Mirto.

わたしが見ている世界を残す‪、意味はなくても、死ぬまで。/age18

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わたしが見ている世界を残す‪、意味はなくても、死ぬまで。/age18

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仮初の希望だとしても

仮初の希望だとしても、 わたしはわたしを残し続ける。 つまらない、なんでもないわたしだけど。 死に損ねた私、生き残った私、ぎりぎりで拾われた私。 胸を張れる人生じゃない。 何か誇れるものを持ってるわけじゃない。 それでも今日も生きていて こういう世界を見てるんだけど、 あなたも一緒に見てみない?って、 そんな気分で残すことにする。 生かしてもらってる世界、死ぬことが許されてない世界。 希望はあるよ、きっと嘘じゃない。 嘘だと疑わずになにかを信じはじめたら、 それが希望になるか

    • ガラスの向こう、生みの光(村田沙耶香『コンビニ人間』を読んで)

      『ああ、私は今、上手に「人間」が出来ているんだ、と安堵する。』(P.34) 人間として自分を疑うことがある。 隣で楽しそうに笑う友人を見て。 背中の方で高らかに笑い声を上げる知らない高校生を見て。 お昼過ぎ、山手線の座席に顔を埋めたスーツ姿を見て。 自分の手を組んで、体温を感じて、この暖かさだけを頼りに「人間」だと思う。 この本を初めて読んだのはいつだっただろう。 多分、高校生の頃。わたしは確かに異物だった。 異物を感じながら、周りを吸収して、「うまく人間になる」。 少し

      • 方向転換

        夜、ひとりの部屋で、この文章を書いている。 今日は春なのにちょっと暑くて、嫌いな半袖で過ごしている。 もう暗いのに、外では猫が喧嘩している。 何かを始められた気がした、そんな日だったので、こんな文章を書いている。 1年前、わたしは生きようと思った。 生きていていいというゆるしを飲み込んだ。 震えていた。いまでも覚えてる。緊張も、嬉しさも、責任感も。 今日、あの日の自分の日記を見返してみた。 何も知らない私がいて、饒舌な彼女が羨ましくなった。 この1年で私の人生は全く変わ

        • 結び

          卒業した。 早かった? ううん、決してそんなことはなくて。 でも、上手く言えないけど、もう戻ってこないものを思い返すたびに、わたしは必ず大事なことをこぼしてしまう。だから、ちょっと寂しい。 時々のぞく風呂敷の中身。 今日までずっと一緒に旅をしてきたはずの風呂敷。 全部包んで持ってきたはずなのに、一向に重くならない。 たまに立ち止まって覗いてみる。 目を凝らすと、入っていると思っていたものは全部見つけられる。 それなのに、旅をしてもしても、重くならない。 気づいてしまった

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        仮初の希望だとしても

          灯つきぬ、いざ生きめやも。

          わけてもらった灯を、使うあてのない身体の中で未だに抱えている。歪で不器用なわたしだけど、最後の賭けをしているみたいに、必死で、消さぬように、忘れないように。 新年、明けても何も変わらないけど、節目は大事にしたいと思って意識的に文章を書いておく。 今年は言葉を大事にしたい。 ずっと大事にしてきたけど、自分の方から誰かに言葉を伝えるということも、誰かからの言葉を受け取るということも、より大切にしていきたい。疲れてしまうかもしれないけど。 言葉があるからいろいろ考えられる。人

          灯つきぬ、いざ生きめやも。

          不可・嚥下

          最近、思う。 私は多分、自分の内側から殺される。 決して暗い意味じゃなく、一種の強がった願望みたいなものかもしれないけど、思う。 わたしは自分が誰なのか、わからない。でも、内側の誰かに殺される。そんな気がしてる。 彼には勝ち目がない。 自分の限界を問うとき、彼も私も一体化する。 夜、カーテンを締切って、真っ暗な中、そこには視界は無く、ノイズと、毛布の感覚が身体の輪郭を縁取るだけ。その中に身を置いてみると、自分の有限性、はたまた知るはずもない無限という概念に出会う。 わたし

          不可・嚥下

          寒き風、胸を穿つ

          この感覚に名前があることを知る日が来るならば、その時その言葉は、この感覚そのものを少しだけ殺してしまうだろう。この感覚、わたしが冬に抱くこの感覚には、名前が無いからこその見えない価値がある。 冬。 夜。 塾帰りの御茶ノ水。 タイミングの悪い信号待ち。 遠くでイルミネーションが光っている。 聖橋をタクシーが乾いたタイヤの音を立てて通り過ぎる。 マフラーに顔を埋めながら、信号の目盛が下がっていくのを待つ。 いつのまに冷たく固くなった夜が、外側からじわじわ身体を冷やす。 寒い風は

          寒き風、胸を穿つ

          最近よく考えるのは、人間、どこまでのことを引きずって生きるのが正解なんだろう、という話。 自分で言うのもおかしいけれど、私は年の割にいろいろなことを経験させてもらっているなと感じている。それは、ちゃんとした「経験」というものだったり、日常の「困難」だったりするのだけど。 ひとつひとつのことを大切にしすぎてしまえば、身動きが取れなくなる。水に流し続けてしまえば、過去に無責任な生き方をすることになる。引きずる自由があるというなら、自分にとって都合のいい生き方をすることになる。

