小学校を卒業

こんばんは!

今日は一段と寒くなりましたね。



※前回の投稿

  • 小4から本格的な車椅子生活をスタートした。

  • 不安もあるなか、車椅子に乗ったまま作業できる机を用意してもらった。

  • 階段昇降機の導入やトイレの介助など先生方に色々と対応してもらった。

  • 身体の状態は、歩行できないが始めのうちは手すりがあればなんとかつかまり立ちができていた。

  • 手をあげたり、姿勢を直すことは自分でやっていた。




筋ジストロフィーは徐々に筋力が衰えていく病気です。
歩けなくなってからは、小学校を卒業するまでは多少運動機能が落ちていきますが大幅な衰えはなかった気がします。

その頃は専門病院での通院は3、4ヶ月に1回のペースで行っていました。

当時はまだ特別な治療や検査、採血などはなく、日々の様子を話したり、疑問に思ったことを先生に聞いたりしていました。


車椅子生活になってからも学校行事や運動会、遠足や修学旅行など自分ができる範囲のことは全て参加しました。


運動会では踊る演技は車椅子に座りながらできる上半身の振り付けをしました。


100メートルなどの競争種目は、友達は普通にスタートして、同時に自分はゴール手前の10〜20メートルからスタートするハンデを用意してもらい、車椅子を漕ぎました。


組立体操では太鼓を叩いて演技を順番に披露していきます。
自分は演技ができない代わりに数回太鼓を担当しました。
演技によっては少し参加できるものがあったので嬉しかったです。


遠足や社会科見学は介助の方に入ってもらっていました。

移動教室や修学旅行は先生と色々と話し合い許可をもらい、介助の方と父についてもらって参加しました。


ハイキングや山登りなど参加できないものは残念でしたが、車椅子で行けるところまでは行って友達を見送りました。
それでも行けそうなところはギリギリまで車椅子で行きました。

ハイキング、山登り以外は比較的参加することができました。


日光東照宮では207段の階段を父と介助の方に代わりながらおぶってもらい、登り切れたことは忘れられない経験になりました。


入浴では入るのに時間がかかり大変ですが、友達と同じ時間に一緒に入れたことはとても楽しかったです。

今回紹介したことはほんの一部ですが、機会があればまた書いていきたいと思います。


筋ジストロフィーという病気を持ちながらも普通校での学校生活や行事の参加は、両親や先生、介助の方、友達などの協力により実現することができました。


入学して、小3で歩けなくなり車椅子生活になったことは身体的にも一番大きいことでした。

その中でも色々と大変なこと、苦しいこともありましたが、関わってくれた方の助けや協力があり、無事小学校を楽しく卒業することができました。



最後まで読んでいただきありがとうございました😊


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