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【仕事】「黙って受け入れる人」と、「わーわー喚く人」の2種類について雑感

気づいたら2週間もnoteから離れていた!
髪や肌のメンテナンスが億劫になれど、ようやく出勤だけはしようという僅かな意気を頼りに仕事をこなす。
いや、「こなす」は嫌いなのだよ。
早くこの忙しさから解放されて、平常運転をしたい。
学校は、絶賛新学期シーズン。
くたくたです。



昨日、息子とおやつを食べた。
携帯用?のミニパック、
「きのこの山」と「たけのこの里」。
ひとつずつ出して、どちらにするか決める。

私は断然、たけのこ派。
クッキー生地とチョコレートのバランスが絶妙なのと、食感が素晴らしいこと。
迷わず選択。

一方、息子も実はたけのこ派であることを、このとき初めて知る母。
いや、この前きのこの山食べてたじゃん、と思ったけど、きっと幼児なりに食べながら選定していた時期なんだなってほっこりした。

たけのこの里を息子に譲り、私はきのこの山を!
とはせず、パントリーからこっそり2個目のたけのこの里を取ってきて、さもきのこの山を食べているかのように見せる巧妙作戦。
それだけ、たけのこの里への愛が深いのだ。

売り上げ額もたけのこの里の方が上回ると、何かの記事で読んだことがある。
が、きのこの山ファンは、たけのこの里のそれらよりも深い愛情を持って食べているという話も…。(何調べか不明)
その辺は考えることの愉しみの1つとして、ゆるりと静観していきたい。

こういう愉快な二項対立はほのぼのしており、考えるのも息抜きになる。
そして、どちらが良いとか悪いとか、優劣を決めるのとかもエンタメの1つだし、片方を選んだからといって、もう片方の存在に対して、決してネガティブな感情を持つことはない。
お互いの存在を尊重しているし、自分が選ばない方を好む人を妬んだり蔑んだりすることもない。

こんな前置きをしないといられないくらい、やるせない事態に巻き込まれたとする。

例えば、チームで解決しなければならない課題が出てきたとしよう。
「解決」の期限が迫るため、ある意味「処理」が求められる。
簡潔に言うと、誰かがこの件を「被る」ことで解決への道が一気に開ける。

誰だって、自ら負担を負いますよ、とは言いたくない。でも、誰かがやらなければどうしようもなければ、自分の良心と静かに闘い、じゃあ自分が、と手を挙げる人が出てくる。

私はどちらかと言うとこのタイプ。
悶々としている議論の雰囲気が好きではないし、どうせ誰かがやらなければいけないなら、自分がさっさと請け負って、それから処理の方法を考える方がよっぽど楽。

でも、今回は私の挙手を遮る意見が出たのだ。
明らかにそれは不公平である、と。

ちょっと驚いた。
それで解決の見込みが立つなら、負担を請け負う意思のある人へ物申す必要はないはずなのに。

確かに、私がこの件を請け負うのは正しくなかった。各業務の配分がそもそも多い私が、これをさらに請け負うのはどうかという指摘に助けられる。
いや、人を安易に信用しない主義でいくのなら、まるさんかくをこんな風にさせて周りはひどい!と見られたくないのでは?なんて言う風にも思ったりもしたけど…いずれにしても、渡りに船。

結論、
そもそも業務配分が少ない(というか、ほぼ無い)若者が請け負うことになった。
この件は、職務経験とか実務履歴とかには関係なくて、実労時間の少ない者が請け負うのは当然であることが前提だった。
これが分かれば、明らかに「配慮されていた」若手が、自ら手を挙げても良かったのだとは思うけど…
そこまでの視点はなかったのかな。

さて、ここからが本題。
彼はこのことを請け負うことに同意したのも束の間、まだ業務が始まってもいないのに、自分が過負担であることを拡声器の如く周囲に広め始める。
それが言葉通り伝わる場合もあれば、バックグラウンドを知り得て認識される場合もある。
または、彼のパーソナリティを既に理解している人なら、そのフィルターを通してこの事態を見ようとする。

この末路は…
お察しの通り、彼が高く揚げたアドバルーンのおかげで(せいで)、私に案件が戻ってきた。

だったら最初から私で良かったじゃん!

仕事はさ、共通の目的意識があって、ビジョンを共有して、成果を上げていくことが前提にあるのだけれど。
ただ、誰かが自分本位な考え方をしたら、そのバランスは崩れるよ。
でも、そういう人も一定数いるだろうことを踏まえて、黙って誰かが被ることでバランスを保つことができていて。
それを分かっているのは、「黙って受け入れる人」だけで、「わーわー喚く人」はそれを分かっていない。

私はたけのこの里が大好きだけど、きのこの山を好きな人のことは嫌いではない。
私は黙って受け入れる人ではあるけれど、わーわー喚く人のことを嫌いにもなれない。
そういう処世術もあるのだと、その考え方を認めるしかない。
私には、喚く選択をしようとする視点はないけれど。

人は何を大切にして、どんな仕事をしていきたいのだろう?と、いろいろと考えさせられる事件だった。

単純に、「あの子はまだ若いからさ」とかの問題ではないはず。
年齢・世代関係なく、存在する種族。
で、これは決して多様性云々の話でもない、ということを書き添えておく。

(この話はフィクションです)

過労につき、週末で体調を整えます。
では、また!

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