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人生とは-見えないものを観る-

追い詰められていく 天仕の指導によりに行者らの各居住地域に拠点を作ろうとする動きが出てきた。そしてそれとは別にいつものように説明会的な催しをあちこちで開催し、行者獲得を目指す。東京では有名なホテルも多かったようだが、会場予約はすべて天仕だから指定された場所へ行けばよかった。 それでも行者獲得は大変だ。 みな、活動資金にも苦労しているわけで、その内「歓びの証」なるものが出るようになる。その実態はよくわからなかったが、おそらく「ひとりいくら」で報奨金が出るようになって、勢いづ

    • 人生とは-誘導されていく?-

      狐につままれる? さて、特訓から帰ってほっとしたのも束の間で、翌日には天仕と称する係の者から電話が入ったり、天声に沿って天納金を納めるよう指導される。 かなり高額だったが、振り込みが確認されると「家の中心」と称する掛け軸が届く。開けてみると「南無天法地源如来行」と書かれていて、立派に見えた。これを家のどこかにかけて「七観行」を毎日唱えることになるが、とにかく文字数からしても長すぎて敷居にかけても様にならない。 この掛け軸を見ても、まだこれが宗教(団体)とは思わなかった。何故

      • 人生とは-

        体験修行 突然、「修行をするように」と指示されても、どういう内容か何も確認できないまま修行代を振り込み、数日後には新幹線に乗って会場へ向かっていたが、不安よりも期待の方が勝っていた記憶がある。問題は体の不自由さをどう補うか?移動とトイレの問題さえ解決できればなんとかなるだろうというお気楽さ(?)はいつものこと。 一日目の会場は建物の2階。夫が負ぶって上げて教室へ入れてくれた。あとは指導員に任せて帰るしかない。 「がんばるんだよ」「うん、わかった。心配しないでね」「安心して

        • やって見なければ分からない

          今日は久しぶりに過去の話(タイトル「人生とは」)から離れ、現在に戻って、今朝の体験を記しておきたいと思う。 というのもベツドから車椅子への移乗をほとんど一人でできた日として記しておきたいからだ。 今まではベットから丸椅子に乗り移り、向きを変え、後ろ側と前から身体を持ち上げ車椅子に引き上げてもらっていたが、補佐役のヘルパーさんのサポートがうまくいかず、足を傷めることが頻繁に起きていた。 ヘルパーさんには慣れてもらわなければクリアできないので私は体験学習の教材。相手役としてなん

        人生とは-見えないものを観る-

          人生とは-

          人が生きると書いて人生 ではどのように?何のために? 私の場合は、意識するとかしないとかに関わらず、「心」を観ること、感じることで浄化していくことがテーマとして与えられていたように感じる。 前章迄に綴った師との出会い、お導き、そしてその時代に共に歩んだ仲間たちとの学び合いの時代。今思い返しても大変懐かしく、まだまだスタートラインそのもので、問題意識は浅かったようだ。とにかく「病気平癒」で、健康を取り戻さねば何もできないし、身体が動きにくくなってからは、夫が仕事から帰って来

          人生とは-

          人生とは-恩師-

          懐かしい思い出 特異点とは、何も一つとは限らない。それは自身の意識が引き寄せるものだし、意識するとしないとに関わらずみな通過点として通っている。 けれど因縁解脱を目的として、ただ行を繰り返していたとして、果たしてどれだけの行者が目的を達成出来るのか? 目的を意識するとしないとでは大きな差が出てくると感じる。それを師は私たちに「忘れないように」と暗に示して下さったのだと今も振り返って思う。 いつの時代も新旧交代というか、若い者たちへ道を譲って互いに発展していく時が訪れると思

          人生とは-恩師-

          人生とは-苦集滅道

          因縁を切りたくて千座行をはじめ、先祖の供養も数えきれないほど繰り返しお願いするが、これはきりがない。 自分なりに家系図を作ったりもして、ご供養をお願いし過去帳も新たに作り、毎日ご供養させていただくが、だからと言ってそう簡単に病状は変わらない・・・ 苦集滅道。「苦があるのはあなたが集めたからですよ。しかし、滅する道がありますよ。」というのが仏陀の教え。 そして、その滅する道とは、仏陀になる教えに従って歩むことである。それは誰かがではなく、気づいた者がその道を歩むしかないのだ。

          人生とは-苦集滅道

          人生とは-光る言霊-

          毎月行われる例祭ではお護摩が焚かれ、修行者の因縁切りが順調に運ぶよう浄化し、後押しをしてくれていた。そしてその後にご法話を拝聴する。 ご法話の内容はとても分かりやすく、ご自身が歩まれてきた道で筋道の通ったものだから心に響いてくる。 当時、仏教界では「異端児」として非難もされていたが、教えだけでなく実践行として説き。指導してくださった。 やはり、頭だけの教えでなく、実践・体得してこそ説得力を持つ。 私も、とにかく指摘された因縁について、一日も早く解決したく行に励んだ。 そして

