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完璧主義を脱ぎ捨てたいあなたへ

「完璧主義だよね」

何度この言葉をかけられたでしょうか。
何をもって完璧主義というのだろう・・・完璧って何だろう。
「完璧主義を手放したいあなたへ」は、現代社会を必死に生きてきた「これまでの私」に向けて発しています。

仕事、家事、育児、多くの責任を抱えながら、自分のための時間を確保しようとしても、タスクを終わらせないと。
自分のための時間なんて使えないと、苛立ちがあるかもしれません。

大丈夫、あなたはすでに完璧だから。

今の私から、これまでの私へ、この言葉を送ります。


定義って曖昧

完璧を語る前に、人と話す上で、大前提を抑えておきたいこと。
それは、言葉の定義・基準が揃っていないということです。

成功

この言葉を聞いても、定義は十人十色。
莫大な富を築くことを考える人も、結婚して家庭を築くと考える人も、さまざまでしょう。

これと同じで、完璧という基準も人それぞれ違うものです。
自分にとって、60点の完成度だと思っていることが、周りから見ると100点に見えることがあります。逆に100点だと思って出したものが、60点のこともある。

このギャップが、積み重なって、相手の認識の合格ラインを上回ると「信頼」の獲得につながります。
ビジネスシーンでは、相手が何を求めているかを考えろと口酸っぱく言われます。
できる営業とは、相手のお困りごとをヒアリングして提案するものだ!!と。

相手と自分と視点を揃えて、前提を揃えていくことが大切だということは言われるまでもないと思うのですが・・・身近な人、日常の動作では、その確認を忘れてしまいがちです。

例えば、一緒に住む家族と家事の基準を揃えたことはありますか?
特に、大人になってから誰かと住むと、それぞれが育ってきた環境や考え方によって、価値観が完全一致するということは稀です。
そこで一つひとつを丁寧に擦り合わせられたら良いのですが、ついつい「当たり前の基準」を押し付けてしまいます。

これが周りからの評価として「完璧主義」と言われるひとつの要因だと思うのです。

言葉で伝えていなくても、態度や雰囲気で伝わってしまうものです。過去の私から醸し出していた目に見えない圧力が、時に人を押し潰していたのかもしれない。
「完璧主義だよね」「みんなが江角さんみたいに、なれません」そんな言葉をかけられてきたからこそ、猛省しました。

それは誰の基準ですか?

今のあなたが掲げている合格ラインの基準は、どこからやってきたのでしょうか?

大きく分けると二つ
・培ってきた経験
・それに対する評価

経験とは、成功体験も失敗体験も、名前がつかないものも含めた生きてきた全てのプロセスです。

評価は、学校の成績や試験、合格基準が明確なものは分かりやすいです。
それ以外でも、親や先生など身近な人からの声かけも評価に値します。もちろん、自己評価も入ってきます。

個の経験に対して、周りが評価をして、良い悪いをジャッジする。
誰かの基準を基に、私たちの行動は判断されてきました。
それらの基準を引き連れて成長していきます。
経験と評価、これが合格基準を形成しているのです。
それはやがて、「自分の中の正しさ」となり、自分のことも誰かのことも無意識に裁いてしまうのです。
これが、あらゆる争いの種になっているのです。

だからこそ、読んでくださっている方に知っていただきたいことがあります。
それは、幼少期の接し方です。純粋無垢な子どもたちと接するときは注意が必要です。
幼い頃、特に10歳くらいまでは、社会規範を学ぶ時期でもあるので善悪で判断することも大切です。
多感な時期は、何気ない声かけが、その人の中に基準にも、時には呪いにもなることを・・・脳の片隅に留めておいてください。

特に、ダメ・無理という否定の言葉は安易に口にしがち。
否定すること自体を批判しているのではなく、その時に理由も添えて、丁寧に説明することが大切だと思うのです。

例えそれが子どもに対してでも。理解していないだろうという決めつけも手放して、丁寧にコミュニケーションをしていくこと。
そうすれば、自分がすること=全部ダメ という思い込みの神経回路は出来上がらないはずです。

その子に対しては発していなくても、子どもは大人の言葉を敏感にキャッチしています。

「あの人はダメよね」

誰かに対して発していることも、自分はそれをやらないでおこうと心で誓っていたりします。近くの大人の善悪・正しさが、育みの中で伝播していくのです。

代わりにこんな言葉を言うのはいかがでしょうか?

「あの人は、こういう考え方なのね」

否定も肯定もしない、相手の意図を汲んで、他人と自分と分けていくこと。これは、承認欲求に左右されず、自己肯定感/自己存在感をベースに生きるための心構えでもあります。

私は、今5歳の息子と暮らしていますが、彼との対話の中でも「評価」を気にするそぶりがあります。
褒めることも、時には毒になる。
存在の肯定と、勇気づけをするように、意識をしています。
この教えは、アルフレッド・アドラーから学びました。
興味がある方は「嫌われる勇気をぜひ読んでみてください。

このように、個人の合格ラインは、経験と評価によって形成されていくのです。

意識の練習:基準再定義

それは誰の基準なのか?

そう問いかけるだけで、意識が大きく変わる気がしませんか?
そしてもうひとつ、魔法の言葉を。

この基準は、今の自分に本当に必要なのか?

