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「今、私に夢ができた。」――強い思いと勇気が叶えた、鹿児島への帰省とお墓参り【前編】

みなさん、こんにちは。
ユースタイルケア 横浜 重度訪問介護の吉川(きっかわ)です。

今回は、重度訪問介護が利用者様の夢を叶えた事例として、鹿児島への2泊3日の旅行支援をご紹介します。利用者様のご厚意で公開させていただくこの記事から、ご本人の強い思いや勇気、そして読んでくださっている方へ希望をお届けできたら幸いです。

「人の目が怖い」――2年間、一歩も外へ出ることがなかった利用者様

利用者様はALS(筋萎縮性側索硬化症)という指定難病で、呼吸は気管切開と呼吸器によって支えられており、気切カニューレと口からの吸引もサポートとして必要です。声を出すことができないため、視線入力装置というパソコンを介して、コミュニケーションを行われています。また、食事は胃ろうによる経管栄養です。ご病気になる前は、長年看護師としてご活躍されていました。

とある日、日勤支援中に訪問看護師さんが「長時間ベッドにいる生活は体に良くないので、車椅子を使って散歩にでも出かけませんか?」と提案しました。しかし、利用者様は涙を流しながら拒まれました。「この病気になってから人にこの姿を見せるのが恥ずかしい。人の目が怖いの。」と。事実、2年間一歩も家から出ていませんでした。

スタッフとの対話で決意した地元鹿児島へのお墓参り

そんな利用者様が今回、鹿児島へのご旅行を決意されたのは、私の過去をお話ししたことがきっかけでした。

私は、大切な人を失ったことがあります。どれほど願っても二度と会えないという厳しい現実を受け入れざるを得ない経験でした。当時、既に介護の仕事をしていた自分は、関係性を問わず「今、目の前にいる人」の存在により深く感謝するようになりました。

しかし、まわりには障害や病気がきっかけで、閉じこもってしまう方々が多くいます。「もっとこの人たちにできることがあるのではないか?」と常に考えて過ごしていました。

そんな中、祖父が亡くなりました。生前の家族旅行がかけがえのない思い出となっていて、みんなで「あのとき旅行していてよかった」と話しました。その経験から、どんな障害があっても目の前にいてくれることがありがたいこと、亡くなったらもう二度と会うことができなくなること、今ならその「かけがえのない思い出」を作ることができること、そして自分がトラベルヘルパーとして旅行支援をぜひやりたいことを伝えました。

すると利用者様は、「今、私に夢ができた。鹿児島へ帰って、お墓参りがしたい。」とおっしゃいました。そのとき、ふたりで一緒に涙を流しながら、鹿児島旅行を決意しました。

旅行計画が始動!さまざまな連携や細部にわたる準備

その翌週には、具体的に旅行の計画を立て始めました。

まず、利用者様が車椅子の使用に慣れるための練習が必要でした。ご主人が車椅子へ呼吸器の設置をしてくださり、訪問看護の方々は移乗を定期的にサポートしてくださいました。

旅行中の医療サポートをしてくださるトラベルドクターさん、理学療法士さんとも連携し、宿泊先の手配や移動ルートの計画、鹿児島でのサポートを務めてくださるボランティアさんの募集など、綿密な準備が進められました。

そして、ついに出発日当日を迎えます。

出発当日の様子

約9時間1,200キロの長旅へ。ご自宅を再現した環境を整える

まずは、ご自宅から介護タクシーで駅へ移動し、新幹線にて博多駅へと向かいました。

新幹線の車内では、身体への負担を踏まえて個室を確保し、普段使用しているエアーマットを広げる計画を立てていました。実際に試してみたところ……まるでそのために作られたかのようにぴったりとサイズが合ったんです!吸引機や持続吸引機、視線入力装置も設置し、ご自宅のような環境を再現することに成功しました。

新幹線の個室での様子。エアーマットがぴったりハマっています!

利用者様は、車窓から見える富士山に感動されたり、途中に仮眠も取られたりしていて、快適な環境づくりができてよかったです。

博多駅から乗り換え、鹿児島駅にて現地のボランティアの方々と合流し、介護タクシーにてホテル(「SHIROYAMA HOTEL kagoshima」様)へ向かいました。ホテルでも、なるべく普段の環境を再現するため、手分けして準備を行いました。

無事にホテルに到着!

後編では、ついに叶えたお墓参りの様子とその後をお届けします。ぜひお読みください!