          人生とは-光る言霊-

          人生とは-同行何人?-

          「同行二人」といえば、普通、弘法大師様を思い浮かべると思うが、当然のこととして「人生の道案内人」となると、意識するしないとに関わらず、数えきれないほどの数となる。 さて、当時の私が苦境を抜け出すための救いの道はただ一つ。お守りとして買い求めた本の著者にお会いすること。それ以外に考えられなかった。 そして、何も分からないまま夫と、仮設道場といわれる場所へ訪ねて行った。受付で用件を話すと奥の部屋へ通され相談員の方が対応してくれたが、事情を話し始めると、「ちょっと待ってください。

          人生とは-同行何人?-

          人生とは-道案内人-

          前章で姉との思い出を記したが、姉の病気を何とかして上げたくて自分にできることはないか?常に頭のどこかで考えていた。 成人式に参加した時も、式場から出てくる私たちに献血車が待機していて献血を呼びかけている。当時は献血が不足していたようで売血する人もいて衛生面等で問題になっていた。 そこで成人を機に献血に参加し、姉が必要になった時に備えて定期的に献血センターにも通った。 結婚して数年後のある時、玄関ポストに「病気治し」のチラシが定期的に投げ込まれていた。最初の頃はほとんど目を通

          人生とは-道案内人-

          人生とは-姉との思い出-

          長姉との思い出は思い出せるだけでも大変多く、それだけ縁が深かったということと理解している。 先ず思い出すことは5、6才の頃だったと思うが当時三人娘と呼ばれていた(美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみ)のコンサートに連れて行ってくれたこと。この頃はまだ家も裕福?だっようで姉は私立学園の学友と誘い合って歌を聴きに行くというよりも「ひばりちゃんに会いに行く」「会いたい」という感覚だったと思う。普通なら学友だけで楽しみたかっただろうに、私の面倒を見なければ親から許可が出なかったのだと思

          人生とは-姉との思い出-

          人生とは-社会人としてスタート-

          いよいよ社会人一年生。就職試験の時、担任が奨めてくれた二社を受験。どちらも無事合格したが、どちらを選ぶかは私次第。 丸の内にある商社のほうは給料が高かったが、ビル内は廊下を隔てて両側に扉、扉、扉と続き、人気もなく(通路だから当たり前だが)暗くて重苦しかった。室内では当然、みなしっかり働いていて活気もあるのだろうが、廊下を歩きながら「この空気に耐えられるだろうか」と緊張し、気持ちがしぼんでいくのを感じた。 そしてもう一つは製造会社。こちらの初任給は商社より確か二千円ほど低い一

          人生とは-社会人としてスタート-

          人生とは-高校時代-

          都立高校に落ち、二次募集で私立の女子高へ入学させてもらったが、何か胸を張って級友たちに「初めまして・・・」と自己紹介するのも気が引けた。 それでも先生から学級委員に突然指名され驚いたが、クラスをまとめる器ではないことは自分が一番知っているわけで、荷が重く感じられて他の人に交代してもらった。やはり「二次募集で入れてもらった」という引け目もあったようだ。 また、クラスをまとめていくには向き不向きがあり、その器でないことも分かっていたし、クラスの一員で十分であった。なにも無理をする

          人生とは-高校時代-

          人生とは -中学時代ー

          ランドセルから手提げかばんと紺の制服に。鏡に映る姿にちょっぴり大人になった気分。 校舎が二棟、三棟と並びその裏には新しい体育館もできていた。校庭もとにかく広く、突き当りにテニスコート、バレーボールコートがそれぞれ二面。陸上部も離れたところで走り込んだり、練習する場所はいくらでもあった。都会の学校とは違ってその広さに驚くばかりだ。 先ずは部活選び。 家の近所の卓球場で遊んでいたこともあり卓球部へ。毎日素振りの練習だったが、その内、級友からの誘いでバレー部へ移った。パスや

          人生とは -中学時代ー

          人生とは ー小学生時代その⒉

          生まれて初めてのアパート生活は、庭もあり、両親の部屋と子供たちの部屋の二室。玄関で靴を脱ぎ、階段を上がっていくと共同で使える流し場があり、一階裏の井戸端からくみ上げた水で調理もするし住民の顔合わせ場所でもあった。共有の場所である廊下は私が登校前に履き掃除と雑巾がけをする。共同トイレは二歳年上の姉が担当。アパートといっても現在の形式ではないから数世帯の共同生活で大家族のようでもあった。 親戚に預けられていた期間は学校に行っていないので、転校してから授業についていけないこともあ

          人生とは ー小学生時代その⒉

          人生とは

          文字通り「人が生まれ、いかに生き、何を学ぶか」ですね。 では、何の目的で何のために? おそらく母親のお腹から狭い産道を通って「おぎゃー」と産声を上げ、この世に出てくるまでは憶えていたに違いない。 記憶を失うということは、おそらく人生の目的を憶えていたら学びにならないからではないだろうか。 ♪人生いろいろ~ ♪ 男もいろいろ~・・・・♪ なんていう歌が昔、流行ったが、誰一人として全く同じシナリオではないから、面白いしお互いに学び合い、成長していけるのだ。 当然、生まれる前

          人生とは