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黒川紀章の「動民」と入れ子構造について

人間の社会的地位が定着性で評価されるという時代はすぎたのだ。むしろ現代の情報社会にあってはより多く選択できる、より多く移動できるということが社会的地位の高さを表現するようになる。

黒川紀章 ホモ・モーベンス
都市と人間の未来

 移動する体験そのものに価値を求めることは、地元に固定されず、上京や出張、旅行、ショッピング自体と生きることである。すると故郷という場所を持つ必要がなくなるかと思われるが、実際は都市を寓のような仮住まい、母屋を田舎として志向する人が多いと思われる。しかしここは情報社会、ふるさとは日本内で選択可能。自然や和風として抽象化される。
 日本は借景のように山に囲まれた空間を建築と見做し建築をインテリアと見做す傾向があったと思われる。だからこそ「表出」や「あふれ出し」という住む人の生活、暮らしが表れる景観となる。外と内とが厳然と分ける必要なく、隣との「お約束」で開放的な中間領域を持つことができた。しかし現代、スクラップアンドビルドされる日本では抽象的な借景しか成り立たない。都市という外が際限なく広がり、バウンダリーが失われた。他方で近代主義に身を巻き込み、自身の個室を作って自分を守ろうとした結果、中間領域も失った。 
 移動性によって入れ子の二層三層が無くなった今、新たな境域が移動そのものによってもたらされる必要がある。それを私は機能と用途、個人の入り混じる「道」と、集中と分散が共生する「都市」に見る。

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