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他者と仕事をするとき、自己PRより大切なこと

自己PRのパラドクス

出版社に勤めていた頃に行った業界のパーティでの話である。

たまたま名刺交換したAさんは翻訳者であり、自己紹介でこれまで手掛けた本の名前と売れ部数をいくつも上げられた。知らない本だったが、数々のベストセラーを手掛けた実力者であることがわかる。「すごいですね」というと、Aさんは他の書名も上げて、「こんな本もやりました」と教えてくれる。短い時間でありながら、この人は実に見事に自己紹介をされた。

別の方ともご挨拶した。Bさんも「翻訳者」だが、あまりご自身のことを語らない。「ノンフィクションを中心にやっています」という程度で、あとは世間話となったが、最近見た映画の話で盛り上がり、その原作の翻訳がいかに素晴らしいかを教えてくれた。後日、Bさんのお名前を検索してみると、この方も相当の実績ある翻訳者であった。

皆さんは、この二人の実力ある翻訳者のうち、「一緒に仕事をしたい」と思うのはどちらの方だろうか。圧倒的にBさんではないだろうか。自分のことをひたすら語る人より、こちらとの対話を重視し、「楽しい会話」を共にした人とこそ、「つながり」は生まれやすいものである。一方のAさんは、自己紹介がしっかりできたはずだが、人との「つながり」を築けたかは定かではない。

このような現象を僕は「自己PRのパラドクス」と読んでいる。
相手との関係を築くスタートとして、自分が怪しい存在ではなく、ちゃんとした人であることを知ってもらおうとする。自分の過去を語り、社会でも信用される存在であることを伝えれば、きっと相手も安心するに違いない。そこで経歴書を読むかのように、自分の実績を語る。ところが、この自分を知ってもらおうとする行為が、自分と他者を遠ざけてしまうことがある。相手がまず知りたかったのは、あなたは「何者か」ではなく「どんな交友をする人なのか」であった可能性が高い。そこを見誤り、自己P Rを繰り返すごとに相手を白けさせてしまう。こんな相手に遭遇したことはないだろうか。僕は何度もあるし、自分がこういう寒いPRをしてしまった苦い思い出もある。

オウンドメディアの落とし穴

似たような話は、主語が企業の場合にもみられる。かつてビジネス誌の編集をしていたことがあるからか、企業の広報部門の方から相談を受けることが時々ある。「オウンドメディアを立ち上げて自社の活動を広めたい」などである。こういうテーマは、メディアのプロならがよく知っているだろうと思われがちだが、かなり難しいテーマである。

というのは、出版社やウェブ企業などの「メディア」運営企業は、どうやったらコンテンツを広めることを日々考えているが、それらは全て「自社」の宣伝ではないからである。僕のいたダイヤモンド社も「ダイヤモンド・オンライン」という月間1億PVを越すウェブサイトを有するが、そこの記事はほぼ「他者」に関することである。ダイヤモンド社がいかに優れた出版社なのか、そんな記事は一つもない。たまに自社の「求人募集」を目的とした記事を出すが、その手の記事は他の記事と比べるとPVを稼ぐのに苦労するものだ。

オウンドメディアで自社の活動を記事にするとは、ダイヤモンド・オンラインで、「ダイヤモンド社はいかに優れた出版社か」を語るようなものであり、これはプロの編集者がどう足掻いても、読まれる記事にするのが難しい。メディア企業が得意としているのは、「自分を語る」ことではなく、「自分を語らせる」ことである。この「語る」と「語らせる」は文字面は似ているが、そこには大きな違いがある。「語らせる」効果的な方法やノウハウは蓄積していても、「自ら語る」方法を熟知しているわけではないのだ。

余談だから、ここまで書いて思い出したが、出版社や新聞社の人で自己紹介が上手な人は少ない気がする。普段様々なアウトプットをしているのだが、「自分を語る」ことは慣れていないからかもしれない。

自分を語る人に人が集まるか?

