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『SPACY』 山下達郎

 昔のコラムだけど、結構厳しいこと書いているんだよ。本音なんだけどね。
 達郎は自身の曲について「詞にはあまり思い込みを残さず、サウンドで勝負することが自身の音楽性には合っている」と昔の記事で読んだことがある。もちろん社会性やプロテスト的な内容が無い訳でもないが、ポップミュージックのあるべき姿はサウンドなんだそうだ。
 ヒットソングを出し、レコード会社からのバジェットも増え、自身の頭の中のサウンドを自身のやりたいようにできるようになった。そこが転機だったんだよな。
2024年2月13日

 1980年初頭。あの頃は海水浴に行くと、必ず誰かがラジカセを持ってきていた。ラジカセから流れる音楽は決まってサザンや山下達郎、高中正義、あたりのリゾート・ミュージックが決まって流れていた。
 僕はそんな音楽を聴きながら、「つまんねぇなぁ・・・」と思いながら青い空を眺めていた。
 サザンが浜辺に流れることについては、なんとも思わない。それなりの音楽だし、誰が聴いてもわかりやすいし・・・。しかし、達郎が浜辺で流れることについては納得できなかった。「RIDE ON TIME」でブレイクし、『FOR YOU』(1982)でメジャーシーンに出たばかりの時、世間は「夏だ!海だ!達郎だ!」といわんばかりの熱狂ぶりだった。
 確かに夏っぽいレコード・ジャケットだったし、ヒットのきっかけになった「LOVELAND ISLAND」は誰が聞いても夏の曲だ。「MUSIC BOOK」「SPERKLE」など聴きやすい歌が目白押しのアルバムで、夏の匂いがした。しかし、達郎ってこんなに明るかったか?!
 達郎ブレイクはこの後も延々と続き、「JODY」「高気圧ガール」そして大ヒット曲「クリスマス・イブ」が収録された『MELODEIS』(1983)は大ヒット。多少、制作期間にインターバルがあっても、達郎人気は不動のものとなった。しかし、世間が達郎達郎と言い出した頃から、僕は何故か盛り下がっていった。最近の達郎作品はどれもこれも同じ曲に聞こえてくるからだ。
 理由は簡単。『FOR YOU』と『MELODIES』を境にレコード会社を移籍し、独自性を打ち出し、達郎は自由に音楽を作り始めた。達郎の思い描く環境で制作されていると思うが、それは反面では自己満足にもつながり、裸の王様状態にもなっているのでは・・・とまで考えた。商業音楽は売れてナンボのところがあるから、私の考えも乱暴なんだが、達郎は音楽家であってすべての楽器のプレイヤーではない。コンピューターで何でも作れてしまう時代を彼は歓迎したかもしれないが、私はその道のプロの演奏を聴いてみたいという欲求が大いにある。
 『FOR YOU』までのRCAレーベル時代は、制限された環境だったろうがその中で必死にいろいろな音楽を天才ミュージシャンたちと天才・達郎が作り出していたように思う。
 『MELODIES』以降は録音技術も進み、多重録音が増えてきた。マルチプレイヤーである達郎が全ての楽器をこなすことで一流プレイヤーの職人技や印象的なフレーズが聞くことができなくなっていった。いくら達郎がマルチプレイヤーだとはいえ、村上秀一のようなフレーズは刻めないだろうし、大村憲司のようなソロは取れないだろう。達郎の作る都会的な曲に一流プレイヤーがどうやって絡むかが楽しめたRCA時代の作品の楽しさは今の達郎作品から探し出すことが難しいのだ。そして最後は打ち込みとサンプリングの嵐だ。
 デビュー盤『CIRUS TOWN』(1976)で彼はいきなりNYとLAで録音を行った。名プロデューサー、チャーリー・カレロのもと一流のミュージシャンに囲まれながら他流試合を行い、達郎の音楽が世界でも通用することを証明させた。セカンドアルバム『SPACY』(1977)は日本の一流ミュージシャンを起用し、彼らの持ち味を最大限に引き出し、達郎作品を大いに盛り上げる作品になった。また、初の独りアカペラを収録し、音楽の幅を広げた。しかし、当時のレコード会社は何をやっているかよくわからなかったらしい。なぜなら“売れていないから”だそうだ。

 そう、達郎は全然売れなかった。デビューしても年収が100万に満たなかったことが何年もあったらしい。しかし、達郎は上質なアルバムを一流ミュージシャン達と作り続けた。達郎の歌とバックミュージシャンの火の粉を散らすバトルが伝わる『IT’S A POPPIN' TIME』(1978)は2枚組のライブアルバム。“もう後が無い”とレコード会社に宣告されて、自分のやりたいことをすべてやりつくした結果、なぜか大阪のディスコで「ボンバー」に火がつきヒットした『GO AHEAD!』(1978)。玄人受けし始め、歌謡曲のアイドルに曲を提供するようになり、だんだん仕事が増えていった頃の『MOONGLOW』(1979)。TVCM出演もし、大ヒットアルバムになった『RIDE ON TIME』(1980)と、達郎は時代を駆け抜けていった。
 『MELODIES』以降現在にまで至るMOONレコードの達郎は、RCA時代の作品と比較すると非常に内省的な内容の作品が目立つ。これも独りで音楽を作っていることに起因するのではないだろうか。
 RCA時代の達郎作品は手放しにお勧めできるが、強いて1枚というなら『SPACY』を推す。理由はミュージシャンの緊張感がレコードを通して伝わってくるから。今の達郎には中々無い作品だね。

2005年8月25日
花形

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