雲をも摑むような話
もう四半世紀追っていた話なのだが忘れてしまっていた。常に目の前に突きつけられ問われている筈であり、知っていたあるいは読み続けていたテーマであった筈であるにも関わらず、手がかりもなく進展もしなかったのは、一体どういうわけだろうか。手がかりはどこにもなかった。今も有るとは思えない。過去の負債が多すぎて「そういう問い」を立てること自体禁止し抑圧し否定・排除に至った。そして同じような経路をたどって墜落していった人たちを見てきた。何のことを言ってるかといえば「言葉と物」のフーコーのいう