この冒頭の翻訳者の話、そして企業のオウンドメディアの話は、僕らの日頃の人づき合いを思い出してみると想像しやすいのではないか。

仲間内で、いつも自分の話ばかりする人がいないだろうか。その話が楽しいならまだしも、さほどインパクトも共感もできないと、聞いていて疲れる。愛嬌がありそれで誤魔化している人でも、下手をすると「うざい」と言われる存在になりかねない。一方で、人の話を興味深く聞いてくれる人は仲間内でも独特の存在感を煌めかす。適切な相槌と合いの手。こんな人が珍しく発言すると、自然と皆が聞き耳を立てる。仲間内の求心力を支えているのは、えてしてこんな人の場合が多い。

やはり「自分を語る」は、普段の生活でもあまり好まれていないのだ。なのに、ビジネスの場では「自己PR」が幅を聞かせる。これは明らかに不自然なのではないだろうか。

もちろんビジネスでは自己主張が求められる。ただしこれは主張すべき時に主張しないのが問題なのでないか。あるいは自身の存在が、所属する組織の一員として埋没していることが問題なのではないか。自分を語らず「何者かわからない」人は、相手との関係を構築するのが難しいが、自分を語ることだけで、関係が作れると思うのがそもそも間違いだ。

では、僕らはどんな人と関係を築きたいか。それは、自分に関心を持ってくれる人ではないだろうか。「関心を持つ」と「関心を持ってもらう」も似てて大きな違いのある言葉である。自己PRが自分に「関心を持ってもらう」行為だとすれば、相手の話に耳を傾けるのが「関心を持つ」行為である。「関係」とは一方的な思いや意思で成立するものではなく、お互いの「気」が一致しなくては成立しない。それは大相撲の立ち会いのように、両者の呼吸が一致しないと相撲が始まらないのと同じで、両者が双方向に関心のベクトルが一致しなければならない。

その意味で、自己PRだけでは足りない。自己PR過多であれば進展しない。ここで必要なのは、相手への関心のベクトルを示すことである。何かのテーマで一緒に盛り上がること、同じ関心ごとが見つかること、お互いの価値観の交換が実感できること。このような機会が、人と人との関係が始まる契機ではないだろうか。

ビジネスでは信用だけでなく、信頼関係も築こう

この、人と人との基本的な原理が、ビジネスの世界で無視できるはずはない。むしろ、普通の人間関係とビジネスの関係とは別物だと考える人とは、単なる経済的な交換相手にすぎないと考えた方がいい。ビジネスであろうとなんだろうと、一定の時間を共に過ごす人とはしっかりとした関係を築きたい。こう思う人なら、普段の日常の関係づくりの原理をビジネスでも持ち込む方が自然だろう。

仮に相手が能力のある人だと分かっても、それだけで仕事を一緒にしようと思うには、何かがかけている。果たしてこの人と一緒に仕事をして、いいものが生み出せるか。それが楽しいプロセスとなるか。そこには、お互いに関心を示すベクトルが向き合っていることを確認したくなるものだ。

仕事の関係は信用なくして始まらないが、そこに相互の「信頼」を付与したいものである。相手から信頼してもらうのにまず必要なのは自己PRではなく、「あなたに興味がある」ことを示すことである。相手への関心を示すこと。それは自分に関心を持ってもらう行為とは逆なのだが、ベクトルを交わすスタートになる。あなたのことをもっと知りたい。「あなたは、こういう人でしょうか」と相手への理解を示す。これはアプリシエイトである。相手は、「この人は自分の人をきちんと理解してくれる」と思える相手と、心を通わせたくなるのではないか。

自分に関心を持ってもらいたければ、まずは相手に関心をもち、それを示すことである。相手に関心を持たせるのではなく、自分から相手に関心を持つ。双方向のベクトルは自分から指し示すのだ。

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