奥平悠佑 司馬佑計

物理や教育、政治や今の日本の社会についての考えを投稿します。

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最近の記事

記 心律

これは人類をめぐる物語。90話まで書きました。

    • 偶然という名のきっかけ

       時は満ちた。出陣だ。 恋を始めよう。 しかし、きっかけがない。 でも自分からはアプローチしたいと思いながらも、この焦ったさを抑え日常を送りたい。 では、偶然の恋を待とうじゃありませんか。 漫画「ハンターハンター」の強敵ヒソカの言葉をここで引用。 「青い果実ってのは どうしてああも美味しそうなんだろうかねェ」 要するに美味しそうな果実は熟すまで待ちます。

      • 目つきの悪いカエル

         カエルはクリクリした目で可愛い目つきのイメージだが、私の家の構造の隙間に住み着いたカエルは違う。  なんだが、まだ歳が若いのに省エネルギーをやけに意識した達観した顔で顔の目元に黒い一筋の、瞼と瞼の間の線。やけにこの黒い一筋の線が鈍く黒く光っている。  ゲコす。  これが彼の名前。夜は彼女を探しに自慢の脚力でその辺ぴょんぴょん。もちろんそんなものイメージに過ぎない。  いつも静かにうずくまる、目つきの悪いカエル、ゲコす。

        • 楽しい僕らとバカ

          僕らが楽しい時、隅っこで必死で自らの苦しみを隠しながら僕たちの幸せを守っているバカたちを助ける。  それが人間社会かなと思う。 僕もそのバカの一人だった。だから、俺はあいつらをバカにしないし、バカにできない。

          正確解釈と歪曲解釈

           文章の解釈として、その時代において正しい解釈もしくは、その時代も含め普遍的に正しくあり続ける解釈を正確解釈と呼ぶ。  正確解釈はプラスの感情から生まれ、今までの偉業も全てこの正確解釈に含まれる。  文章も意味の集まりで意味が論理を成し、心で形を形成しなければ現実に通用しない。  笑顔が通じるように論理が普遍性もしくはその時代にマッチすれば正確解釈と言える。  間違っているものは歪曲解釈で負の感情由来だ。

          正確解釈と歪曲解釈

          本屋

          本屋は本を買う場所だ 私は本を見に行くよ 心の中でどこか小さく願う 偶然の出会いが運命の出会いに これからの人生を共に歩んでほしい 私はあなたと残りのページを共に過ごす この新書はあなたとの生活に役立つ知識を得る手段 この絵本はあなたと新しい命を育むため この漫画はあなたと一緒に笑いたいから この雑誌は気分転換にパラパラ あなたのそばで静かに存在したい 私の一度きりの人生のパートナーへ贈る

          そうだ 大阪のジュンク堂へ行こう

           今日ほど、本屋日和はないなと思った。僕の家は兵庫県のど真ん中。定期券があるので、2時間ほどで行くことのできる近場のパワースポットである。姫路にもジュンク堂はある。大型店舗の2階のフロアを使い切った構造的にも素晴らしい本屋である。階段移動がなく嬉しい。大阪のジュンク堂は階段移動が多い。まあ、エスカレータを使えばも問題はないわけである。  本屋の醍醐味は、何か落ち着いた空気感。湿っている。

          そうだ 大阪のジュンク堂へ行こう

          30歳ともう一人の自分

           30歳になった自分に思うことは結婚したいけどできないその正体って、意外に些細な不安の集まりなのかもしれないということ。同じ年代の人の共感を集めることで自らの意見に正当性を持たせ安心感を作る。それもまた自分の考えである。  結婚を考えると未だに職についていない自分に不安はありながらも現状をもがきながらも着実に進んでいる感覚が心地よかった。ああ、みんなはどんな状態なのだろうか。同い年は皆バリバリ働いているのかな。  結婚したい相手はいるけど、彼女は僕から言わせると雲の上の存在。

          30歳ともう一人の自分

          日本の文系の人気の陰り

           ここでいう文系の人気とは、文系の進路をとる人が多いか多くないかの問題ではなく、文系の評論家や専門家の、”説明の民主化”への失敗である、と考える。  文系の評論家の話は、専門用語を共通認識のように立て続けに放つ人が多いように思う。私自身は理系であるが、理系の専門用語には1語1語それを作った人の膨大な仕事量が込められていることが多い。だから、説明の途中で解説を入れたり、匂わせるいうことをしたりする。昨今の文系用語は、作っている側も仕事量を込めて作った専門用語であるであろう言葉で

