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田舎から田舎へ行こう:フジロックフェスティバル2023 Day 1(2023.7.28)

フジロック1日目。朝早くに家を出て、まずは東京駅へ。そこから上越新幹線「とき」で越後湯沢駅まで向かう。初めて新潟に行く。湯沢は群馬と長野に近いことをグーグルマップで確認する。東京からも1時間15分で着く。正直、近すぎる。けど、新幹線代は高い。越後湯沢駅に着いたあとは、10分ほど歩いて、ここから2泊する民宿へと歩を進める。とにかく暑い。新潟なのに、という言い訳は直射日光には通じない。直射日光は平等ではないほどに平等に降り注ぐ。日焼け止めを塗っておいてよかった。そうではないと、悲惨な未来が待ち受けるだろう。

民宿では高齢の女性が中を案内してくれた。フジロックの運営会社を通じて申し込んだ相部屋の民宿だ。音楽を愛するほかの男たちと二つの夜を明かす、と書くと気味が悪いが、そういうことだ。民宿に入ると、さっそ子犬が吠えてくる。おもてなし、というやつか。相部屋と聞いていたので、3、4人部屋かなと勝手に想像したら、大広間みたいなところに10枚以上の布団が敷いてあった。すでに部屋の端の布団たちは陣取られている。端だとなにかと都合がよい。コンセントが近くにあるし、両方の隣に人がいないことは心理的により安心だろう。わたしは端から2番目のまだとられていない布団にリュックサックを置き、駅へと戻った。

越後湯沢駅

駅の反対口に会場へのシャトルバス乗り場がある。炎天下のなか、似たような格好をした人たち(帽子に、肩掛けタオル、Tシャツにトレッキングシューズはわたしの格好でもある)がバスに乗ろうと長蛇の列をなしている。列を整理している人たちも大変だ。なんか働いている人たちをみているだけで涙が出てきそうになるほど、苦しい時間を過ごしたとはいえ、40分くらいでバスに乗ることができた。事前情報によると、わたしが駅に到着した昼の12時が列のピークで、2時間待ちになるケースもあると言っていたので、ワーストシナリオを想定していた(といってもその想定通りに準備していたわけではない)。

バスの車内では忌野清志郎の歌うフジロックのテーマソング「田舎へ行こう」が流れ、それがすごくよい曲で、途端に田舎に行きたくなった。また、「OSAHO」というエチケット動画も流れ、ゴミの分別や分煙、ものを放置しないなどの注意喚起がゆるラップ調の曲に乗せて流れていた。最後の「DO IT YOURSELF」の文言がすこし気になった。社会契約論を思い起こす。

バスを降り、リストバンド交換所まででも10分弱は歩く。いや正確な距離は知らないけど、体ではそう感じた。そういえば、前日にフジロックの予行演習としておませちゃんブラザーズのフジロック1日1万歩生活をみたので、フジロックが「歩く」場所であることは重々承知だった。つまるところ、フジロックの会場は非常にインアクセシブルな場所である。だからこそ、堂々と「田舎へ行こう」と言えるわけだが。

シャトルバスの車窓からみえる会場の様子

セブンイレブンで発券した3日通し券をリストバンドと引き換え、入口を通過する。すでに興奮して、勝手に現れる笑顔を必死で抑える。人は複数人いるときは簡単に笑顔になるのに、どうして一人のときはそんなにも笑顔になることが難しいのか、という問いには、一人のときの笑顔がホンモノなんだよ、と返してあげたい。

携帯に保存した会場マップをみながら、すでに始まっている君島大空のライブがあるField of Heavenへと向かう。入口からは非常に遠いところにセッティングされたこのステージではインディーのなかでもトップを走る人気者たちが演奏する。だが、その道のりは遠い、まるで天国のように。だけど、いざそこに入るとステージがどっと構えていて、右手にはビールなどを売っている屋台がある。音楽が鳴ってみないとここが天国か地獄かわからない。

Field of Heavenで演奏する君島大空(合奏形態)

余談だが、今年のフジロックは全体として電子マネーをおしている。だから、現金が使えない店がほとんどだ。だから、Suicaやクレジットカードなどで支払いを行う。しかし、その電子マネーの端末も反応しなかったり、通信ができないものが多くあって、やっぱり日本はこうだから、となってしまう。わたしたちは電子マネーの種類をつくりすぎた。たくさんありすぎる。それはオプションが多いという意味で親切だけど、ほんとうになにが親切なのかと考えてみるとわからない。クレカ一本とかにしたほうが簡単にみえるが、子供はクレジットカードを持てないし、日本でのクレカ普及率もそこまで高くないと推測するから、難しい。運営はわたしより多くのことを考えている。そこは理解しなければならない。

