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グッバイマルクス

 少し前から、スーパーなどで会計時にクレジットカードを渡そうとしたときに、それを受けとらずにカードの端末を向けてくるだけの店員が増えた。渡そうとしているのに受けとらない、というのは場合によってはケンカにさえなることだろう。そういうことがあるとムカつくので一度は全部キャンセルして帰ったこともあるのだが、あるときなどわざわざ「法律でそう決まっているので自分で入れろ」という張り紙がしてあった。

 それで調べてみると数年前に割賦販売法が改正されて、店員が極力カードの記載面を見たりしないように、客が自分で端末を操作するようになっていたらしい。疫病のときはクソどうでもいい風邪を防ぐために非接触だなんだと直接の受け渡しを妨害し、それと並行して安全のためとばかりに法改正までしていたらしい。金銭に関するデジタル化を進め、セルフレジを導入し、人間を不要にしていく流れの一貫なのだろう。私はそういう流れが腹立つし、それに気づかずぬけぬけとご自分で操作お願いしまーすと抜かす輩も大嫌いなので、多くの場合現金で支払う。

 現金で支払うに際しても、私は釣り銭などもキリのいい金額になるように考えて出すが、店員はザッとレジに入れて吐き出されてきた金を突っ返すだけで、ちゃんと正しい金額が出てきているか見もしない。万札で払って千円札が多い場合もきっちり数えてから会計を終える。こういうことをマメにやらない人たちは、一生カネに困り続けるだろうし、早くボケてしまうだろうよ。

 悲劇は働かせられているほうだ。上記の法改正の実質的なメッセージは、国家が事業者に対してその従業員を信用しないようにと言っているようなものである。安全・安心の名目で行われる政策のすべてが、庶民同士の自然な信頼関係や信用を毀損し、分割統治の原則に沿って人々を分断するための方策に過ぎない。相変わらずぶら下げられている小汚いビニールシート、マスク、手袋、消毒液などのすべてがその文脈に沿って展開されている。

 本来与信管理というものも、経済主体同士が自発的に自らのリスクと責任のもとに行うものであるが、これもクレジットカードという金融システムによって中央集権化されている。かつてのツケ払いや盆暮れ正月にまとめて決済するシステムは、事業者が客の支払い能力を自ら見極めることによって成り立っていたものが、与信のノウハウや能力は現在は金融機関に独占されている。言うなれば、与信のプロセスから事業者さえも疎外されている。

 しかしまあそんなこと猿どもにはどうでもいい話で、なんとかペイのポイントがいくらもらえるのかにしか関心がなかろう。あたしゃ浮世の愚かさを肴に空でも眺めてるよ。

 


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