野球を辞めたら「何者」にもなれないのか

約3ヶ月ぶりのnoteとなります。

26歳までプロ野球独立リーグでプレーし、その後は球団職員を経て、今はバスケクラブのスタッフをしているミキタと申します。

先日、仲の良かった独立リーグの現役選手から「引き際」について相談がありました。

まもなくシーズンが終了し、選手たちは今後について向き合わねばならない時期に差し掛かっています。

何かを「始める」こと以上に「辞める」ことには大きな勇気が要ります。

多くの独立リーガーにとっての”引退”は、今まで捧げてきた膨大な時間から身を引き、幼少期から描いていた大きな夢や目標を「諦める」ことに同義です。

私も夢を諦めた身です。

今は新たな生活を踏み出して日々奮闘しておりますが、

本日は、①私が引退を決断したタイミング、②今からできること、③現在の正直な思い、を書いてみます。

①私が引退を決断したタイミング

独立リーグの99%の選手が目指している到達目標は、秋のドラフト会議でNPB球団から名前を呼ばれることです。

私もその1点のために日々頭を使い、汗をかき、努力を積み重ねてきました。

NPBに行くためには圧倒的な実力が欠かせないのはもちろん、実力よりももっと大切なことがあると今だからこそ言えることがあります。

それは「自分は必ず上に行ける」という確固たる自信です。

言い換えれば「自身の可能性に蓋をすることなく、自分を信じ続けられる」マインドです。

私は3年目の夏ごろからこの気持ちを持てなくなってしまいました。

理由は明らかで「結果が出なさすぎた」からです。

1歩引いて自分の実力を俯瞰したときに絶対的な「限界」を感じてしまいました。

上に述べたような「自分の可能性に蓋をせずに、信じ続ける力」が無くなった以上、ユニフォームを着る資格はないと考え、引退を決めました。

たしか7月下旬ごろだったと思います。辛い決断でした。

しかし引退を早めに決めて良かったこともあります。

この決断を下すまでは、野球のことが嫌いになりかけましたし、試合に出るのが怖かった。仲間の活躍も心から応援できないほど未熟でした。

ですが引退決断後は「有終の美を飾る」ことにこだわり、自分の野球人生でやり残したことはないか?と自問しながら、カウントダウンを意識して毎日を過ごすことができました。

そうすると、後輩の指導や勝利にも目が向くようになり、チームの地域貢献活動も今までより積極的に参加したくなりました。

そして最後はマウンドを心から楽しんで、今いる環境に深く感謝をして、野球を大好きな状態で「やりきった!」と言ってユニフォームを脱ぐことができました。


ここまでの話が参考になるかは分かりませんが、

現役の方々に大切にしていただきたいのは、誰が何と言おうと「自分は目標を叶えられる」と1点の曇りなく答えられるか、という強い意志だと思います。

自分で自分のことを信じられる限りは、周りが何と言おうと挑戦を続けて欲しいですし、

逆に周りが「もう1年続ければチャンスあるよ!」と言ってくれても、自分自身が心からそう思えない限りは、翌シーズンも高いモチベーションを保ち続けることは難しいと思います。

「NPBに行く」ためというよりも「他にやりたいことがない」といった外の現実から目を背ける、ある意味「逃げ」として野球を続けている人もいるかもしれません。

こんな方々が抱く「野球をやめたあと自分は何をしたらよいか分からない」という悩みはよく耳にするので、次はこのあたりの私の考えを記載します。

②今からできること

現役の方々にぜひ取り組んでみて欲しいことがあります。

それは、前章にも述べた「自分の可能性」について深く内省することですが、さらにここでは別の3つの取り組みから、自身を掘り下げてみていただきたいです。


【「プロ野球選手になる」の抽象度を上げる】

これは私自身も現役時代に言語化できていませんでしたが、皆さんはなぜNPBに行きたいのでしょうか?ここを明確にしたうえで野球に取り組むことが非常に重要だと思います。

有名になりたい、稼ぎたい、親へ恩返しをしたい、子どもたちに夢を与えたい、、、理由は様々だと思いますが、「なぜ?」を自問してみて欲しいです。

すると「あれ?この目的を叶えるのってNPB以外でも達成できるんじゃないか?」といった結論にたどり着けるかもしれません。

有名になるのも、稼ぐのも、親へ恩返しをするのも、子どもたちや社会にとってインパクトを与えることも、何もプロ野球選手だけに与えられた特権ではありません。

プロ野球選手はより大きな目的・自己実現を達成するための一つの「手段」に過ぎないのです。

私の場合、はじめは自己実現といった内側にしか矢印が向いていませんでした。しかし、次第にスポーツチームが地域にもたらす価値や、プレー以外での貢献の仕方を知るようになり、外の社会へ矢印が向けられるようになりました。