          日本の文系の人気の陰り

          心臓の寿命と人の意識の寿命

           私が最近考えているのは心臓を若返らすことが可能ならば人の意識の寿命は大幅に伸びるのではないかという仮説である。  私は過敏性腸症候群という病気にかかっていた時があったが、その時の心拍運動の形式と今現在過敏性腸症候群がとれた状態の心拍運動の形式から鑑みて心理形式的な変化がこの二つの状態の間にあることがわかる。  心理は心臓の拍動と関係する。悲しみの心音や喜びの心音である。  心理は無限を表現可能な性質ゆえに液体的な無限の表現と相通ずるところがあるように感じる。すなわち、心理と

          心臓の寿命と人の意識の寿命

          情熱が社会的評価へ、主導権の行方(目に見えない苦楽)

           情熱を受け取った人は主導権が大きくなります。託された人の分を返さないと失望されます。返すと信頼されます。社会的評価とは、この情熱の加点方式なのです。したがって、社会的評価の度合いで主導権の長さは分類できます。  私は、自分は主導権の長さは大中小の「小」に分類されると感じている今日この頃です。主導権の長さは人それぞれですが、この一瞬に自分のすべてを込めることが求められる今。自分を冷静に見る一つの物差しになればよいかなと思います。

          情熱が社会的評価へ、主導権の行方(目に見えない苦楽)

          託す(目に見えない苦楽)

           集団でテーマを決めて話し合っているとき、自分はそのテーマについて知識不足や実力不足と感じる際に、より実力のある人に自分の主導権を託す形をとります。これが集団における話し合いでリーダー格が1人、自然と生まれる現象をうまく説明します。  自分の分の主導権を託すとは、現実でどういう行為なのでしょうか。リーダー格の話を特に熱心に聞いたり、その内容について考えたり、自分に話が振られたらリーダー格の人物の話を膨らませたり、つないだりします。  託されたリーダー格の人物に変化が生じます。

          託す(目に見えない苦楽)

          主導権(目に見えない苦楽)

           周りに人がいる、つまり自分が集団の中にいる状態を考えます。友人同士で適当にしゃべっているとグループがいくつかできては消え、また、その規模が大きくなったり小さくなったりします。いろいろな話題が個々の頭に浮かぶ中で、一番初めに誰かが切り出し、話になる。  ここで、話す人、聞く人、聞きながら考え始める人がいる。集団の中で人が喋るときの意識、それはどこにありどこへと向かうのか。それはあたかも自分の意識が話まりの人に順番に映ってゆき、自分が何かタイミングよくアクションを起こすというま

          主導権(目に見えない苦楽)

          自民党の政治と金の問題の考え方の例

           政治家がお金の管理をちゃんとできていないのは事実です。しかし、批判する側の国民には自分でお金の管理をできない人もいます。つまり、自分でできもしない人の意見を政治家は生かすことができましょうや。  つまり国民の意見には、お金の管理ができる人の意見とお金の管理ができない人の意見があると考えて政治に意見を反映すべきでしょう。  この意見の区別の基準は、人それぞれなれど一定の線引き効果を与えます。ややこしく考えるとどうせこじれるので大まかな答えを狙いに行くつもりで議論を進めるべきで

          自民党の政治と金の問題の考え方の例

          表現する(芸者論と背後霊)

           役者さんは、基本的にこの背後霊を宿したうえで、座り方や立ち方、歩き方、走り方を実際に練習して造り上げる創造的なことをするわけです。この基本動作の繰り返しが大切です。その背後霊に耐えうる動きができるのかと確認するわけです。  大切なことなので断っておきますが、背後霊は基本的に人の形ではない場合が多いです。

          表現する(芸者論と背後霊)

          演じる(芸者論と背後霊)

           ドラマのラストマンの大泉洋さんは、触れることができない光の剣です。大河ドラマのどうする家康の松山ケンイチさんはひねくれものの猿楽師です。上記2例は大泉さんと松山さんの背後霊的なメタファーです。  人は演じるとき、精神的な、ある種もやがかった形を自分の中に思い宿します。これを私は、背後霊と呼んでいます。もっと日常的な表現を好むなら精神でしょう。大泉さんと松山さんはそれぞれの背後霊を宿した状態で身振りを交えたり、動作したりします。これを演技と呼びます。  ここで、背後霊は霊です

          演じる(芸者論と背後霊)