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生活する音楽家

自分を「音楽家」と呼ぶのは烏滸がましい。それほど作品を出しているわけでもない。決して知名度も高くないし、成功もしていない。音楽で食べているわけでもない。しかし、これまでもこれからも、自分の人生を一言で説明できる言葉は「音楽家」しかないだろうとも思う。アーティスト、ミュージシャン、比較的新しいものならトラックメイカー、ビートメイカー、プロデューサー。自分はどれに当てはまるだろうかと考えたときに適当なものがないということに気づいた。しかし「音楽」を中心に人生を過ごしているのであれば「音楽家」を名乗っても許されないだろうか。

25歳で大学院の博士後期課程 *1を中退しようと思ったとき、急に人生の解を得たようで気持ちが楽になった。それは指導教官がアカハラでヤバかったとか好きな研究をさせてもらえなかったとか決してそういう他責的理由ではなく、自分がやるべきことは音楽であるという結論に至ったからである。勉強はまあまあできた。他にもたくさんできることはある。しかし「できる」と「やりたい」はまた別物であって、ほとんどのことが自分が自分の人生でやりたい、やるべきことではないと思っている *2。その中で、音楽はほとんど唯一自分が幼児の頃から継続して興味を持ち続けており、感覚的に手を付けてアウトプットを出せるものもある。アウトプットを出せると嬉しい。現世に存在するどんな快楽の中で一番気持ちが良い。

しかし自分の場合、完璧主義も相まって思うようなものをアウトプットができないことが多い。具体的に言えば時間がかかる。そういう意味では音楽は自分の苦しみの一部でもある。これはまた別の機会に書こうと思うが、僕は小学生高学年の頃に作曲を始め、それから常に何かを作らなければならい呪いにかかった。努力を必要とせずとも継続できるのは才能であると言うが、その理屈で言えば僕には音楽の才能はないのだろう。一方で細野さん *3が言っていたように、音楽をする人には「自分天才!」と思える瞬間と「自分全然ダメじゃん…」と思える瞬間がないと幅がないという意味でダメなのかもしれない。自分に才能があるかないかという点は自分にとってはそれほど重要ではないので、結論は出さなくてもよいと思っている。才能があろうがなかろうが、自分が音楽をやることに変わりはないと思うからだ。いや、本当はこんなことが頭を過るだけで矮小なのかもしれない。それまでして、なぜ音楽にこだわるのか。これについては自分でもわからない。苦しむのであればいっそやめてしまえばとも考えるが、少なくとも音楽と自分の繋がりを断つことは人生をやめることにほかならないと思える。

「大学院、やめよう」と決意したあとは、音楽をどう継続するかということが問題になった。幸いにも院生のときはリサーチアシスタント としての収入が僅かにあり、また実家暮らしでもあったため、その収入のほとんどすべてを音楽に充てることができていた。しかしそれは学生という身分特権上許されていることであって、その立場を捨てるとなると、基本的に庇護も受けられない普通の人間となり、当然生きるためのお金が必要になってくる。無職となって音楽をやっていく手もあると思ったが、母には「うちはそれは許さない」と言われていた。つまり実家を出る出ないに関わらず、働いて何らかの収入を得ることは必要となるというわけだ。結果的に自分は実家を出ることになったが、母にそう言われたからには意地になり大学院をやめてから実家には一銭の支援も受けていない。

そこから就活をはじめたのだが、同じような先行事例がないため参考になる人がいなかった。音楽をやってきた人たちが生活するためにどうしてきたかという情報も「バンドマンはアルバイト」というステレオタイプ以外、実際のところあまり聞いたことがなかった。逆に働きながら音楽をやっている人たちはいつしか趣味に割り切っているような印象さえある。なぜ短期的な展望だけで音楽との関係を決めつけてしまうのか、それも理解できなかった。参考になる話がない以上は自分で考え、働きながら音楽ができる条件で職を探した。大学院での専門を活かした技術職。週休は2日。残業もほぼなし。大阪から出たくないので転勤や出張はなし。これらが優先されれば給与は人並みでよい。いざ働き始めてみるとそんな条件は正直あまり重要ではなかったのである *4が、当時の僕はとにかく人生の主目的を音楽に置きたかったのでそれらの条件は譲れなかった。そういえばゴンチチのゴンザレス三上氏は結局定年退職まで某電話会社で仕事をしていた *5らしい。それに倣って同じ某電話会社の地域限定枠 *6に就職することにした。しかし、1年目から一貫して自分は仕事を頑張ろうとは思っていない。あくまでも生活費を稼ぐ手段であるからである。それは悪い考えではないと思う *7。僕だって出来ることなら音楽だけをやっていたい。しかし、だからといって仕事をやめようとは思わない。生活ができなければ、音楽ができなくなるからである。

つまり自分にとっては、音楽を続けるのにも生活が必要で、生活を続けるにも音楽が必要なのである。このバランスはなかなか難しい。僕は不器用なのでしょっちゅう心身に負担をかけることになっている。30歳6ヶ月になることを機に、音楽をやりながらよりよく生きる方法について模索してみたいと思う。今の自分はどちらかといえば「音楽をする生活者」かもしれないが、近い将来「生活する音楽家」であると言えるようになりたい。

イラスト: にとろむ

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*1 人工知能の研究をしていた。指導教員の名前でほぼ決まると言われる学振は受からず。

*2 そうは言いつつもそんなことを忘れて結局いろんなことに手を出してしまうのが自分の常である。

*3 細野晴臣。最近は若者にも人気がある。筆者が最も尊敬するかつ生まれた初めて聴いた(93年「Medicine Compilation」)ミュージシャン。

*4 どんな仕事にも忙しい時とそうでないときがある。この言葉の真の意味を理解することが社会人になるべき意義であると思う。

*5 R&Dセンターで法務関連の仕事をしていたらしい。

*6 ビデオ会議をしたとき部屋に大量のシンセサイザーが映った同僚がおり、彼の名前で調べると電子音楽を作って活動しているようだった。その後すぐ異動したため結局音楽の話をすることはなかったが、気になる人物。

*7 とはいえ自分の事情で仕事関係者に迷惑をかけることだけは避けたい。自分が選んだ仕事であるので、最小限の責任は果たそうとは思う。

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