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陰キャは実はコスパ良い

GWの洗礼でヘトヘトなので、今日は以前思いついたネタで適当に走り出してみます。

表題の通り、ふと「陰キャはコスパが良いんじゃないか」と思ったんですね。いや、「陰キャ」と言ってしまうとちょっと俗すぎるスラングなので上品ではないのですが、つまりは一人黙々と居るのが好きな内向的なタイプの人のイメージです。

今という時代は、経済面でも倫理面でも人の価値がますます高まってる時代です。

まず、経済面で言えば、生産性が高くなった上、少子化のあおりを受けて人件費の上昇が進んでいます。

この話は以前も引いたジョセフ・ヒースの解説がうってつけですね。

 貧困国の不平等がとてもひどく見える理由の一つは、個人宅で雇われる使用人の数に関係している。そこそこ中流の家でも家事を使用人に任せることが多い。誰もがメイド、乳母、コックを雇うことは言うまでもない(このような仕事をさせる雇い人が一人か二人か三人かで社会階級がうかがえる)。運転手、さまざまな家庭教師、そしてもちろん警備員も雇う家庭が少なくない。私はまだだいぶ若かったころに、メキシコシティで数週間働いたことがある。日曜の午後に経営者の家に招かれ、そこで仰天した。周りでうろつきながら私がコロナビールを飲み終えるのを待って、お代わりをとりにいくことが仕事のような使用人がいたからだ。プールサイドでそんな状態ではくつろげないと感じたのは私だけらしかった。
 なかなか言うことを聞かない家具の組み立てや電球の交換をしようとするとき、このことにふと思いをはせる。「ああ、世界で指折りの豊かな国に住んでいるんだな」と独り言をつぶやく。「なんで自分で家具を組み立てたり電気をいじったりしなきゃいけないんだ?」答えはもちろん、まさしく、、、、世界で指折りの豊かな国に住んでいるからこそ、自分で電気いじりをしないといけないのだ。労働力の生産性が高まって、たいていの人は他人の照明器具の取り付けより時間を有効に使える仕事をしているからだ。それが因果か、そうしたほかの生産的な職業から労働者をおびき寄せるには金がかかる。電気工を呼んで電灯を取り付けさせる料金は、たいてい電灯そのものより高くなる。

『資本主義が嫌いな人のための経済学』 pp. 266-267

そしてまた、これに平行して、社会に人権意識が普及し、万人は平等で対等だから暴力はもちろん強制的に何か使役させることは厳禁となりました。

つまり、お金でなにかをしてもらうのも大変だし、強制できないので相手に嫌われずに好印象を持たれないと何かをお願いすることも難しくなってきたところがあります。

もちろん、こう言うと「人の価値を大切になんてまだまだ全然されてないぞ」と怒る方はいらっしゃると思います(特に賃金面で不満がある人は多いでしょう)。
確かに「人の価値の尊重」が十分であるとは言えないところは社会の中でまだまだそこかしこに見られます。しかし、絶対的評価で十分とは言えないとしても(あるいはそれに抵抗する動きも多分に見られるものの)、過去との相対比較で言うと、着実に人の「価値」は高くなってはきているとは言ってもいいんじゃないでしょうか。

で、こうも「人件費」が高くなると大変なのは、人に何かをしてもらわないと落ち着かない、楽しめない人たちです。まあ大変に雑に言ってしまえば「陽キャ」です。人と交流するために好印象を得ないといけないとなると、かかる時間や労力、交際費や見栄代が自然と高くなりがちです。

一方の「陰キャ」は、できるかぎり一人で過ごす、なんなら外出先でもセルフサービスの方を好むタイプですから「人にサービスをやってもらおう」という感覚が希薄です。そして、人の手による直接的なサービスを求めなければ、本や漫画、映画、ドラマ、ゲームなどなどの娯楽は今や大変安価に手に入る時代ですから、超低コストで自分の人生一回だけでは到底消化できないほどのコンテンツ量に触れることもできます。

つまり「一人でも楽しめる」「一人でも苦じゃない」という「陰キャ」の特性は、「人件費」が極大に迫ってる今日この頃において有利に働きつつあるんですよね。だから、「陰キャ」にとってはコスパが良い時代だし、「誰かと一緒でなきゃつらい」という人には厳しい時代となってきました。


もっとも、ここまでちょっと冗談めかして語ってしまったものの、実はこれ結構深刻な社会問題につながる話でもあります。

他人と交流するのが色んな意味で大変に高価になったというのは、すなわち他人と交流するハードルが非常に高くなったということです。

だから、この帰結はおのずと人々が他人と交流しなくなる孤独社会となるんですよね。ひいては、非婚化とも地続きです。

「誰かと一緒でなきゃつらい」という人はもちろんのこと、「一人でも苦じゃない」と自負する「陰キャ」だって、本当は孤独では生きられない。それは「多少人より孤独耐性がある」ぐらいの話であって、本格的に孤独が進行するとやっぱり「陰キャ」であってなおつらくなってくるはずなんですね。

なので、「コスパがいい」と無邪気に喜んでる場合ではなく、「陰キャ」だって本当はこの事態の進行をどうにかしないといけないと危機感を持たないといけないのかもしれません。

で、この事態に対して、一部では「人の価値を昔みたいにまた下げろ」と潜在的に言ってるのに等しい主張に出る動きも見られますが、それはそれでちょっと嫌じゃないですか。

だから、人の価値の扱いを高く保ったまま、それでなお人同士の交流のハードルを下げるような、そんな斬新な社会的触媒が求められてる。そんな風に思うんですね。


……ってなことを、江草は「陰キャ」なので一人黙々と考えてしまうんですが、こういうことを考えてるのは楽しいし、なにより考えてるだけならコスト0円ですから、とてもコスパがいい性格をしてるなあと我ながら苦笑してしまいます。

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