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モヤモヤしていたことを吐き出してみた

 わかろう、わかろうと努力した・・・。もしくは、あまり深く触れようとしなかったこと。その件には触らず過ごしてきたこと。なんだかモヤモヤしていたこと。

①ジョージ・ハリスンのインド音楽

 ビートルズを聞き始めた中学時代。ジョンとポールの声の違いも判らなかったあの頃。たまに名画座で上映される映画と音楽雑誌で見ることができる彼らの姿、そしてレコードだけが唯一の情報源。
 友達と貸し借りを繰り返し、デビュー盤から『レット・イット・ビー』まで揃えた時は、快哉をあげたものだった。
 私の中学時代の洋楽は、ビートルズの占める割合が非常に高い。わかりやすい音楽と歌詞はわかりづらいボブ・ディランのそれと対照的で、気軽に聴いていた気もする。しかしながら、唯一気が重くなる時があった。
 1960年半ばからビートルズはインドに傾倒していく。狂気のスケジュールをこなしていたあの頃の4人は、瞑想でもしていなければ正気でいられなかったのかもしれない。
その中でもジョージは深くインドにのめりこんだ。きっとジョンとポールという天才を目の前に、後輩という立場や控え目な性格も相まって精神的におかしくなっていたのかもしれない。そのスパイラルから抜け出すためにインドという摩訶不思議な世界に入っていったのか。
 インドは1960~1970年代に流行り病のように若者の心に侵入した。ビートルズやストーンズといった世界的なアイコンがインドを経験し、日本でも横尾忠則が「インドで瞑想してきた」などというエッセイを発表していた。
かくゆう私も本などで理解をしようと試みたことがあるが、ファッションとして捉えることはできても、ジョージのように魂、そして音楽というところまではいかなかった。
 そもそもあのシタールの音が私はどうも苦手なのだ。
コーラルのエレキシタールあたりで軽音楽にアクセントをつける位ならば大いに結構なのだが、ジョージのそれは、ホンモノに近い。
 例えば1965年の『Rubber Soul』で聞かれる「Norwegian Wood」のバックで奏でられるシタールはとても良い効果音。あのフレーズをギターでもピアノでもなく、シタールというのはとても雰囲気が出る。
 1966年の『Revolver』の収録曲「Love You To」は、『Revolver』自体が録音トラックの進化や革新的な音作りと相まって他の曲にも対抗する為にあそこまでホンモノ感を出したのかなと自分を納得させた。
しかし、1967年の『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』ではジョンとポールの曲以外で唯一の曲がジョージの「Within You, Without You」。
これはもう頭を抱えた。わからない。何が良いのかさっぱりわからない。
 『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』は名盤だと思うが、唯一あのインドの曲が全くわからない。
レコーディングでもジョージとインドの人たちで作って、他の3人は参加していないそうだ。モヤモヤしてしまった。
ジョンは「Within You, Without You」を「ジョージのベストソングの一つだ」と言ったそうだが、本当だろうか。ジョンはLSDでもやってキメていたのではないだろうか。
ジョージってナイーブというか、常に不安定というイメージ。だから何かにすがりたいという気持ちが溢れてきてしまうのか。
 インドに縋ること、つまり、インド音楽とビートルズというより、ジョージの不安定さの音楽表現というところなのか。そんな内面のところまで考えていなかった中学時代の私は、ビートルズのアルバムでインドの音が入ると、モヤモヤしてしまうのであった。

②ボブ・ディランの歌い方

 影響なのかどうかわからないが、ディランの歌唱に似せたであろうミュージシャンの歌唱は面白いものだ。
 1978年にデビューしたサザンオールスターズ。それまでの日本のロックやポップスで桑田佳祐のような歌い方をするシンガーはいなかった。英語訛りのような日本語で、1回聞いただけではわからない歌詞や歌いまわし。洋楽好きが作り上げたヴォーカルスタイルが唯一無二となり、サザンは大ヒットしていく。
 私は桑田佳祐のあの特徴的なヴォーカルスタイルを初めて聞いた時、ボブ・ディランを重ねていた。日本語のイントネーションは無視し、洋楽のアプローチで歌う桑田。
 そもそも日本の歌は日本語一音に一つの音符を当てているが、英語のそれは単語に音符を乗せるメソッドであるから、それを具現化した桑田はコロンブスの卵のようなものだ。
それまでの日本語のロックの代名詞は「GS」や「はっぴいえんど」や「キャロル」であったが、どれも音符には日本語一音という事を考えると、ノリが野暮ったく感じる。
しかし、言葉の響きやアクセントなどを一切無視し、まくし立てる様に歌う様は新しい日本の歌という形で若者たちに受け入れられていったのである。
 桑田がボブ・ディランの影響を受けたかどうかは定かではないが、あの歌いまわしは近いものがあると思う。但し、桑田はめちゃくちゃに唄っているようで実は音程を外さず、しっかりと音楽を綴っているが、ディランはどうだろうか。