          今日の私は小さな点

          最近、夜寝る場所を窓の下のソファに変えた。寝転ぶと、空が見える。天気がいい日には星もそれなりに見える。今夜も星が見えていて、今はオリオン座と名前の分からない明るい星が数個。薬が効いて眠くなるまでの間、考えたことを残してみたい。 先に言っておくと、結論の無い、だらだらとした思想記録になってしまうから、日記の覗き見をしているくらいの気分で読んで欲しい。 今夜はこの曲を流しながら書いている。読んでもらう時にも、同じ曲が流れていたなら、と思うと少しどきどきするから、よかったら。

          今日の私は小さな点

          言葉にする

          言葉にしてもし尽くせない事柄に頭を悩ませている。 違うことをして引き剥がそうとするけれど、何かの折にひゅっと顔を出して、また縛り付けられる。 逃げられない感覚。離してもらえない。 悲観的なわたしは、一生これが続いてしまうように思わされることもある。そんなことは無いよと言う声にも気づいている。この声が聞こえなくならないうちに、わたしはこのことと付き合い方を探り出さなければいけない。 たいしたものになれない自分が、嫌になることがある。 こんな自分だから、なにをしても無駄だ、恥だ

          言葉にする

          回帰と帰宅の日曜日

          受験生というのはなんとも縛られる生き物だなぁと、最近強く思う。 今年の自分は高校三年生。大学受験に向けて週2日塾に通い、高校生として平日5日間は学校へ通う。日曜日の教会を楽しみに1週間耐え、月曜日からはまた高校生と大学受験生の顔をしている。 毎朝乗る電車の時刻はだいたい同じだし、塾への電車も変わり映えはしない。まして景色も変わらず、時に雨が降っていたり空気の水分量がなんとなく違ったりするものの、突如として始まるビルの解体工事以外に代わり映えのしない街並みの間をずんずん歩く

          回帰と帰宅の日曜日

          伝える言葉

          ふと、相手の顔を見ながら話をしていて、「今考えてしまっていることがばれていなきゃいいなぁ」なんて怯えることがしばしばある。 嘘をついている時は然り、そうでなくても一生懸命に、表情と仕草とつま先の向きと相槌の声の高さと間隔と…を気にしながら相手の前に立つ。 苦労といえば苦労だが、これだけのことで隠せるのなら安いものね、と思いながら日々向き合っている。そういうことは、ないだろうか。 人に自分の気持ちが「伝わる」ことなく「伝える」ことが出来ることは当たり前でありながら有難いことで

          伝える言葉

          言葉と聖書

          自分の中に言葉が溜まる。とても不快な感覚だ。 脱するために、吐き出すように人に話す。話したあとの疲労感と後悔とは言葉にしがたい。取消不可能・編集不可能な「会話」は苦しいし難しい。あまりに現代的で無いなぁなんて思いながら、自分が本当に言いたかったことだけが残る身体の重さを無理に眠ることで誤魔化す。時間に解決してもらう。 本当のことを言おうとするほど、大事なものを守る為の上澄みだけが放出されていく。尽きる上澄液を生成するのに使う体力は異常なものである。本当の部分は重くて沈むば

          言葉と聖書

          感情を問う

          “楽しい ”ってなんだろうか。 僕はいまだにわからない気がする。何を“楽しい”と呼べば良いのだろう。 笑っている時間は、あるけれど、これが“楽しい”ってことなのか、誰も教えてくれたことは無かったじゃないか。 思えば色々なことがそうなのだ。 涙が出た時のその感情、“悲しい”とか“寂しい”とか、いつの間にか名前を知っていた。誰かに、「その胸が痛い気持ちのことが“悲しさ”だよ」なんて、手を取るように教えられたわけじゃないのに。 いろいろなことが不思議だ。目に見えないものなのに、お

          感情を問う

          この気持ちも、いつかは

          この気持ちも、いつかは。 大きな感情に飲み込まれるとつい、自分で自分が見えなくなる時がある気がする。自分のことで周りが見えない、じゃなくて、自分が、見えなくなる。 そんなとき、私は決まって胸が苦しい。 息をからだに吸い込み切れなくて自然に呼吸の回数が増えて、どうやって生きてきたっけなぁなんて考えながら落ち着くのを待つ。そうだ、そんなとき、私は自分が見えなくなっている。 この気持ちも、いつかは。いついかなる時も感情は私と共にあるけど、そんなものもいつかは、薄まって薄まって

          この気持ちも、いつかは

          はじめに

          大きなことは、語れないし、 感じることは、いつもおかしい。 言葉にすることも上手くは無いけれど、 記憶が残らないからだに対して日々の僕が出来ることは 言葉にして残すこと。 気づいたことを捨てずに蓄える為に 言葉にして置いておくこと。 自分のためになにかをするだけならすぐになくしてしまうから こうして世界に残してみる。 日々の考えたこと感じたこと、 拙い日本語で投稿します。 よろしくお願いします。

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