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ガラスの向こう、生みの光(村田沙耶香『コンビニ人間』を読んで)

『ああ、私は今、上手に「人間」が出来ているんだ、と安堵する。』(P.34)

人間として自分を疑うことがある。
隣で楽しそうに笑う友人を見て。
背中の方で高らかに笑い声を上げる知らない高校生を見て。
お昼過ぎ、山手線の座席に顔を埋めたスーツ姿を見て。
自分の手を組んで、体温を感じて、この暖かさだけを頼りに「人間」だと思う。

この本を初めて読んだのはいつだっただろう。
多分、高校生の頃。わたしは確かに異物だった。
異物を感じながら、周りを吸収して、「うまく人間になる」。
少し気を抜くと、口が滑って、私の仮面はスケルトンになって、背中を向けられながら好奇の目を向けられる。全てを見透かされているようで、体が一気に緊張する。
治さなきゃ。
そう思って繕う笑顔は、「バレませんように」という祈りのお札を裏側に貼った仮面だった。

縄文時代の人間の在り方。現代社会は云々。
白羽さんの話、どっかで聞いたななんて思いながら、思い出さないように視線をまくる。
描写から浮かび上がって構成されていく脳内の姿があの頃のあの人に似ていて、認めたくなくて、本を閉じる。
頭の中身を振り払うように散歩に出かけた。

夏が近づく今ごろの季節は、夜の濃さが深いように思う。
黒の奥にも黒があって、葉を擦る音さえ手を伸ばせないほど遠くに感じる。
少し歩くと、見慣れたコンビニが見えてくる。
相変わらず夜は車通りが少なくて、時折走り抜けるバイクの音と、押しボタン式の信号の音が小学校の壁を跳ね返って車道に転がっている。

小説を胸に隠したまま、恥ずかしいくらいに光るコンビニの前に立って思う。
私にコンビニの声は聞こえるだろうか。

ガラスは無機質にあく。
身を屈める白羽さんは当然いない。
古倉さんもいない。のに。目が店員さんを追ってしまう。

綺麗に並べられた新商品のお菓子を見つめながら、横目でレジを覗く。
制服をまとった「店員」がそこにはいて。
揚げ物のショーケースはいつもよりスカスカだったけど、ちゃんと売り上げ目標が達成できていたらいいな、と思った。

この人もこの制服を脱げば、人間じゃなかったり、するのかな。
夜勤お疲れ様です。

そんなことを思いながら2Lの水をレジに差し出して、歯車を狂わせないように手際よく支払いを済ませ、コンビニの音に背中を押されるようにガラスのドアを通り過ぎた。

最後に小説を閉じた瞬間に、高校の教室が見えた。
息を吐くと、より鮮明に見える。
少し薄くなった匂いが胸を満たして、少し浮いた表紙を撫でるようにして誤魔化した。
多分、はじめて読んだ時もこうやっていたんだと思う。

わたしが私でいるために、「普通」を知りたかった。
大切な人に出会えた時はその人の「普通」が知りたくなった。
悲しませないように、怒らせないように、どうしたら私が私でいられるかを考えることが増えた。
基準を据えずに生きる毎日は、周りを吸収するばかりでわたしではなかった。
けれど、みんなの不思議がいつか大事なものになってくれるんじゃないかとどこかで期待もしていた。希望していた。
それがその頃の私、だった。
ガラスの中で飼育するペットのように、本当のわたしは彼女を育てつつ、このガラスという境界は守り抜きたかった。

今のわたしは普通を探さなくなった。
あの頃吸収していたものは、今更絞り出そうとしても完全には吐ききれず、今ではすっかりわたしの一部で、こびりついている。それはちょうど、このガラスを汚す指紋のようなもので、多くの人の指紋が見て取れる。これは汚れではなくてわたしの一部。今までに出会った人の数。
ガラスはまだ保っている。それが輝くものに見てもらえるかどうかは別としても、わたしは確かに、わたし自身であろうとしている。

文章を書くこと、誰かと意味のない問いについて話し続けること、わかるはずのない世界のことに耳を傾け続けること、ひとの弱さに寄り添うこと。
こんな言葉にするとなんてことない、ムラの人たちには烙印を押されてしまうような事柄の中に、声を見出している。古倉さんが、コンビニの声に応えようとするように、わたしはこの沈黙の時間の中で声を探したい。世界の部品として、応えたい。

そういえば、大学の食堂の前を夜に通りかかった時、不思議な姿を見る。
垂直の木の枠組みが光を通したガラスに支えられて、揺れる緑の葉の奥に浮かび上がるのだ。
夏の夜、黒の奥の奥。しかしそこで何かを温めるように光る建物が生まれる。
太陽が昇ってしまえば、この中にはまたたくさんの大学生が飲み込まれて、吐きだされて、それぞれの学びの場に行く。
大学生活を人生の方向づけの期間とするならば、このガラスの中で過ごした時間もきっと学生たちの一部になる。
こうして世に出ていく。部品になっていく。
毎年入れ替わる学生たち、数年後には完全に入れ替わってしまう。
けれどもここにこの建物という場はあって、光り続ける。生み続ける。
この光るガラスを通って、人が生まれたり、生まれ直したりする。

少し離れてコンビニを見てみると、この辺りの夜はコンビニに照らされて輪郭を保っているのがわかる。
なるほど、この世界は、現代社会は、まだ捨てたもんじゃないと浮いた表紙を撫でる。




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