そして結果的に今はクラブ職員という立場でその大義を達成するために新たな一歩を踏み出せています。

「手段の目的化」とならないように、皆さん自身の野球の位置付けを捉え直してみていただきたいです。


【セカンドキャリアを考える=諦め ではない】

これは現役時代から強烈に感じていた違和感ですが、「野球選手たるもの、24時間野球のことだけ考えろ」といった風潮は根強く残っていると感じます。

せいぜい練習時間なんて24時間のうち半分、いや4分の1ほどしかないのに、それ以外の時間で他業種の情報を集めたり、自身で野球以外のビジネスに挑戦することが悪とされる雰囲気は破壊していかなければならないと考えています。

香川時代にお世話になった生山さんがおっしゃっていた言葉が今も胸に残っています。

「セカンドキャリアに今のうちに向き合うからこそ、ファーストキャリア(=現役生活)に集中できる」

引退してから考えるのではなく、現役中から外の世界にもアンテナを張ることで、安心して野球に打ち込みやすくなりますし、インプットの質が野球に偏らないことで、野球のアウトプットの質も変わっていくものだと思っています。


【手持ちの情報が少ないことを自覚する】

私が考える「野球以外にやりたいことが分からない」のクリティカルな理由は、「情報不足」です。

言い換えれば「選択肢が少ないからやりたいことが見つからない」のだと思っています。

そして厄介なのは、「情報不足」であることの自覚を持ちづらい点です。自分を過大評価しがちな人ほど、少ない選択肢の中で悩んでしまうと思っています。

先ほどの話とも重なりますが、現役時代から野球以外に触れる時間を作り、様々な仕事・人を知ることで、自分がやってみたいことが現れるのではないでしょうか?

③現在の正直な思い

ここまで偉そうに書いてきましたが、自分自身が本当に引退後の生活に向き合えているのかといった、正直な思いを最後に書かせていただきます。

冒頭に紹介した選手と話していると、「野球を離れたときに、そこそこやりたいことは見つかるかもしれないけど、野球と同じくらいの熱量で向き合える絶対的なものは見つかる気がしない」といったことが話題になりました。

この部分ですが、、、私自身も正直なところまだまだ模索中です。

今の仕事は本当に充実していますし、日々大きなやりがいを感じていますが、

それでもこれが「自分の人生を捧げて絶対にやり遂げたいことだ!」といった熱量や、「この仕事は自分にしかできない!」といった確固たる自信を持って取り組めているかと言われればまだ胸を張れません。

現役だったときと比べてしまうと、あの頃のマウンドへ上がるまでの緊張感、抑えたあとの達成感、そしてそれを応援してくれるファンが自分にもいたこと、に勝るあの日々の充実度を超えることを見つけるのは、そう簡単ではないと思っています。

引退して1年ほどは野球への未練はありませんでしたが、最近は野球を取り払った自分が「何者」になれるかといった漠然とした恐怖感のようなものはありますし、「あのときこうしていれば結果は違ったのかな…」といった後悔もないと言えば嘘になります。

長くて暗いトンネルから抜け出せておらず、あの日々を超える刺激を得るために歩んでいる今の道が本当に正解なのか不安になることも多いです。

ですが、過去に目を向けていても何も前に進まないことも分かっています。

自分の生き様として最もダサいのは、過去を引きずって、未来に落胆し、今この瞬間になにも行動していないのにも関わらず、外的環境にばかり文句を言ってしまうことです。

自分のなすべきことの絶対的な一つの正解を見つけようとして停滞するのであれば、まずは目の前のことを全力で取り組んで成果を出して、少しでも高いところに登って、それぞれの高さからの景色からまた判断するしかありません。

野球を辞めた後の人生のほうが圧倒的に長いからこそ、セカンドキャリアで「何者」かになれるように私も行動と選択を続けてまいります。

野球に全力で打ち込む現役選手、その後のキャリアに全力で打ち込む元選手の方々、皆様がそれぞれの場所で活躍することが私の刺激になります。私も刺激を与えられる人間へ成長していきます。


最後はまとまりのない文章で長くなってしまいましたが、読んでいただきありがとうございました!

セカンドキャリアでご活躍されているアスリートの方々はどのようなマインドで向き合われているのかすごく気になるし、今日のような話題は議論してみたいテーマだと感じました。


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