方が私の記事にスキマークをつけてくださっていた。クリスチャンだというその方の記事に飛ぶと、5月19日の今日は、ペンテコステだとあった。そうか、今日は、信徒のもとに聖霊が下ったという、聖霊降臨祭の日なのか、だから不信仰な私のもとにも聖霊が下りて来て、Мちゃんのお母さんが私に示してくれた無償の愛を思い出したのか、そう思った。

 自然体で無償の愛を示してくれたМちゃんのお母さんに倣って、ふだんの生活の中で、こうしてnoteに書くことを通して、周囲の人に喜びを届け、笑顔になってもらえたら、と思っている。

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