見出し画像

【日常】ついに言われた「仕事辞めたら?」夫からの言葉

かねてより、夫から私への要望は、専業主婦になること。
夫は専業主婦だった母親のことが大好きで、彼女と同じように、妻には家にずっといて欲しいようで。

「私」は、自分のアイデンティティを形成する要素のほとんどが仕事だから。
その私から仕事を奪ったら、私は誰になる?
仕事をしない私は、一体、何者?

ずっと、何者かにならなくてはいけないと思ってた。
社会変容がこれだけ激しくて、その波に乗り続けるには、やっぱり「自分はこういう人間だ」って自信を持って言える人にならないとダメだと思ってた。

でも、そういう焦りから逃れるには、純粋に仕事を楽しむことだって知った。
変な呪縛から解き放される感覚がある。
というか、楽しんでいるときは、呪い自体を忘れている。

そこから得られる達成感とか、生徒の成長を見守れる喜びとか、それに立ち会える職業に就いていることの尊さととか、そういうもの全てに愛おしさを感じて仕事しているのなら。

「仕事辞めたら?」

言葉が刺さる。
ずっと、それを言いたかったんだろうな。

嫉妬があるのかもしれない。
疲れていても、仕事に邁進する姿に。

怒りがあるのかもしれない。
子育てより仕事を優先している(と、彼が勝手に思っている)ことに。

不公平感を抱いているのかもしれない。
家事の役割分担に。(甘く見積もっても、断然私の方が多い)

「子どものために」っていう言葉は、魔法のカードではない。
意図的に切られるジョーカーって、タチが悪いって思ってしまう。
何でもかんでも、それを言えば、事が済むなんて大間違いなんだけど。

子どもにって、今の状況が良くないという判断は誰が決めるのか。
夫が決める?
私が仕事を辞めて、家を守る形をとって、家のことだけやって、息子を幼稚園に転園させて、朝遅く登園して日が暮れる前に迎えに行って、家でひとりの時間は家の掃除をして。

そう、
夫が、お義母さんにしてもらっていたみたいに。

子どものために、私が仕事を辞めるなら、
「私のため」には、何が残る?

私の仕事ぶりを見て、評価してくれ、仲良くなっていった関係だったはずだけど。
夫婦になったら、視点が変わるんだよね。
私は彼の仕事のことは、何も口出ししないけど。
子どものためなら、夫が仕事を辞める選択だってあるはずだけど。

専業主婦が悪いと言っているわけではない。
それが最善の選択で、家庭がうまくいっていたり、自分自身が満足をしていたりするのであれば、それはそれで良いのだと思う。
不可抗力的にそれを選択しなくてはならない状況であれば、悩む術すらないんだろうけど。
「選ぶ」こと自体に選択がある立場で、現行の状況で努力する余地が少なからずあって、夫婦双方が折り合いをつけたり歩み寄ったりしながら妥協点を探っていく在り方も可能なのに、

「仕事辞めたら?」

その真意に、
妻とはこうあるべき、
母とはこうあるべき、
の夫側の偏った見方がどうしても見え隠れする。

「妻」は、「母」は、
その家庭それぞれに在ってよって良いって思っているんだけど。
ステレオタイプは悪くない、それがその家庭の在り方なら。

でも、我が家は。

私は、妻でも母でもあるけれど、
私は私なんだけど。
私があるから、妻でもあり、母でもあるんだけど。

悔しいから、何も言い返さなかった。

どうしようもなく怒りが込み上げる時は、マシンガンのように言い返す自分だけど、
悔しいから、何も言い返さなかった。
悔しいんだと思った。

「私」という存在につきまとう、妻と母の役割。
基本ロールは分かっている。
それはこなしている。
それ以外のオリジナルは許されないのかっていう葛藤は、
「仕事辞めたら?」の一言で、バッサリ斬られた。
葛藤すらさせてもらえないのか。

「私」は女性なのだ。
女性であることに誇りを持っている。
だけど、裏側では、逃れられない呪いに縛られている。

女性だから、なんなんだ。
ただの属性だと思いたい。
女性だから妻で、女性だから母だ。
ただ、それだけ。
言葉に、それ以上の何かを包含させるのか。

ちょうど、頑張ろうと思っていた案件が仕事で出てきたところで。
ある取り組みが成果を出したところで。
生徒に「一緒に頑張ろう」って約束したところで。

「仕事辞めたら?」

家庭が一番?
仕事は優先度を下げるべき?
子への愛情は、一緒に過ごす時間の長さ?

劣等生のレッテルを貼られた私は、その選択を迫られているんだろうけれど、
「辞める」「辞めない」の選択をしたいわけではない。
というか、しない。

もっと深いレベルでの議論をしなくてはいけないと思っている。
辞めたら解決するわけない。
「私」がどこかに行っちゃう。

社会のどこかで起きている状況が、我が家にも降りかかってきた。
さて、私はどうする。

いつも、これに苛まれている。
常に引っ掛かっている小骨よ、いつ取れるのか。

この記事が参加している募集

多様性を考える

SDGsへの向き合い方

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?