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「儒教」は、一般的な宗教とは少し異なる性質があるように思えます



中国から日本に儒教が伝来しました。

ただ、日本では聖徳太子の時代あたりから、宗教の主流は仏教となりました。

日本では、儒教から生まれた学問の儒学が支持されるようになったのです。

儒学がピークに達したのは江戸時代です。幕府直轄の昌平坂学問所では、官学(幕府が正式に定めた学問)として儒学が講じられました。

ここで講じられた儒学は、特に朱子学と呼ばれるものです。

朱子学は、宋の時代に成立した儒学の体系の一つです。上下関係を重視するため、武家による統治に向いていると考えられました。

儒教は宗教で、儒学は学問にあたります。

ところが、儒教は一般的な宗教とは少し異なる性質があるように思えます。

宗教の定義はさまざまありますが、多くの宗教が満たしているのが次の条件です。

① 始祖(教祖)がいること 
② 経典や教義があること 
③ 信仰を重視すること 
④ 死後の世界を想定していること

これらの条件を儒教に当てはめて考えてみます。

まず、教祖としては孔子が考えられます。
しかし、孔子は「周王朝の基礎を固めた周公旦(しゅうこうたん)を尊敬し、その教えを継いでいる」と言っています。

孔子はキリスト教のイエスや仏教のブッダのような始祖(すべての始まり)といった存在ではありません。

次に、経典としては四書五経などがありますが、教義はあまり定まっていません。

いわゆる「仁義礼智忠信孝悌」のような徳目※はありますが、「これが教義だ※」と明確にいえるものは存在しません。

※徳目(とくもく):  徳を分類した個々の名称。道徳の細目。忠、孝、仁、義、礼、智、信など。

※教義(きょうぎ):  ある宗教が真理と認めている教えの内容と体系のこと。

さらに、儒教では信仰※が重視されていません。
ほとんどの宗教は信仰がベースになっています。

※ 信仰:  神仏などを信じて、あがめること。経験や知識を超えた存在を信頼し、自己をゆだねる自覚的な態度を指す。

しかし儒教においては、「信」はいくつかある徳目の一つに過ぎません。信仰が一番大事だという考え方は儒教にはないのです。

儒教が信仰を重視していないことは重要な点と思われます。

宗教における信仰とは、ここにいない存在を「いる」と思い、信じることです。

キリスト教の場合、イエスが現実にはここにいなくても、いつもそばにいて、その存在を実感する。それが信仰と言えます。

しかし、漢字の「信」の本来の意味は「伸」と同じで、「言ったことが未来に実現する」というものです。

たとえば「設計図を描けばその通りに家が建つ」といったように、設計図に対する信頼は必要ですが、実現するには人の努力が必要になります。

このことは宗教における信仰とはまったく異なるものです。

宗教の「信」、たとえばイエスの現存※は人の努力では実現しません。信仰は心の中にあります。

※現存(げんぞん):  現実に存在していること。

一方、儒教の「信」は自分自身で努力して実現させるものです。 

儒教とその他の宗教について考えるとき、この違いはとても重要な点といえます。

また、死後の世界について。確かに、儒教では先祖をまつります。しかし、四書五経などの書物に、死後の世界がどうなっているかという記述はほとんどありません。

このように、一般的な宗教の定義から考えると、儒教はすこし異なる性質があるように思えます。


参照元:  「NHK出版 デジタルマガジン」ホームページ

以上

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