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学歴自己責任論から弱者を守るために

A「親が亡くなったのは仕方のないことであり、今後の生活について対処しなければならない」
B「親が亡くなったのはあなたのせいでもあり、今後の生活について対処しなければならない」
親が亡くなって、今後の生活について対処しなければならないのは同じでもニュアンスはまるで異なることは理解できますよね。

何が言いたいかというと、学歴自己責任論の話です。

結局、自己責任があろうがなかろうが、得られなかった学歴の分、その後の人生で挽回しなければいけないのですが、言われた側の心持ちもまるで変わります。
この研究を「自分の過去の境遇を慰撫するため」だと仮定しても、当然自分と同様の環境の人間は一人どころかいくらでも存在するし、私が経済的・地域的・環境的に恵まれない受験生に、せめてこうすればある程度までの対処はできるよという発信を続けているのはそのためです。
経済的・地域的・環境的に恵まれない受験生だったけど、こういう対処法で解決したという言説ならば、多少例外的でも事例の紹介としてはいいと思いますが、経済的・地域的・環境的に恵まれた受験生から「それは自己責任だ」と書いてしまうのはあまりに残念でなりません。

私みたいに奇跡的にそうした恵まれない境遇から生き残って、研究を続けられる環境を与えられた人間はいいですが、その陰には潰れていった本来高学歴エリートとして生きられるはずだった人間が多数存在します。
知人の話ですが、インターネットがなかった90年代、高校時代から哲学書なども読み漁り、地域に進学校もなかった彼はその郡部では一応マシと言われる高校に通い、大学受験には厳しい環境で懸命に努力してセンター試験で550/800点を取るも、微妙に地方国立には足らず、そのまま高卒で地元の小さい会社に就職しました。そして潰れていってしまいました。
彼が同じ状況で東京に住みさえしていれば、東大とは言わないまでも国立で言えば筑波ぐらいは、私立でいえば早慶は十分に合格した素材です。
彼は本当に自己責任なのでしょうか。

「あなたの責任ではなく経済、地域、環境など複雑な要素が絡み合っているよ。しかし現実として対処しなければならないのは事実だから、その選択肢の中で最善を見つけていこう」と声を掛けられる人がいたら人生が変わった人は多くいたように思います。
YouTubeを見ても威勢のいい言葉が目立ちます。「これであなたも東大合格」「英検スピーキング満点講座」、でも彼らがほしいのはそれじゃない。「僻地公立高校でも日東駒専になんとか受かる作戦論」「英検スピーキングギリギリ合格術」、こちらなのです。
結果として東大はともかく早慶には行けたであろうポテンシャルの人間が、環境のせいでMARCHや日東駒専にしかいけなかった・・・それでも想定の1ランク下や2ランク下であればその後の人生で挽回の舞台には立てているのです。
現実にいろいろあれど、そこまでは挽回できるよというスキームは目立たないし、華々しくないからあまり研究されないし、書籍も売れないかもしれないけど、求めている実数は東大受験生なんかよりもはるかに多い数であることを忘れてはなりません。

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