 だみ声で主旋律がよくわからない浮遊するようなヴォーカルスタイル。フォールと呼ばれる歌詞の最後を意図的に落とすという歌唱法を多用している。
また、1番と2番の歌い方が違うことなど日常茶飯事。リズムもずれることもしばしば。
それがライブになれば、輪をかけて強調される。もうその時の気分で歌っているとしか思えない。
 しかしながら、『ナッシュビル・スカイライン』(1969)では澄んだ声に変身し、『セルフ・ポートレイト』(1971)では音程を外すことなく綺麗にシンガーに徹する面も見せている。
プロレスで言うならば、反則技のオンパレードの様で実は正統派の戦い方もできるタイガー・ジェット・シンのような歌唱だ。
 上手く歌うことができる、そんな一面もありながら、ディランの歌唱は謎のまま今に至っている。これでいいのか?と思わせる歌唱。
 そうは言っても彼の伝説的な存在感とノーベル文学賞を受賞してしまうほどの歌詞。これについては、否定できない事実である。ディラン本人も歌詞と曲が相まって初めて自分の作品だという事を主張しているが、曲という事はあの歌唱があってのことであるから、それも含めたディランミュージックとして受け止めるしかないだろう。
 しかし、誰もが心の中で「歌、これで合っている?これでいいの?」って思っているはず。
 ディランは商業的に成功した音楽家であると思うが、常に全米TOP40を騒がせる存在ではない。歌のパワーが時代に合った60年代にオピニオンリーダーになり、それが60年続いているということ。
ちなみに、冒頭のディランの歌唱に似せたシンガーで何人か思い浮かぶが、萩原健一の晩年の歌唱法もディラン同様理解不能だった。
 感情の赴くままに、と言ったらそれまでだが、エンターテイメント、若くは商業的に捉えるならば、あまりにも芸術的(?)で突出している。
 商業音楽は売上重視なので万人受けが必要である。物真似をしてもやり過ぎは良くない事の例である(ディランの物真似にしか聞こえなかったもので)。
ちなみにディランの歌唱でモヤモヤしている人は世界中に沢山いると思うが、それはそれで認めざるを得ない存在になっているから、良しとしよう。

③歌い方、歌唱法が変わってしまう人
中島みゆき、長渕剛。

 歳をとると肺活量や喉の老化により、声が出なくなる。それを補うために原曲とは違う節回しで歌唱するシンガーが増える。やたらとフェイクしたり、後乗り(アトノリ)にして誤魔化してみたり。
しかし、中島みゆきも長渕剛も老化による歌唱法の変化とは思えない。
なぜなら若い時よりも声を張り上げて歌っているから。
 特に中島みゆきは、曲によっては字余りソングで叫ぶように歌っているときなど、若き吉田拓郎を彷彿とさせる。中島みゆきもアマチュアの頃は拓郎ファンだったようだから、歌唱法として見た場合、歌い方の真似なんて簡単にできるんだろうな、と深く考えないようにしている。
 ちなみに私はフォーキーな頃の中島みゆきは好きだが、テレビドラマ「家なき子」の主題歌「空と君のあいだ」あたりのみゆきは拓郎が歌っているみたいで、モヤモヤしていた。
とにかくシャウトしていたから。

 長渕剛はデビューの頃は叙情的な作品もあり、可愛らしいフォークソングもあった。
フォークの良き兄貴という感じで、女性からの人気もあったが、「とんぼ」あたりの反社的な演技に相まって、歌の内容も変わって来た。そして、いつしか体を鍛え始め、筋肉を身にまとい、ブルース・スプリングスティーンみたいな体つきになっていた。同時に歌い方も相当変化した。男のファンが大幅に増えた。
 中島みゆきにしても長渕剛にしても長い経歴のミュージシャンであるから、作風の変化も当然あるだろうから、あとはどの時期が好きなのかということだけ。
ファンはどの時期も好きなのだろうが、私としては彼らの初期を良く聴いていたため、今の2人の歌い方はしっくりこない。
しかし、この2人くらい歌い方が変わったシンガーっていないのではないか。

 吉田拓郎、井上陽水、矢沢永吉、ユーミン、さだまさし、小田和正、ドリカム・・・長きにわたって活動しているミュージシャンだが、歌い方の変化は少ないと思う。
 そういえば、ミスチルの桜井和寿は桑田とデュエットした「奇跡の地球」あたりで歌い方が変わった気がする。その後の桜井は桑田のようなアクセントで歌い始めた。ディランと桑田の歌唱でも述べたフォールも良く使われている。
それが良いか悪いかという問題は、ファンが決めることだから、どうでもいいが。

 歌唱についてはそのシンガーの特徴ということもあるから、余計なお世話で、どうでも言いことかもしれない。
ただモヤモヤしていたことを書き連ねていたら長くなってしまっただけ。ごめん。

2024年3月14日
花形

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