こだわりは理解されないで良い【エッセイストになりたい故に】
エッセイストになりたい者です。
今年の3月にエッセイを書き始め、気づいたら200作が超えていました。
これは中々の量じゃないかなと思うと同時に、結構色々やらかしているなと思う次第でもあります。
というのも、私は結構自分の書いている文章が好きなので、外出した際のほんの些細な時間に過去のエッセイを一二個くらい読み直す時があります。
そしたらまあ出てくるわ誤字脱字。
一応書き終わったあとにチェックしているはずなのですが、やはりエッセイというのは血潮であり勢いです(?)
「こっちの表現の方が伝わりやすいけど、こっちの方が面白いな」という場合には後者を選んでしまうものです。
意味が伝わらないくらいの酷い誤字脱字は流石に直しますが、それはその時の勢いということでそのままにしています。
ただ、最近「ああこれは直さなきゃ」というものがあったので紹介シたいと思います。
外出先で見つけて、個人のTODOリストに「エッセイ修正」とタスクを追加してしまうくらい重要で大事なものになります。
それがこちらのエッセイ。
今回の話の内容とは逸れますが、結構気に入っているので暇な方はぜひ読んでみてね。
もう修正済なのですが、このエッセイの中でこういうフレーズが出てきます。
このエッセイを書いて三ヶ月ほど経過し、改めて見た瞬間に「ああなんでこんな書き方したんだろう」と思いました。
いけませんねこれでは。
ちなみに修正後はこちらです。
修正前「ちょっとあんた、そういうのは先に言っておくれよ」
修正後「ちょっとあんた、そういうのは先に言っといておくれよ」
こういうことです。
これは致命的なミスなのです。
なぜなら修正前の表現はさくらももこみが薄いからです。
「さくらももこみ」です。
「言っといておくれよ」の方が仰々しくさくらももこみを感じられます。
これは私のこだわりであり、私が「エッセイスト」として崇めているさくらももこ氏へのリスペクト精神ゆえのものです。
なので修正前の文章を読んで「なんでえこのさくらももこみの薄さは。それでも本当に敬っているのか」と思った方には平にご容赦いただけることを存じさせていただきましてございます。(要約:誠にごめんなさい)
しかしながら、さくらももこ氏に何も思っていない人に対してこのこだわりは、さぞ「はあ」といった次第でしょう。
私もそう思います。
でも大事なのです。
こういう所を大事にしているから、落伍者になっているのは重々承知の上で、私はこんなことにこだわっているんだよ(そして少しの誤字脱字はゆるしてね)という気持ちを込めて、この場を締めさせていただきます。
それでは。
おまけ
最近Youtuberの方のエッセイを読みました。
ポケモン繋がりで、鈴木けんぞう氏ともこう先生のものを読みました。
げらげら笑う、といったほどではないですがやはりエッセイというのはいいなと感じられるほど両者のエッセイは面白かったです。
やはりエッセイは良い。
そう感じてもらえるようなものを書き続けようと改めて感じました。
なんだ、真面目かよ。
次は大層ふざけたエッセイを書きますので、どうかご容赦を。
サポートという機能があるのに初めて気づきました。みなさんもそうだと思うのでぜひ私のエッセイで試してよいですよ。お願いします。