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赤の広場と萎びたきゅうり

リスボンは観光客が多い。街のあちらこちらで観光客が長い列をつくっている。たぶん観光名所に行くトラムの駅とかたぶん有名なレストランとか、たぶんなにかがある所は観光客で長い列だ。

たぶんとしたのは、自分が知らないからです。いつも多くの観光客が並んでいるトラムの駅が近所にあり、ある日の朝に誰も並んで待っていなかったので「どこに行くトラムなんだろう、乗ってみよう」としたら「犬は乗れない」といわれて諦めたので、いまだにどこに行くトラムなのか知らない。

ここ数日の日中は暑いのだが、今日も乾燥した空気を通してやってくる強い陽射しの中で多くの人々が並んで何かを待っている。

                *

並ぶというので私が思い出すのは息子と並んだウインブルドンのQueueと赤の広場だ。ウインブルドンのことは以前ちょっと書いたので(以下)こんどは赤の広場のことを書こう。

シベリア鉄道に乗りたくてバックバッカーをした時にはロシアはまだなかった。ソビエト連邦だった。東京で取ったソ連のビザは4−5枚綴りの紙がパスポートにホチキスで止められたもので、入国の時に一枚ホテルにチェックインの時に一枚というように回収されていき、出国した時には最後の1枚が回収されパスポートにはソ連にいったという証拠は残らなかった。

ヘルシンキ(だったかな?)からモスクワにはいった。モスクワの鉄道の駅で電車から降りると、誰かが走り寄ってきて一緒に車に乗せられてホテルまで連れて行かれた。国営旅行会社の人なのかな、外国人担当政府職員なのかな、もしかするとKGBの下っ端の人だったのかもしれない。

(昔、DPRKの科学研究者グループと仕事をしたことがあった。5ー8人ぐらいのグループだったのだけれど、そのうちの一人は研究に関しては全くなにも一言も喋らなかった。そして他の研究者の人々が気を遣ってる感じがした。研究者ではなく脱北を監視する人だったらしい。関係ないけど思い出した話。)

モスクワでのホテルは道を挟んで赤の広場の向かい側にあった気がするが、昔のことなので記憶が歪められて間違ってるかもしれない。こんな状況なのでホテルの外を歩けないのかと思ったが意外と自由に行動できた。ただの学生なので大したことはないからと放し飼い状態だったのか、それともこっそり誰かがついてきたのかは知らない。あるとき赤の広場をふらふらしていたら警察の人が声を荒立てながら寄ってくるので焦ったら、横断歩道のところを歩いていないからだった。

ふらふらと歩きながらモールらしきものにはいったりしたが、その時のモスクワの印象は「どうしてこんなに物がないの?」ということだった。店には見通しのよい大きなガラス窓はなく、ガラス窓がないので品物がディスプレーされてるわけでもない薄暗い店にはいっても品物がほとんどなく、頼めばなにかは出てくるかもしれないブラックマーケット的な店がほとんどだった。今思うとなんとなくDaigon Alley の店のような雰囲気だったような気がする。ただしサインは読めないしガラス窓ないから何売ってる店なんだか外からわからない。そんな店に入っていった40年前の日本の女子大生の無謀さに呆れる。

ある時、赤の広場の近くの公園に地元の人々の長い列ができていた。なんだろうと思ったが聞くことができる語学力もないのでどうせならと並んでみた。

で、列の先頭に到着してみたら萎びた胡瓜と萎びたりんごと萎びたなにかの野菜が何個か貧相なテーブルの上においてあるだけだった。え、これを買うためにみんな並んでたの?私は萎びたりんごを数個買ったような気もするが、もしかすると何も買わなかったかもしれない。

人生長いとリスボンで並んでる人を見ながらモスクワの萎びた胡瓜を思い出したりする。                

               *


ならんだ先にあるものが美味しい食べ物だったり、フェデラーの試合だったり、しなびた胡瓜だったり、人はいろんなものに並ぶ。 時間があるんだから、並んだ先になにがあるのかの驚きを楽しむために知らずに並んでみるのも面白いかもしれない。 でもするなら秋になってからにする。

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