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闇市

大戦敗戦後に生まれた「自由市場」

 「闇市」とは、大戦敗戦後、全国の都市の焼け跡などに自然に生まれた「自由市場」のことです。

 本記事は、この「闇市」について、簡単にご説明いたします。

背景と誕生

・戦争時には、主食の米をはじめ、衣料、生活
 用具などの生活必需品のほとんどが、配給統
 整のもとに国民に供給されていた。

・多くの企業が敗戦とともに生産を停止あるい
 は縮小した。その結果、ほとんどの生活必需 
 品の配給はなくなった。

・このような食糧難、生活難に事態の中、闇市
 が自然と生まれ、全国の都市に広がっていっ
 た。

・東京の場合、1945年の年末時点で、露天商の
 数3000以上にひろがり、特に新橋、上野、新
 宿は代表的な場所と言われている。

・バラック建ての店舗、よしず張りや戸板を並
 べただけのもの、じかに地面に商品を並べた 
 だけといったように、さまざまな形があった。

・近郊農村から買出しによって持ち込まれた食
 料、米軍の駐屯地売店からの横流し品、衣類
 雑貨、書籍、医薬品、そしてお酒など、闇市
 では、さまざまなものが売られていました。

・政府または公共団体が定めている公定価格で
 はなく、闇市においては、自由価格で物品が
 売買されていた。

・人々は、必要な物や金を手に入れるために、
 空腹をいやすために、そして、気晴らしの酒
 を飲むために、闇市に集まった。

消滅

・1948~49年ごろ日本の経済がようやく復興
 の兆しをみせ始めるにしたがい、しだいにそ
 の姿が消えていきました。

現在にも残る面影

 誕生からわずか数年で消えた「闇市」。ただ、全国各地には、その面影は残っている。その例をあげて、本記事の終わりとさせていただきます。

・上野のアメ横。高架下に店舗が連なる。闇市
 由来の商店街としては日用品を販売する店が
 多い。

・闇市の青空の下からは消えたものの、都市の 
 商店街、飲食店街などとなって都会のあちこ
 ちに残されており、そのうちの少なからぬも
 のは今ある商店街の基礎となっている。

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