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【エッセイ】note執筆、家族バレの結末について

noteに関する記事です。

4月末頃から妻と2人でPodcastをはじめている。
Podcastでは主に育児の話と、私がnoteで書いたテーマを喋っているだけなので、必然妻にnoteを書いていることを話すこととなった。

以外にも妻は私のnoteを気に入ってくれて、時間がある時は読んでいるようだ(この記事もいずれ読まれるのだろう)。

しかし私が以前こんな記事を書いたのを覚えているだろうか?



そう、私は家族(妻)にnoteを書いていることをなるべくバレたくなかったのでだ。
理由は書いている内容の気恥ずかしさだったり、自分が匿名で発信しているものを知っている人間が読む恐怖感だったり、色々あったのだが、
実際に読まれてしまえば特に何も感じないことが分かった。

それどころか好評を貰えて嬉しかったりしているのだ。


家族バレによる変化

しかし家族バレによって何も変化がなかったと言えばそれは嘘になる。
些細な、本当に小さいことなのだが、執筆中にふと妻に読まれる可能性を考えてしまうのだ。

もちろん大きな影響が出ているわけではない。
ちょっとした言い回しとか、小さい、本当に少しの小ネタを入れるか入れないか、その程度の違いではある。

だがちょっとでも変わっている以上変化は変化だと思っている。

読者の顔が見えたとき、それがモチベーションになるかプレッシャーになるか、人それぞれだと思う。

自分はどちらでもなく、何も考えず書き続けられると思ったので妻にばらしたという事でもあるのだが、逆に記事内容は客観的に判断できないものでもあるので、それは読者の判断にお任せしたい。


それはそれとして、近づくネタ切れの足音

さて、妻バレとは全く関係ない話をしたい。
最近新規の記事を全然かけていない。

1か月前であれば書いても書いても生きていれば書きたいネタが思い浮かんだものであったが、今の下書きは15記事程度になっている。
多かった時で30以上あったことを思えばかなり少ない数字だ。

これには理由があって、一つは単純にネタ切れなんだと思う。
私は優秀なエッセイライターではないので、日常を上手く切り取って面白い記事が書けるタイプではない。
なので自分の中の思いを切り売りして記事を書くのだがそれも有限なのだと思う。

もう一つは前述したPodcastの収録が楽しすぎるのだ。
ちょっと宣伝させてほしい、リンクを貼るからぜひ聞いてみてください。

この収録と編集が楽しすぎて、note始めたての頃はnoteに何を書くかばかり考えていたのだが、今はPodcastで何を収録するかばかり考えている。

そりゃ、ネタも思いつかなくなりますよね、と。
そうやって、夢中になる対象というものは徐々に移り変わっていくから、

ポストの無いXアカウントとか、
記事更新が急に途切れるnoteとか、
5回以降配信されないPodcastとか、


なんていったいきなり途切れるコンテンツが生まれるんだな、と実感している今日です。
つまり私もそちらに片足ツッコんでいます。


だらだらと書きましたが以上です。
これからも毎日更新頑張ります。
でも急に途切れてもツッコまないでください!!


最後までお読みいただきありがとうございました。



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