これまで培ってきた中で出てくる、基準や固定概念なるものが頭をかすめたときは、この言葉を口にしてみてください。

大人になってから、再評価をすることで、基準は「自分の内側からのもの」に置き換わっていきます。

私はこの基準を手放して、新しい基準を設けます

新しい基準を自分で作って、上書きしていきましょう。
ハッキリと宣言すること。

潜在意識に刷り込まれた思い込み/ビリーフを置き換えるって魔法のようなことではなく、本質的には意識の使い方です。
脳をトレーニングするということです。
今回の記事は、基準に対しての思い込み/ビリーフに気づくためのメソッド。

どのようなプロセスを経て作られたのか?
いつ、誰が、その言葉を発したのか?
ひとつひとつ丁寧に紐解いていけば、不要な基準は、簡単に手放すことができます。

中には、深い傷を負った経験もあるかもしれません。
その場合は、記憶にも感情にもフタをして忘却するという、脳の自己防衛反応が起きます。
深いところは、プロフェッショナルや、信頼できる人に補助してもらいながら、手放していくことをオススメします。

完璧主義の鎧を脱ぐ

より多くの、そして高い基準を設けている方は、時に「完璧主義」「ストイック」と評されます。

そういった方は、これまでたくさんの壁を乗り越えてきた勇者であると思うのです。その勲章だとも言えます。
逆境を乗り越え、高いハードルを乗り越え、期待を超えて、高みを目指して生きている傾向にあります。成功体験の積み重ねてきたかもしれません。

実際、私がそうでした。

自分にムチ打って、前に前に進んできました。
最初は誰かからの評価だったかもしれません。
成功体験を重ねるうちに、このやり方が正しいんだ、自分に厳しく生きれば山を登っていけるんだ。そう考えるようになっていました。
自分自身に一番厳しくしていたのです。
結果が出たら、すぐ次の山を探して登り始める。小学校の頃から繰り返していたので、気がつけば身も心もボロボロになっていました。

限界が訪れたのは、3年前のコロナ禍。
世話をすべき子が居ながら、その子に見向きもせずに、MBAの学びに忙しくしていました。子どもを抱っこながら、ケーススタディを耳で聞いて、料理をするなんてことは日常。なんとか卒業をして、今度は起業という新たな山登りを始めた時のことです。

先に悲鳴を上げたのは身体でした。

寝ても疲れが取れない。ベッドから起き上がれず、何も進まないことへの焦りと、動かない自分の身体への苛立ちで、起業前後の数ヶ月間はメンタル的にも追い込まれていきました。
自己実現と、子育てと、家事と・・・全てを合格基準までやり遂げることが無理だと悟ったのです。
その時、初めて、プロの力を借りて硬直した考えをほぐし始めました。

当時の私は、「休む」ことが許せなかったのです。
「リラックス」も本当の意味で理解ができていませんでした。

温泉や整体は昔から大好きで、それがリラックスだと思っていたのですが、それはリフレッシュであって、動くためのメンテナンスの位置付け。
何もしない、ただ休むなんて、恐ろしくて恐ろしくて。
瞑想するなんて絶対無理!とまで、思っていました。

そこから、上記したような手順で基準を変えて、休むことやリラックスする感覚を、自分自身に許可し始めました。
そして、活動していなくても、何も価値発揮しなくても、存在するだけで愛されるという感覚も、同時に自覚しました。
近くにいる家族や、親友は、私が何者でもなくても、何も達成できていなくても、存在まるごとを承認して、ただ愛を注いでくれている、ということに気が付いたのです。
ドライブ中に急にその感覚が湧き上がってきたので、運転しながら大号泣しました。ああ、私は何かを達成しないと愛されないし価値がないと思っていたのだと。

心理学系の本を読めば、同じようなことが書いてあるのですが、頭に情報を入れても行動しなければ変わりません。
行動とは、内省と意識を向ける練習です。

一朝一夕で出来ることではなく、反芻することで自分のものになっていきます。日々、問いを設けて、自分なりに答えていく。その繰り返しです。
起業してから3年間、毎日が自己対話で、大きく生まれ変わってきました。

完璧主義の鎧を脱いで、生き方・働き方をシフトしました。
高い目標に向けて、未来の自分をイメージしたストイックな生き方ではなく、今この瞬間を最大限に生き切るということ。
マーブルな感覚で生きていくこと。
誰だって、変わりたいと意図すれば、全く違う生き方を選択できます。

あの選択をしたから今がある

完璧主義から、今この瞬間を生き切ることにシフトしたことで、目の前に広がる世界も変わってきました。
リスクを見通し、目標に向けて「想定内」で動かしていたあの頃から、今は「想定外」を楽しみながら予期していなかった有機的な繋がりを楽しむ人生に。
あらゆる出来事に意味があると、愛おしみながら日々を暮らしています。

大丈夫、私はすでに完璧だから。
安心して好奇心の向く方へ生きてね。

自分への声かけも、ムチを振りまくっていた時から、大きく変わりました。

ストレングスファインダーでも、今を生きるという適応性が下位にある私でも出来るんです。だから誰でも、願う方に人生をシフトすることができる、そう信じています。

これまで、生命科学、脳科学、ビジネス/マーケティング、デトックス、ヒーリングと、さまざまな学びを通じて「内省と意識の使い方」を取得してきました。
これからは、周りにもこの感覚を広げたいと願い、心と身体のデトックスをサポートしています。

出会う方の多くは、これまで必死に歯を食いしばって生きてきたタイプです。類は友を呼ぶとは、このことです。
身体の中からのアプローチも、脳や心の面からのアプローチも、いずれも繋がっているので循環しながら、身体と心と対話をしながら生きていくスタイルに変わっています。

変わりたい、意図する力を信じて、前に進んでみてください。応援しています。


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