この気持ちも、いつかは

この気持ちも、いつかは。

大きな感情に飲み込まれるとつい、自分で自分が見えなくなる時がある気がする。自分のことで周りが見えない、じゃなくて、自分が、見えなくなる。

そんなとき、私は決まって胸が苦しい。
息をからだに吸い込み切れなくて自然に呼吸の回数が増えて、どうやって生きてきたっけなぁなんて考えながら落ち着くのを待つ。そうだ、そんなとき、私は自分が見えなくなっている。

この気持ちも、いつかは。いついかなる時も感情は私と共にあるけど、そんなものもいつかは、薄まって薄まってやがて感じられなくなる。思い出すことがあっても、手に取るようにフラッシュバックしても、それは今の気持ちじゃなくて記憶の再生。投影されたそれを見終えた時、主人公の気持ちになれる訳じゃなく、そこで感じるのは観客の気持ちだ。けれど、その映画があまりに長くて刺激的で私を完全に包み込む時、私はだんだん主人公だと勘違いし始める。その視界こそ現実の人生だと錯角させられ始める。そうすれば私は、自分の投影した映像に酔って、自分で自分を識別できなくなる。自分の投影した映像が景色になって、自分であることを忘れるから、自分で自分が見えなくなる。

だから言い聞かせる、この気持ちもいつかは、消える。無くなる。苦しくなくなる。大丈夫なんだ、と。

夢から醒めるように、その感情から解放されると、酸素が体をめぐり始めて安心する。と同時に自分の退屈な人生を埋めてくれていたその刺激を失った喪失感に苛まれて、結局は自分に飢えてしまったりする。
この循環、私は抜けられるだろうかと思索してみても、私が私である限り、1人である限り、あの世界に通いつめてしまうのだろうという確かな推測以外に立つ理論は全く見つからない。

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