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きのことココダトレイル「第二次世界大戦と私①」

少し振り返ってみたいと思います。

第二次世界大戦と私とは?

(1) 「帰りたいの…」

 小学校にあがった翌週、私は家族と日本を発ちアメリカの大地に降り立っていました。時はベトナム戦争が終わり、アメリカにはとても暗いムードが漂っていた頃です。

アメリカでは3階建ての各フロアが独立し、3世帯が住めるような一戸建ての最上階に我々家族は住み始めました。到着したその日は2階に住むオーナーの家で誕生会が開催され、人で溢れかえっていました。

「スーツケースを置いたらみんなでおいで!」

ギリシャ人の大家さん家族はとても大らかな方々でした。年齢の近い三姉妹。異国の地に降り立った興奮と開放的なパーティに飲み込まれるように加わり、英単語一つも知らないのに年齢の違う3姉妹と笑顔で楽しく過ごしたのを覚えています。

途中両親は帰宅し、私はその場に一人残る選択をしましたが、暫くしてふと、私は言葉が話せない事に気が付きました。子供部屋がいきなり恐ろしい空間に変わり、急に恐怖心に襲われ、指で3階の新しい我が家を指しました。

「帰りたいの……」

その時に壁の上の戸棚のお人形を指差したと思った姉妹は、優しく、はいっと手渡してくれました。

恐怖は現実に。

「伝わらない…怖い…」

目を瞑り一目散に逃げました。3階の家族の皆が待つ家に戻りました。それまでは小さな社宅の居間で川の字で家族で寝ていた生活でしたが、その日からは子供部屋を与えられました。眠る弟達を確認して、私も急いでベッドの中に潜り込みました。

(2) 「ジャップ‼︎(女はでしゃばるな)」

 開放的な生活、個性を伸ばしてくれるアメリカの教育の中で、私は水を得たように生き生きと快活に過ごし、子供ながらにも日本にいた時の私とは違う私を発見していたきがします。気を使わない生活。英語どうやって習得したんだろう…今思えばそこは不思議です。なんとかなった。

アジアのおてんば娘、男子にはよく揶揄われました。私はあの頃から群れには入らず一匹狼。かけっこでもクラスの一人の男子を除いては負け知らず。見るもの全てのことを楽しく感じ、全力で生きていました。

群れをなす男子達は、時々そんな型にハマらない私にイライラしたみたいで、いろんな形で妨害してきました。そして悪態もついてきました。

「ジャップ!!ほーらジャップ、悔しかったら言い返してみろよ!!」

この言葉、、人種差別、言葉にこめられた憎しみの心。同じ人間を下等に置く言葉、白人の男子グループから言われる悲しさ…。ありとあらゆる負のエネルギーがその言葉に凝縮されていました。

日本人が悪者にされる理由が何かある…

「ジャップって言葉、、大嫌い、、」

(3) 全くなかったとは言わせない

夏に田舎に帰ると本家には沢山の親戚、ご近所の人が集まり、宴会が続く。女の衆は祖母を筆頭に台所でどんどん美味しいものを作りもてなす。

子供達はほっとかれ、朝から晩まで海や山に繰り出し、裏山のかつて防空壕だった場所を肝試しがごとく探検し、椎茸栽培されている明るく広い空間にほっとしたり。

酔っ払った祖父達は、戦争を思い出し、語り始める。海軍だった父方の祖父。海軍は陸軍とは違い志願兵なので性質がまた違いますね。悲壮感が比較的少ない気もします。

そんな酔っ払った祖父世代が陽気に語る。南方でどう性病予防したか。走り回る私の耳にも入ってきました。そんな酔っ払って語られる戦争。そこに込められるエネルギーは気持ち悪かったです。

全くなかった、、とは言わせない。そしてそんな話を人前で嬉しそうにする大人の男性って気持ち悪い…その気持ちは今でも引きずっています。

この歳でも。

(4) 教科書から学ぶ第二次世界大戦

今思い出しても、歴史の時間には違和感がありました。丁寧に丁寧に縄文・弥生時代を学び、近現代になると、不思議と時間が足りなくなって、事実が淡々と語られる。或いは、時間なくなったから自分で教科書から学んでね、、と丸投げする教師。

国と国の関係も目まぐるしく変わり、覚えること沢山あり、物を奪い合う欲望丸出しの世界に浪漫のかけらもなく、面白みが全く無い近現代。

歴史は頭がよく、記憶力の良い人の科目と思っていたので、私は最初から匙を投げていたのもあります。私はお呼びでは無い。

(5)因縁

 そんな状態でまた再び世界に放り出される。
日本の高校を卒業し、嘘のような本当の話で、父はオーストラリアに左遷され、特に将来に大きな目標もなかった私はオーストラリアの大学を目指しました。

そんなオーストラリア、第二次世界大戦の傷跡が濃く残っていました。まだまだ戦争からの帰還兵が健在でいらっしゃいました。アメリカと違って、日本人であることを伝えたくない雰囲気でした。

そんな中で仲良しの韓国人のお友達がいました。
ある日、いつもとは違い、真剣な眼差しで言葉を選びながら感情を押し殺しながら、

「昭和天皇の戦争責任についてあなたはどう思う?」

大学生の私は頭が真っ白になりました。
その言葉のインパクトに思考が完全に停止してしまった瞬間です。

私、、日本について何もしらないんだ…

(おしまい)
読んでくださってありがとうございます。

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