見出し画像

原田真二っていいよね

原田真二のデビューは衝撃だった。
天才が現れたと思った。
最近見たら、最近の太った堂本剛に似てた。やっぱりアイドル顔だったんだろう。
2023年8月29日

 僕が中学2年生の2学期。原田真二は9月10月11月と3ヶ月連続でシングルを発表した。鮮烈なデビューだった。ファースト・アルバム『フィール・ハッピー』(1978)は吉田拓郎がプロデュースしており、そのことからもフォーライフレコードの力の入れようも半端じゃなかった。但し、原田真二の風貌はアルバムのジャケ写も含めて、男の自分が「原田真二ってイイよな」なんて、とても云える雰囲気じゃなかったくらいベビーフェイスだった。 
 当時のフォーライフは拓郎も『ローリング30』(1978)を発表したことぐらいしか良い話題が無く、泉谷は脱退するし、陽水は大麻でパクられるしと、いいことがまったく無かった。そこへ救世主「原田真二」の登場である。
広島生まれの高校生が、フォーライフのカセットオーディションに合格し、デビューのきっかけを掴んだ。カセットを聞いた拓郎は、ぶっとんで、「俺がプロデュースする!」と云ったとか・・・。デビュー前から音楽性については折り紙つきだったのだ。また、青山学院に入学も決まり、育ちの良さが際立っていた。チャーなんて高校でてるかどうかわかんないし、ツイストは大阪芸大の兄ちゃんだからね。

 でも西城秀樹や郷ひろみと同じ様に女の子にきゃーきゃー騒がれていた分、正当な評価はされてなかったんじゃないだろうか。その前年、チャーが『気絶するほど悩ましい』を出して、ロックが歌謡曲(アイドル)に歩み寄って行った感がある時代。森進一のように歌謡曲の方からフォークに近付いて来たことには抵抗はなかったんだけど、その逆はとても日和った感じがしてイヤだった。桑名正博が変な歌謡曲を歌っていたし、ゴダイゴなんてロックだか歌謡曲だかわかんなかったし・・・。
 で、チャー、世良公則とツイスト、原田真二、サザンオールスターズと、テレビにも出るロック・アーティストが続々と輩出された。
《ザ・ベストテン》や《夜のヒットスタジオ》なんかでもフツーに出演していたし《紅白歌合戦》にも出てた。確か《全員集合!》でも観た記憶がある。

 まあそれぞれ個性もあって、そこはそれ、アイドルと一線を画したものはちゃんとあった。ニューミュージックと呼ばれた新しい波の中でメロディー・メーカーとしては原田真二がアタマひとつ抜き出ていたように思う。ポール・マッカートニーとかエルトン・ジョン的アプローチが見えた。他のアーティストたちがギターで作曲しているのに対して、原田真二はピアノで作っていたからかもしれない。

 「てぃーんず ぶるーす」の、| DM7 D6 | DM7 D | E6 E | E6 E7 | なんてコード展開は、ギターで作曲する人にはなかなか浮かばないよなぁ。。。って、素直に感心していた。響きもお洒落で。

 アルバム『フィール・ハッピー』を聴いてるとね、結構洋楽のパクリも多いんだよ。「キャンディ」を聴いてると「ミッシェル」を思い出す… なんてレベルのものじゃなくて、モロ持って来ちゃったみたいな。でもそれが筒美京平的というか、うまいことやってる。そんなことも含めて、あのアルバムでの松本隆とのコラボレートは、ある種の金字塔的成果が上がってると思う。
但し、アレンジャーの青山徹とはガチガチにぶつかってたらしい。広島という同郷ということもあり、拓郎が気を利かせて青山を呼んだらしいけど、歳が近い分この配置は裏目ったらしい。もう一人のギタリストである鈴木茂は大人だからね、問題はおきなかったらしいけど。
 あ、あと、ピアノで演奏しながらも、Tレックスやファンクサウンドみたいなのも好きだったと思うな。そんなエッセンスが原田真二のサウンドの発想には、そこはかとなく詰まっている。メロディと同時にリズムを感じ取ることができるんだよ。
 原田真二のターニングポイントは、どこか・・・。自分の才能と、売り込み方のギャップに悩んだのかな。その後、フォーライフを離れるわけだが、どんどんマニアックな方向に進んでいくし、どんどんオリジナリティが失われていった気もする。「見つめてCarry On」なんて、プリンスの曲そのままでぶったまげた。

 それからの原田真二は、全然パッとしなかった。相変わらず良い歌は作っていたんだけどな。
決して良い歌が売れるわけではないという日本の音楽事情の中で、原田真二は沈んで行った。そのあたり、サザンと対照的。世良公則の消え方とも違うし、職人芸を極めていったチャーとも違う。

 何年か前に東京ドームの前にあるプリズムホールという小さいホールで、原田真二のパフォーマンスを観た。バンドと呼ぶには中途半端な編成で、打ち込みの嵐。彼はまるでマイケル・ジャクソンだった。ムーンウォークだってやっちゃうんだから。でも同じ時間、本家は後ろのドームで本当にムーンウォークをしていたんだ。哀しいね。 
 でも、苦労もしたのか、客のつかみがとっても巧くて。往年のヒット曲もまったく色褪せてないし、初めて聴く歌も、そんなに悪くは無かった。ただ、マイケルから3kmも離れてないところで同じような歌は聴きたくなかったな。

 中学生のときに聴いたサウンドは確実に耳に残っている。昔から隠れ原田真二ファンとして言わせて貰えば、最初の頃の原田真二は本当に天才だと思った。これは今でも変わらない。ホントにイイんだって。
 そういう意味では、デビュー時のあの人気は彼に何をもたらしたのかな…。悪いことばかりじゃないとも思うけど。

 ちょっと前、松田聖子とどーのこーの書かれてたね。
もう少しきちんと彼の曲や才能が取り沙汰されればいいのに。
だけど、「懐かしのアイドル」的なテレビ番組では見たくないね。
なんか最近太ってきちゃったから、そこから変えないといかんね。
天才なんだから。

2004年12月7日
花形

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?