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セーレン・オービエ・キェルケゴール

”人生は後ろ向きにしか理解できないが
   前向きにしか生きられない”


これが人生である。だからこそやりたいことは
やるべきである。
何が起ころうとも過去は見ることしか
できないのだから。

過去に起きた事が人生ではない。まだまだ先がある。
辛い事が起これば本当に辛いだろうし悩み、苦悩し
涙も流すだろう。

だが、しかし、人生は前にしか進めない。
過去は戒めとして自分の成長の糧にしていくしかないのだ。
自分が悪い場合でも、他人の行為にさらされたとしても
前しかない。これは現実だ。

涙も思いっきり流せばいい。
何日続こうとも、その悲しみが少しでも減るなら
ずっと泣いたほういい。
誰も責めはしないし、その苦しみがこの世の誰かが
知っていると思うだけで、
少しは心が休まるはずだからだ。

私も苦悩に襲われたからよくわかる。
復讐を誓ったあの日も覚えているし、
永遠に消えることのない屈辱も
忘れることはないだろう。

でもネガティブにはなっていない。
それは過去も、今も、未来でも、
私は今回の事を忘れはしないが、
これ以上酷いことは起こらないとして
前を向く事を決めた。

過去を語ればきりがない。
私の置かれた境遇から、
今に至るまで保健士さんに
話してきたが、
もう二年以上経過したが
まだ話しきれていない。

私は色々なルールを
自分に作ることで、
不可はかかるが
生きようとする心が芽生えたことに
成功した。

そして前の私とは少し違う自分で
あることも、
ここ数年かけて色々紐解いていけた。

過去との決別を一応は
つけることに成功した。

色々あったとしても
人生は前に行くだけだ。
今すぐできなくても
いつの日でもいい、
前に向かって再び歩けばいい。

しかし、その虜となってはいけない。
人はよく物や出来事に依存する生き物だ。

車が趣味な人は、まるで自分のように、
大事にして、休みの日等に洗車したり
しているが、あくまでも自分の所有物である
事を忘れてはいけない。

それは何事に於いても言えることだ。
フォロワー等に関しても同様に言える。

フォロワーが多いからと言って、その人が
書いたものがフォロワー数と同調して伸びて
いるとは言い難いものをよく目にする。

本心から思ったのなら、それはそれで良い
ものだと世間が判断した結果となるが、
その辺りの事に関しては、実際の所、
よほど考えないと改善できないだろう。

私も最初はフォロワーを増やすために
書いていた。しかし、XやFacebook等が
流行り出した時には、精神を病んでいて
全く関わる機会は無かった。

この前、私が人の文章を読んでいた時、
色々工夫している人もいれば、読み専だけ
の人もいた。

そして、それらを見ているうちに、
自分自身のために書いているのだと
今更ながらに気づいた。

最低でもこれから1年は練習として頑張る
と心に決めたのに、いつの間にか私の方が
書かなければいけないと言うものに
囚われている事に気づいた。

それでは全く意味は無い。仮に自己啓発に
繋がるとしても、自分の事に関する事を、
何かしらに依存してしまい、そのために
頑張るのと、自分自身の成長の為だけに
頑張る事の違いに気づいた。

そう、だから私は改めて自分自身の為に
書くことを知った。

だからと言って、今までと書く内容や、
小説等の内容が変わる訳では無い。

これは物事に対する気持ちの問題である
以上、気持ちの切り替えに近いものだと
言えるからだ。

そう考えると、概要的には変わらないが、
文章に対する想いや、意気込みなどは
変わる事になると思う。

当然ながらこれは気づいて良かったと
言えるものである。
自分を自分として認識して、
色々な事に対する考え方が変わる事により、
文章的にも多少は変わるとは思うが、
気付かれる程は変わらないだろう。

”人生は後ろ向きにしか理解できないが
   前向きにしか生きられない”

この言葉は、昔の事を思い出すのはいいが、
昔に囚われてはいけない事を言っている。

人生は後ろでは無くて、前への続く以上、
どうせなら前向きに生きた方が、自分の為
にもなるし、他人のためにもなると
言っている。

つまりは人生の短さやはかなさを
受け入れるべきであって、受け入れる事が
出来るようになれば、自然と前向きな人生
を歩むはずだと彼は言っている。

セーレン・オービエ・キェルケゴールは
世界に大きな影響を与えたが、42歳という
若さでこの世を去った。

しかし、彼の思想は生き続けた。

つまりは残した言葉と共に彼等は今も
生きていると言える。

名言だけ知っていて、誰が言ったか
知らない訳は無いに近いものであるからだ。

彼等もまた自分自身のために生きていた。
あくまでも彼等の心の中に邪悪な心を
持って、名を広げようとした人はいると
しても数少ないだろう。

頑張り続けた彼等の言葉は、言葉から
知られていき、誰の思想かと思われるよう
になっている。

そうして名前が世界に広がりを見せた。

その一途な心に誰もが感心し、彼等の生き様
や、思想が広まっていった。

よく有名になりたいとか言っている人は、
生きている時代に大きな権力を握れば可能では
あるが、死後はその名は廃れていくものとなる
であろう。

それは有名になりたいという思想から、
今の時代の若者から年寄りまで見ても、
悪ふざけが過ぎる行為でしか名前を残す
事は出来ないはずだ。

私はニュース等はネットで流し読みする
程度なので、問題となっている事などは
知ってはいるが、名前や年齢に関しては
そこまで知ってはいない。

知ったとしても全く活かせないもので
あるからだ。
ただ、思う事は、迷惑な奴らがいるな
と感じるだけでしかない。

大きな志を持っていないと、後ろばかり
気にする人生になるだろう。
しかし、それらは誰からも評価されない
ものでしか無いものであって、
全くもって不愉快にしか感じないもの
ばかりが横行している。

寿司の出前も、あの並べ直す様を見て
からは配達も頼まなくなったし、
他の食に関しても同様に、ただの素人
に看板をおわせるのもどうかと思う。

仮にバイトや社員なら、看板を背負って
やっているので、そのような行為をする
事は絶対に無いとは言い切れないが、
非常に希な事だと思う。

今年も色々な事が起きるだろうが、
私は私という自分を活用して、
前向きに生きていきたいと思っている。

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