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問い続ける旅に誘う本――『冒険の書』を読む

カバーのイラストとデザインに一目惚れして読み始めた。『冒険の書』という書名がまた不思議なのだが、著者は、孫泰蔵さんである。説明不要だが、シリアルアントレプレナーであり投資家であり、これまでのエッセイや発言から分かるように現代の思想家の一人だと思う。そんな孫泰蔵さんの単著である。

読書体験は、小説のようだった。書名の「冒険」の意味も明確にはわからないまま、次のページをめくりたくなる言葉が並んでいる。謎解きのようなワクワク感があるのだが、その謎は「問い」という形式で現れ、どれもとてもシンプルなのだが、そのシンプルさがどれほど厄介かが読み進めることでよく分かる。

本書は、「学校ってなんだ?」という問いからスタートする。よく、著者が語りたいことを「問い」という形で読者に見せるという手法を取る本が多いが、本書はまるで違う。ここで示される問いは、まさに著者の問題テーマであり、ご自身が愚直に考えてきた問いなのだ。それに対し、ファクトデータを示したり、自身の考えや経験を紐解いたり、そして古典となっている古今東西の偉人の言葉を引き出して、自分なりの答えを出そうとする。

ただし、著者は自分の考えを読者に押し付けないように、慎重に丁寧に言葉を選んで書き進めていく。また、本書には、古典と呼ばれる書籍が何冊も登場する。巻末には、それらの書籍リストも掲載されていて、それ自体がとても貴重な読書案内になっているのだが、著者は、これら先人の教えに「従う」ことを促しているわけではない。むしろ真逆なのであり、事実、これらの先人の考えにも疑問を投げかけることもある。こう書くと、本書は迷走しているのかと思われるかもしれないが、「問い」に対する取り組みが背骨となり、ストーリーにブレがない。

当たり前だが、根本的な問いほど安直に答えが得られるわけではない。それに対し、著者はお茶を濁したあたりのいい言葉で逃げようともしない。問いの形を変えるのだ。そうして、それらの問いはどこまで行っても本質的である。「なぜ学校にいかなくてはならないのか」「なぜ学ばなくてはいけないのか?」「教育とは何か」「基礎は本当に大事なのか?」などだ。

こんな素朴な問いに、僕らは、自分の意見を明確に示せるだろうか。「なぜ学校にいかなくてはならないのか」の答えが「そう決まっているから」や「みんなが行っているから」などであれば、それは自分の頭で考えていると言えるのか。「そんなの当たり前だろう」の如く、既存の枠組みにどっぷりハマった我々大人は、これらの問いに対し答えは既に知っているかのように考えることを封印してきた。無意識で「わかっている」と処理している。この無意識の「わかっている」が蔓延していること、既存の枠組みが社会に根強く残る理由ではないか。古い体質を「変わらない」と嘆く、その発言の裏にある「思考の封印」に気づいていないことに無自覚なのだ。

著者の探究はまだまだ続き、問いは「能力とは何か」「役に立つとは何か」とますます根源的なものへと深まっていく。そして、最後は「人間として善く生きるとはどういうことか」そして「幸せとは何か」という問いにたどり着く。

ここまで根本的な問いを読者に迫る本は、まるで哲学書のようなである。しかし、窮屈さがない。どこまでも伸びやかで、シンプルでかつ難解な問いを提示していく。かつ、それらを偉人との空想の対話というストーリーを通して描かれている。その点では、まるでファンタジー小説のような体験でもある。つまり、不思議な本なのだ。

その不思議さの最大の理由は、著者が自分の考えを伝えようとするのではなく、考えてきた道筋をピュアに開示しているところではないか。それによって、読者は、著者から教えてもらうことを期待するのではなく、本書の読書時間が、読者が考える時間となるのではないか。まさに僕がそうだった。あたかも著者の言葉に導かれ、自分で自分と対話するかのような本だった。

学ぶとは何か。考えるとは何か。それを読者が体験することで、体感できるようにしているのが本書の不思議さの源泉であり、それこそ最大のこの本の魅力であろう。本の概念をアップデートしているかのようで、まさに本書で著者がいう「既存の概念を疑う」ことを、この本の出版でも実践しているのだ。

「冒険の書」という書名は、読み終えるとこれほど相応しいものはないのではないかと思える。著者の思考の探究はまさに冒険であり、探究することを本書全体で伝えるものであり、そして書籍自体が冒険的なのだ。

冒頭にはこう書かれている。

「もし君がまだ冒険に出ていないなら、どうかこの本は読まないでほしい」

(P.11)

これは、本書が何かの正解を書いたものではないと主張したかったからではないか。正解を伝えるものでもないし、著者がそもそも正解を知っていると思っていないし、自分の主張に賛同してもらいたいわけでもない。ただただ、自分で探究し続けてほしい、と。

なので、何かの答えをえようと思ってこの本は読まない方がいい。自分で考えてみようという人は、この本のインプット自体が自分の探究につながる得難い体験となる。


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