さて、音楽の話に戻ろう。Field of Heavenに向かう途中、突然メインステージであるグリーンステージで「トータスまつもとーー!」と叫び声が聞こえたのでみてみると、ゲストとしてトータス松本と土屋アンナがステージ上に現れ、歌い始めると、そりゃ体が動いてしまう。いま思うが、フジロックは目当てのミュージシャン以外のミュージシャンがかっこよくみえたり聴こえたりする。矢沢永吉だってそうだ。グリーンステージ(名前の通り、うしろには緑の山々がそびえたっている)にはそんな力がある。Daniel Caesarはちょうど夕日が沈むときに歌っていたから、雲の色の変化を鑑賞しながら、彼の歌声に酔った。

グリーンステージで演奏するDaniel Caesarと夕焼け

Field of Heavenに着いたのが14:05。あと2曲というところだった。合奏形態なので、西田修太がギターにいたりする。西田は岡田拓郎と友人であるライバルである、そんな仲だと踏んでいる。ギターが鳴り響き、君島大空の概念を転覆させる。シューゲイザーのノイズと君島の高く麗しい声。ラストの「遠視のコントラルト」は見事なまでにわたしを天国に迎え入れてくれた。

友人と合流し、ファシズムはロックフェスから始まるのかもしれない、と話す。その話は突如始まったわけではなく、矢沢永吉のファンが旗を振りながら会場内を練り歩いていることをみての発言ではある。矢沢永吉のファンたちは「過激」であることは有名な話ではあるが、矢沢の音楽にかぎらず、ロックにはすくなくとも人々を全体主義的な傾向に陥らせることはたしかだ。みんなが手を挙げて、同じようにリズムに乗って頭を前後に動かしているさまは、はたからみたらヒトラーの演説を聴く観衆にもみえなくはない。快楽への全体主義に傾倒する観衆ははたして「過激派」なのかというと、権力に従順な労働者たちなのかもしれない(その従順さは「過激」ではあるが)。

圧巻のパフォーマンスでグリーンステージを通り過ぎる人々をも魅了する矢沢永吉

先述したように、わたしは19時からグリーンステージでDaniel Caesarをみていた。しかし、お目当てはField of HeavenのYO LA TENGOだった。想像よりもDaniel Caesarの歌声がよかったし、夕焼けも美しかった。つまりは、フジロックの醍醐味は予想を裏切る、偶然的な出会いなのだ、と言い切ろう。たとえすべてのスケジュールがタイムテーブルによって管理され、わたしたちフジロッカーはそれを事前に何回も確認したとはいえ、当日も何度もタイムテーブルをみることになる。そのくらい同時間帯のアクトを選択することは困難を極める。そして、その二者択一(多いときは三者択一)を定めるのが、「出会ってしまった」という感覚だ。行き先で通るステージで知らないミュージシャンに出会ってしまう。知ることは異物が侵入してくるような暴力的なものではあるが、その暴力性に身を任せてはじめて「ノる」ことができる。それは全体主義にノリながら、それでも他人の目を気にせず自分の身体との折り合いをつけていくこと、それが「踊る」ということだ。

初日Field of Heavenのトリを務めた坂本慎太郎のライブはまさにわたしたちの身体にそれを問いかけてくる。「身体との折り合いはついていますか?」バンドは4人編成とシンプルだが、サックス奏者がいろんな楽器(それにはあひるのおもちゃも含まれる)を使いわけながら、グルーヴの主旋律を担う。幾度と聴いている「君はそう決めた」は華麗なレーザーライティングも伴ってわたしたちを異空間に連れ込むが、「君はそう決めた」というリフレインが理性の世界にわたしたちを立ち止まらせる。わたしたちはなにを決めたのか?いや、その問いはもはや無効で、わたしたちはすでに決めてしまっているのである。わたしたちの選択の刹那に寄り添ってくるこの文句はブレヒト的に異空間をたんなる全体主義的なノリから遠ざける。

Field of Heavenで初日のトリを務めた坂本慎太郎(写真右)

そんな坂本の「異空間の異化」という試みもある時点で頓挫し、わたしたちは飲み込まれていく。飲み込まれていく経験も知る暴力性と似てはいるものの、もはやそこには「知る」ことを知る瞬間もないように思える。ほんとうに怖い(だからこそ快感である)のは知ることではなく、自分が知ることを知ることができないまま全体主義に向かうことではないのか。坂本慎太郎の歌詞は此岸と彼岸を係留する錨のようだ。(Day 2につづく)

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