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オイルショックによって、トイレットペーパーの買い占め騒ぎが起こった!

オイルショックとトイレットペーパー騒動が起こった原因と内容、そして、オイルショック後の日本の産業の変化について、解説いたします。



〈目次〉
1.オイルショックとは?
2.第1次オイルショックが起きた原因 
3.第1次オイルショック時の消費者の行動
4.物価にどんな影響があったか?
5.第2次オイルショックとその後の産業の変化


1.オイルショックとは?

1973年(昭和48年)10月、中東の産油国が原油価格を70%引き上げたことを受け、のちに「狂乱物価」といわれるようなインフレが発生したことを第1次オイルショックと呼んでいます。

このことによって発生した激しいインフレを抑えようと、日銀は公定歩合※を9%まで引き上げました。この金融引き締めによって景気が悪化し、不況に陥ることになりました。


その後、1970年代末から1980年代初頭にかけて、原油価格は再び高騰しました。

1978年にOPEC(石油輸出国機構)が段階的に原油価格の大幅値上げを実施したことに加え、1979年2月のイラン革命や1980年9月に勃発したイラン・イラク戦争の影響が重なり、国際原油価格は約3年間で約2.7倍にも跳ね上がりました。これが第2次オイルショックです。

この時もインフレが起こり、国内の景気が減速することになりました。


2.第1次オイルショックが起きた原因
第1次オイルショックの場合、1973年10月にイスラエルとアラブ諸国による4度目の戦争である第4次中東戦争が勃発しました。

第4次中東戦争

第4次中東戦争によって、OPECのメンバーであるサウジアラビア、イランなどペルシャ湾岸6ヵ国が原油公示価格を70%引き上げたました。

加えて、中東戦争の敵国イスラエルとその支持国に対する石油供給抑制を狙いとして、石油採掘の削減と同国を支援する米国やオランダに対して石油の禁輸を決めました。

これらによって、原油価格はわずか3ヵ月で約4倍に高騰しました。日本は原油の輸入を中東地域に依存していていました。

そのため、日本は原油の入手が困難になるとともに、高いインフレ(狂乱物価)によって、経済的な苦境に陥りました。


3.第1次オイルショック時の消費者の行動
紙の主原料はパルプですが、石油を原料とした化学物質も使って製造します。

1973年10月中旬ごろ、当時の中曽根通産大臣がテレビ番組内で「紙の節約」を呼びかけました。そのことから、同年の10月下旬にかけて「紙が無くなるらしい」という噂が全国に広まったのです。

そして、1973年11月、大阪市のスーパーで発生したトイレットペーパー買い占め騒ぎが報道されたことをきっかけとして、全国の国民が一斉にトイレットペーパーを買い求めました。

トイレットペーパーの価格がそれまでの3倍から4倍の値段でも売り切れ、一気に日本中の小売店からトイレットペーパーが消えさったのです。
まさにパニックといえる異常事態でした。

この混乱を抑えるため、政府は買い占め自粛を呼びかけ、同年11月12日にトイレットペーパー等の紙類4品目を「生活関連物資等の買占め及び売惜しみに対する緊急措置に関する法律に基づく特定物資」に指定しました。

さらに翌年1974年1月の国民生活安定緊急措置法の指定品目に追加し、標準価格を定めました。

これらの施策を受けて、1974年3月にやっと騒動は収束したのです。


4.物価にどんな影響があったか?
オイルショックによる原油価格の値上がりは、ガソリンなどの石油関連製品の値上げにもつながり、連鎖的に日本の物価水準が瞬く間に上昇することになりました。

第1次オイルショック前4.9%だった消費者物価指数(前年比)は、1973年は11.7%、74年にはなんと23.2%まで急伸しました。

急激なインフレはそれまで旺盛だった経済活動にブレーキをかけることになりました。1972年の経済成長率が前年比+9.1%だったのに対し、1973年は同+5.1%と急減速し、1974年には同-0.5%まで落ち込むことになったのです。

この経済の落ち込みを乗り切るために、政府はさまざまな対策を実施しました。 

「石油節約運動」として、国民には、日曜ドライブの自粛、高速道路での低速運転、暖房の設定温度調整などを呼びかけました。いわゆる省エネルギーに関する施策です。

石油、電力、ガスなどのエネルギーの安定供給政策や新しいエネルギー、省エネルギーを所管する資源エネルギー庁が当時の通産省内に設置されたのも1973年のことです。


5.第2次オイルショックとその後の産業の変化
1970年代末から1980年代初頭にかけ原油価格は再び高騰し、3年間で約2.7倍にも跳ね上がったのが第2次オイルショックです。

国内経済は、再び高いインフレ、高い物価水準が上昇し、経済成長率も減速することになりました。

しかし、第1次オイルショックでの経験からこの時は国民も冷静な対応をとり、前述したような買い占めのような社会的な混乱はほとんど起きることはありませんでした。

2度のオイルショックを経験した日本では、エネルギーの安定的な供給の確保が最重要課題であると改めて位置づけられました。

1970年代から1980年代にエネルギーに関する3つの施策(安全供給・経済性・環境)が打ち出され、これらの基本的な考え方は現在にも受け継がれています。

2度のオイルショックの経験によって、産業においてコスト意識が高まりました。日本企業に体質転換を図り、エネルギー多消費を改め、省エネルギーの推進をしていくようになりました。

製造業もそれまでの製鉄、造船などの重厚長大から電気機械や自動車へとけん引役が変わっていくことになりました。

資源が乏しい日本が、自動車のような製品づくりで付加価値を生み出し、輸出国として、躍進的な経済成長を果たしていくことになったのです。

エネルギー消費効率の各国比較(2013年)
出典:  資源エネルギー庁
※一次エネルギー供給/実質GDPを日本=1として換算

参照元: 「アセットマネジメントOne」ホームページ

以上

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