絵のない絵本【青いココロ】(全話)
ココロは、まっさおな雪の朝に生まれました。
空みたいに深くて、太陽みたいに透き通った目をした女の子。でも、祝福にやってきた人たちは、「こんな赤ん坊は見たことがない」と顔をしかめました。
ココロは、少し歩けるようになると野原に飛び出しました。
本当に飛んでいたのです。
ココロの背中には翼が生えていました。
光の加減で灰色のようにも桃色のようにも見えました。
町の子ども達は、気味悪がって、ココロに石を投げました。
ココロが泣いて帰ると、お母さんは、だまって翼に口づけ、お父さんは、「かわいい小鳥」と抱きしめてくれました。
寒い夜は暖炉であたたまりました。若いころ漁師だったお父さんは、遠い町のお話をたくさん聞かせてくれました。
外国の海で拾った桜貝をココロが欲しがると、お母さんは、ピアスにしてくれました。
でも、ココロはお父さんお母さんにちゃんとありがとうを言えませんでした。
物心がつく前に、ふたりとも死んでしまったのです。ココロに内緒で誕生日プレゼントを買いに行った帰り道、雪崩に巻き込まれたのでした。
親戚は、「醜い翼」とののしって、ココロをひとりぼっちにしました。
ココロが泣いていると、耳元でブン!と音がしました。
背中に黄色い毛が生えた熊蜂でした。
「泣くなって。いい羽じゃないか」
熊蜂はココロの指にとまりました。
熊蜂は、ココロから話を聞くと、かわいそうに、と言いました。
「俺が一緒にいてやるよ」
「ずっと?」
「ずっとだよ」
それから、ココロと熊蜂はいつも一緒でした。毎日、野原を飛び回って、一緒に花の蜜を吸いました。
レンゲは良い香りの紅茶のよう、タンポポは、レモンドロップの味がしました。熊蜂がいちばん好きなのはお芋みたいに素朴な味の山藤でした。
ココロが花粉のついた指で熊蜂の背中をくすぐると、熊蜂は「よせやい」と笑いました。
世界はむんむんと花の香りで満ちていました。
ところが、冷たい風が吹き出す頃、熊蜂は飛ばなくなりました。
「どうしたの?蜜を吸いに行かないの?」
「もう花も咲き終わったしなあ」
熊蜂の声はおじいさんみたいに枯れていました。
ココロは熊蜂を手のひらに包んで、花を求めて飛び立ちました。
川沿いも原っぱもあんなに咲き誇った花がありません。やっと山影に一輪の笹百合が咲いているのを見つけました。
「さあ、蜜を吸って」
そっと手を開くと、熊蜂は動かなくなっていました。
ココロは熊蜂を笹百合の根元に埋めました。
「ずっと一緒って言ったのに」
ココロはめちゃくちゃに飛びました。木にぶつかっても風にたたきつけられても。
ひどい痛みが苦しさを和らげてくれる気がして、もっと痛くなれと願うのでした。
どれほど飛んだでしょうか。
ココロは飛び疲れて森の泉におりました。ほとりでうなだれていると、
「やっほい」という声が聞こえました。
振り向くと熊が立っていました。
「ぼくは木こりの熊。熊の木こりともいうけれど」
熊が自己紹介してもココロはだまっていました。
鋭い牙も爪もピカピカ光る斧も怖くありませんでした。
もうどうでも良かったのです。
「あのお、きれいな翼だね」
熊はおずおずと言いました。
「翼があってもしかたないわ。皆私を置いていってしまうんだから」
「ぼくに翼をくれたら、いい所に連れて行ってあげるよ。どう?」
ココロがうなずくと熊はギラっと斧を光らせて、ココロの背中から翼を切りさきました。
「ついておいで」
熊は深い茨の中をのっしのっしと進みます。
「待って待って」
ココロは叫びました。棘に靴を引き裂かれても、ココロはもう飛べないのです。熊はココロを肩にのせてくれました。
深い藪を抜けると、甘い香りの風がココロの頬をくすぐりました。ココロははだしで駆け出しました。
熊はハッハと笑いました。
「ここは、熊の天国さ。花はずっと枯れないし、鳥たちはどこにも飛んでいかないよ」
熊は、ココロの手をそっとにぎりました。
「ぼくと一緒にいてくれる?」
ココロはうなずきました。
ココロは、小鳥とも友達になって花畑を飛ぶように駆けました。草を編んで籠をつくり、ナッツを入れて森の木に吊るすと小鳥たちは喜んで、フルートのようなさえずりを聞かせてくれました。
古い記憶に襲われ、涙がこぼれる時もありました。
そんな時、熊は何も言わずそばにきて隣にいてくれました。
触れ合った所から熊の心が流れ込んできました。
ココロは、熊の分厚い手のひらや丸いしっぽや針金みたいにかたいひげだって好きになりました。
熊は、ココロが飽きないように、毎日贈り物をしてくれました。
朝露を連ねたネックレスや、金色の小鳥の羽でつくったリース、エメラルドやルビーでこしらえたモミジが詰まった宝石箱…。
大切にとっておこうと思うのに、どのプレゼントも翌日には消えてしまいました。
どれだけ時が経ったのかココロはもうわかりません。熊の天国は、夏も秋も冬も来ないのですから、わかりようもないのです。
その日も、野原で花を摘んでいると、空にツバメが飛んでいます。ツバメはくるっくるっと旋回すると、空を渡っていきました。その瞬間、チリッと音がして、桜貝のピアスが砕けました。
ココロはハッとして、花に顔を近づけましたが少しも香りません。ピンクの花びらは薄い陶器でできていました。キラキラ輝いていた小川にはガラスのかけらが敷き詰められ、木の枝からぽたぽたと小鳥が落ちてきました。駆け寄ると、小鳥はぜんぶ木彫りでした。
ココロと熊は見つめ合いました。
「ずっと一緒にいたかったんだ」
ココロは熊の胸に顔をうずめました。
「今までありがとう」
硬い毛は少し濡れて懐かしい雨の匂いがしました。
熊は、奥から木靴を取り出してきました。
ココロが足を入れると、ぴったりでした。
「こんな日が来ると、わかってはいたんだよ」
藪に分け入ると、熊は、「どこへ行くの?」とたずねました。
ココロは、振り向かずに答えました。
「海を見てみたいの」
藪を越えると、どこまでも続く雪野原に出ました。
そのうち、ものすごいふぶきになり、木靴の中の足は凍り、氷のつぶてで服はぼろぼろになりました。
ココロは腰をかがめて這うように進みました。
気が付くとココロは、海の上を飛んでいました。
あたりはまったく静かでした。
右も左も上も下も、手も足も、青く染まっているのです。
海に翼の影が落ちて、波に揺れていました。
完
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