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選ばなかった道の先には何もない

この年になっても、というかこの年になったからかな「もしもあの時」と考えることがよくある。とくに昔の同僚や同級生と話したあとに感じて、そしてなぜかなんだかちょっと落ち込んでしまう。

「もしもあの時上司にさからわなければ」「もしもあのとき自分のくだらないプライドに固執しなければ」「もしもあの時腐ったりしなければ」「もしもあの時にあんなに無知じゃなかったら」「もしもあの時もっと我慢していたら」、、、

「もしもあの時もっと大人だったら」

「もしもあの時」の後に落ち込んでしまうのは「もしもあの時もっと大人だったら選んでいた道」の先には必ずなんだか輝かしい人生を想像しているから。選ばなかった道の先になぜか不幸な人生はない。


                *

でも、輝かしいもなにも選ばなかった道の先には何もないんだよね。

選ばなかった道の先には何もない

道は目の前にあるだけなんだから、これからも子供のようにわくわくと前にだけ進んで行けばいいやと思いなおしました。

さてと、まずは犬と散歩。